失われた遊び場:東京湾埋立第13号地

僕は東京の江東区育ちです。
かつて13号地と呼んでいた場所はとても想い入れのある遊び場でした。

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これが13号地付近を空撮した写真。
(いつ撮られたのかは不明です)

この場所は皆さんも良く知る場所で、今や東京を代表する観光地となりました。

お分かりになりますでしょうか??

現在の写真を見れば一目瞭然。

画像2

そう。お台場です。
この写真にはダイバーシティやガンダムが無いので結構前に撮られたものでしょう。

今回ご紹介する記事は
"その辺にまだ何も無かった頃"のお話しをします。

ちなみに…。
お台場と総称されるエリアは港区と江東区が混ざっていてフジテレビ、デックス東京ビーチ、アクアシティは港区に入ります。
それ以外のダイバーシティ 、ヴィーナスフォート、大江戸温泉物語は江東区。
ですから自由の女神は港区でガンダムは江東区なのですね。


僕は1980年〜90年代の青少年期に豊洲というエリアで過ごしておりました。
昨今取り沙汰された"盛り土"で有名な豊洲です。

コドモの頃自分の住んでいる場所からアッチ(台場)に行く手段があったかなぁと考えると…バスで「有明テニスの森」か「深川車庫」までだったはずなので自転車か自動車でしか行けなかったと思います。

基本的に港があって、倉庫があって、大きい広場と空き地…しかなかった。僕の記憶はそうです。

今、ゆりかもめの東京ビッグサイト駅から台場の間の車窓を観ると、大型貨物線やタンカー、クレーンが見え、確か客船ターミナルもあったような…。
そこは昔のままな気がしますが、主に空き地が展開されているのが"13号地界隈"と記しても過言ではないかと。

当時の様子は「踊る大捜査線」の一番最初のシリーズをご覧頂ければ、ある程度の面影を感じられるかもしれません。

これは平成9年(1997年)のドラマだったんですねぇ。
既にゆりかもめがあります。ちょうどこの頃にフジテレビが移ってきましたから、僕が言っているのは"それよりも前"の話です。
ドラマの舞台である湾岸署付近は作中で"空き地署"と揶揄されていた通り、平成になっても空き地だらけ(笑)

そんな所に何しに行ったのかと言うと、
キャッチボールだったり、凧揚げだったり、
バトミントンだったり…と、広大なスペースで思い切り出来る事をしておりました。

当時コンビニはあってもそこらじゅうにはありません。
お弁当を作ってもらって父と弟と3人でここまで漕いで、先に挙げた事をしたり弟と冒険や探検をして回りました。
野山を駆け回るほどではないにしても当時は野草が群生していたので、ケガをした時にド田舎出身の父が謎の葉っぱを揉み込んで患部に当ててくれた事を覚えています。

そんなに知られていない土地だったのか人はほとんど居らず貸し切りに近い状態で、飽きもせず日中遊び倒し、
虫を捕まえたりとか、林に入って棒を振り回し駆け回るような事をしてましたねぇ……。

また有明や台場は割と釣りも出来たので、そう云う遊びも教えてもらいました。
確か有明コロシアムより東雲側に釣具屋さんがあって、初めてそこで釣り餌(ゴカイ?)を見た途端ヤル気を無くしたのも覚えています(笑)

港湾局が出した画像にしますと、

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これが…

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こうなるのです、たった10年数年くらいで。

遊んでた場所はさすがに写真にはありませんで、すみません。

家からはバスでも電車でも大体20分くらいにある台場。かなり便利になった上更に豊洲も開発されて、何不自由ない街へと進化した事は喜ばしい……けれど。

昔の姿がほとんど無いのは寂しいものです。
そう云う意味では、卒業した学校が廃校になったみたいな喪失感と似ているのかもしれません。

実のところ意外に"変貌した街"はいくつもあるはずです。僕も今回のコラムを書くに当たって写真等を調べると色々出てきて懐かしめました。

是非皆さんにも思い出の場所の昔の姿を探してみて欲しいなと思います。

結構面白いですよ?


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