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「優しい無関心」と東京。


僕が東京を好きな理由のひとつに、「無関心さ」というのがある。ここに住む人たちはいい意味で周囲の人間に関心がない。電車の中で赤ちゃんが泣いていても、酔っ払いが歌っていても、カップルがキスをしていたって知らないふりをする。道で誰かがころんでも、それを恥ずかしそうにしていればできるだけ周りのみんなでなかったことにしてあげる。もちろん、もし助けを求められればほとんどの人は手を貸してくれるだろう。

「東京は冷たい人が多い」というのはその無関心さを指しているのかもしれない。けど、僕はこの街に来て「人の冷たさ」を感じたことはほとんどない。街の人も、駅員さんも、コンビニの店員さんも、田舎よりずっと親切であるとすら思う。東京は冷たいのではなく、寛容なんだ。


少し前に、デタッチメント(detachment)ということばを知った。「無関心」という意味だそうで、その単語を調べると「デタッチメント 優しい無関心」という映画が見つかった。これがどんな映画かはわからないけれど「優しい無関心」というのは、僕が東京を好きな理由のひとつとしてすごくぴったりくることばだった。

無関心であることが増えると、関心のあることをさらに深く思うことができる。特に自分が苦手だと思っていることや、揺さぶられやすいと思うことに対して無関心になれることは、言い換えればそれらに対して寛容になれることでもある。

いい意味でいろんな人や物事に対して無関心、寛容であること。情報や状況にふりまわされないために心にとめておくべきことなのかもしれない。優しい無関心は、たしかにある。

 

 

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