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子育てエルフ千年の戦い

 尖った耳の先が、まだ「音」にはならない振動を知覚した。ラジは砂まみれの寝台から身を起こした。砂漠の向こうに明け方の青白い空が見え、その端に小さな埃の塊のような土煙が見える。ラジは美しい顔に浮かぶ表情をまったく変えず、あれが全速力で走っているとしても、ここに着くまでに半時は掛かるはずだと計算した。

 計算しながら彼の身体はほとんど自動的に起きて動き出していた。棚から煮沸済みの哺乳瓶を二つ取り、タンクのヤギ乳を注いで吸口を取り付ける。熾火になっていたストーブに薪を足し、その上に掛けっぱなしの鍋の湯を沸かす。鍋の蓋には穴が二つ開いており、そこに哺乳瓶を差し込むと、瓶が半分ほど湯に浸かった状態で固定された。

 双子の右側を取り出し、おむつを替え、揺り籠に戻して手足を固定する。続いて双子の左側も。温まった哺乳瓶をそれぞれに咥えさせ、腕を固定している革紐の余りで瓶も固定する。

 時間が無い。

 三歳と五歳を起こす。三歳は言われる前から支度を始め、食料棚から乾いたパンを持ってくる。物覚えが良く、性格も胆力がある。惜しいのは感染症に弱いことだ。今朝も耳障りな咳をしており、首に咳止めの湿布を巻かせると不愉快そうな顔をした。
 五歳にはもっと大きな問題があった。いまだに自分で靴を履けず、しょっちゅう下も漏らすし、言葉の習得も進まない。この子供は三倍という名前だった。攫ってくるために二人のエルフの戦士が死んだ。成長して三人分働いてもらわないと、元が取れない。しかし三倍どころか、この調子だと半分以下になりそうだった。

 双子の左側が乳を吐き戻し、つられて五歳もパンを吐き出した。ラジは構わず、二つの揺り籠をそのままソリに積み、空いた隙間に三歳と五歳とそれぞれの食べかけのパンも詰め込んだ。

 壁に掛かっていた大弓と革手袋を取る。


 土煙が大きくなり、はっきりと耳に聞こえる轟音が始まっていた。

(続く)


#逆噴射小説大賞2022