ていねいに暮らすよりも、ていねいに暮らそうとすること。

 
「ていねいな暮らし」を指南する本やメディアはたくさんあるけれど、そういう人たちはほんとうにていねいな暮らしをしているんだろうか?というのはけっこうたくさんの人が抱くギモンだと思う。
 

料理の写真を撮っているあいだに料理、冷めてしまわない?とか、やっきになって必要なものまで捨ててしまってない?とか。
そもそも、ていねいな暮らしというのは、それを企んでするものでもないような気もする。
 

それでもそれなりにたくさんの人たちがていねいな暮らしをしたいと思うのは、たぶん、「ていねいに暮らそうとすること」で見えてくることが多いからじゃないだろうか。

ていねいに暮らそうとすると、こころにゆとりを持とうとするようになる。言葉づかいや所作に気をくばろうと思うようになる。自分に必要なものをみきわめてお金をつかおうという気になる。
 
そんな「〜しようとする姿勢」こそが、ていねいな暮らしの提案から受けとれるものなんじゃないかと思う。そして、「〜しようとする姿勢」でありつづけることが、本当の意味でていねいな暮らしにつながっていく。
 

本当に必要なのは、どう暮らしているかというより、どう暮らそうとしているか、なんじゃないでしょうか。

 
 
 

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