見出し画像

合唱がしたい

合唱が好きだ。好きになった経緯は書くと長くなるので割愛する。

合唱が生きがいである。気が付いたのは歌が自由に歌えなくなってからだ。人間皮肉なもので、ものごとが普通に出来ている状態を幸せと感じることは中々難しく、あのときは幸せだったなと回顧することのほうが得意だったりする。

この文章は私が合唱を聴き泣きながら勢いで書いていることを心に留めてご覧いただければと思う。

合唱ができていない理由は主に二つ、①コロナ ②住環境である。

①コロナ
今年度新社会人になると同時に、所属していた合唱団から抜けることとなった。再び合唱するためには新たな所属合唱団を探さなくてはならない。幸い所属できる団がいくつかあったが、コロナで練習が中止になっている。
社会人になったらいろんな団に見学に行って歌いたいところを探す気満々だったのだが、この情勢のため、練習を継続している団体であっても新たなメンバーを募集するのはリスクが高いだろう。自分としても今全く知らない方々の団体に見学を申し出る気にはなれない。

②住環境
住んでいる家の壁が薄い。これは私が合唱に壁を感じてしまう大きな要因となっている。隣人の邦ロックのベース音(だけ)が私の居住空間に鳴り響く。百歩譲ってベース音は今や順応しているので別にいい。問題はベース音が響くことと私が声を張ってラテン語を歌うことに私が理論づけをしていることだ。ベース音がこれだけ聞こえてくるなら私の歌声が隣人に聞こえないわけないだろう。本当に聞こえるのか試してみたいけど絶対無理。試せたらついでに私の部屋にどれだけベース音が響いているのかを隣人に聞いてもらいたい。でも歌うのは癖になっているのでたまに声量を抑えて歌っている。声を響かせないように歌うと発声に変な癖がつくので本当に嫌。合唱活動が再開できることになっても音を取り練習をするのに不安があるのはすっきりしない。防音室購入を検討したいと思う。

合唱がしたい気持ちは時が経てば薄れてしまうのだろうか。

合唱が好きである自分 は自分の中で数少ない自信を持てるところなので絶対失いたくない。失くしたら自己喪失しそうだ。
それと今思ったが私は合唱自体が好きであるし、同じくらいかそれ以上に合唱でできた友人のつながりをとても愛おしく思っているのである。
先日とある演奏動画を聴いていたら聞き覚えのある声がしたので調べたところ、もう連絡をとっていない当時の後輩がその演奏で一メンバーとして歌っていた。「名前だけしか思い出せないけど、歌を教えたあの子がまだ歌ってくれているんだ」と感動した。相手にとっては私が合唱を続けていようがいまいが知ったことはないが、私はそういう時ひとりでとてつもなく嬉しくなる。自分が合唱を続けていて、再び君とつながれてよかったと思える。

「合唱を聞くことは相手を知ることにつながる」合唱の楽しさを教えてくれた、自慢の友人が書いた言葉だ。私は一人で生きていけるほど強くないから、救ってくれた歌と人に、もっとずっと精神的に縋っていたい。そうやってこれからも希望を求めていきたい。

涙が収まった。

起承転結もない記事の末筆になって、生きがいができてないの大ごとじゃない!?生きてる甲斐なしじゃん!?と思ったので、カラオケで発声をする、誰かと声を重ねる、ことから始めたい。防音室も欲しい(スペースがない)。

絶対に合唱を諦めません

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?