月光の波間 1章 始まり

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彼の生活は異国ではなく、この田舎の港町にある。彼はこの町で風呂に入る。彼はこの町で食べる。彼にはこの町に知人がいる。後は仕事だ。彼はこの町で働いていることは確かだ。彼の風貌は働く男そのものだった。働いていることは間違いない。しかし、それが一体どんな仕事なのかはわからない。私が今わかることは、彼がこの町で働いているということだけ。

気がつくと、私は次から次へと湧き上がる「知りたい」という欲求に完全に支配されていた。しかし支配されているものの、そこにはストレスはなく、心地よい中毒性のある刺激だった。それは脳を刺激し、快感を全身に与え、そして私の全てを支配し始めていた。

次の日も私は東京に戻らず、朝早くから彼の家の近くをうろついた。この辺りは冬でも風さえ吹かなければ、温暖な1日を過ごせる。今日もいい天気だ。ふと、昔富山出身の友人が、「東京に来て驚いたことの一つは、冬に洗濯が外に干せること。」と言っていたのを思い出した。私はこの温暖な港町で育ったため、一年で太陽が出ない日々が続く町について想像がつかない。そのせいか未だに天気の悪い日が続くと気分が滅入ってしまう。結局、私は本当の冬を知らないからかもしれない。そして、本当の冬を生き抜く精神力も気力もない。本当の冬を知らなくても生きることはできるが、本当の冬を知らないで育ってしまった私と、本当の冬の中で生きてきた友人とでは、”私”を形成する小さな何かが違っていることは確かだった。それを気質とか、また別の言葉で表現されるかもしれないが、キラキラと凪いだ太平洋が私にとっての海であり、友人にとっての荒れ狂う冬の日本海は映画や小説といった異次元の海にすぎなかった。だからこそ、千葉で育った私と、富山で育った友人の”気質”の違いとは、海への認識の違いであると言えば、すとんと納得できた。

海の影響が今よりもずっと強かった時代、この町の人たちは海のおかげで生きていた。そしてその時代、友人の町の人たちは海に生かされていたのかもしれない。彼女の町では海が生き抜く者を選別し、海が生きることを認めない人たちは消えていくといったような、そんな空気で満たされていたのかもしれない。しかし、今海の影響はずっと弱わまり、誰も海について考えなくなっている。海からの影響が小さくなったせいで”気質”も薄まり、どこで生まれても、どこで育っても同一のようになっている。きっとこれから、もっともっとみんなが同じになり、気がつけばみんな同じになっていくだろう。

しかし、彼らは違う。決して同一になろうとしてもなれない。根本が違うのだ。彼らの持つ”私”の中の核が全く異なるのだから、同一になんてなれるわけがない。だから、ひっそりと暮らしていても、一度見つかってしまうと、決して隠れることなんてできない。

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