自分のなかにあるいくつかの自分について。


自分のなかには、たしかにいくつかの別の自分がある。それを多重人格といってしまうにはおおげさだけど、おおまかにわけると「ひらけた自分」と「とじた自分」と、その中間の自分、の3つだ。

「ひらけた自分」とは、仕事をしているときの、いわばオフィシャルな自分である。社交的であろうとしていて・落ち着いた調子で、すらすらとことばを話すこともできる。「ひらけている」ときには自分でも自覚があって、なんだか目の奥のほうからものを見ているような感じがする。わかってもらえる自信がないのですが、俯瞰的になれている自覚があるというか、そういうとき「ああ、今ひらけてるなぁ。」と思うのだ。

仕事なのにうっかり「ひらけた自分」になりそこねてしまうと大変で、たいがいなにかしろの失敗をしたり、言いたいことを言えなかったりする。たまに、どうやって「ひらけた自分」になっていたのかを忘れてしまうのである。それで、ようやく最近「目の奥のほうからものを見ているような感じ」に気づいて、もう忘れてしまわないようにこの話を書いている。


自分のあいだを行き来するには、すこしの準備が必要だ。落ち着いてコーヒーを飲んだり・たばこを吸ったり・少し目をつむったり。ラジオのチャンネルを合わせるようにカチカチと、チューニングするのである。夜になるとお酒を飲みたくなるのも「ひらけた自分はおしまい」という、合図のようなものを意識しないうちに求めているのかもしれない。


「自分のなかにいるいくつかの自分」というのは、たぶん誰のなかにでもいるんだと僕は思ってる。でも、こんな話ってなかなかすることもないから、こんど誰かにしてみよー。


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