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Hackerとは何か - 『ハッカーと画家』から考察する -

みなさん、こんにちは。
Acompanyという会社でCSO(Strategy)をしております堀尾と申します。

今回は、毎年恒例の年末に行われる Advent Calendar 2022 の中の記事です。今日で22日目になりました。ここでは年末だからこそ、少し思索に耽りながら書いてみたいと思います。

原点について考える。

昨年12月に、Acompanyのバリューについて生産性という観点から書きました。今年も同じようなテーマについて、少し違った角度から書いてみたいと思います。

改めて、Acompanyには創業以来のバリューとして、以下のものを掲げております(下の記事では、代表の高橋さんがバリューについて書いています)。

Be Cool. Be Hacker.

このバリューが意味することはこれまでにも書いてきましたが、今回は、そのバリューの背景について少し探求できればと思います。

その時バリューが生まれた。

このバリューの原型が掲げられた2019年当時、自分はその場に居合わせました。結構、その時の雰囲気はよく覚えているのですが、私たちの拠点がある名古屋の喫茶店文化の象徴とも言える「コメダ珈琲店」で代表の高橋さん、副代表の近藤さんとバリューの原型について話しました。

高橋さんと近藤さんが2人でじっくり話をして、どういう会社を作りたいかを考えてきたから、見てほしいという経緯でした。いわゆるデジタルのメモ帳のようなものに色々と文章や箇条書きの並んだものがあったと記憶しています。

そのテキストを一通り読んだのですが、そこには「大学の研究室みたいな場所にしたい」「「『ハッカーと画家』に影響を受けた」というようなことが書かれていました。「大学の研究室」というのは、高橋さん、近藤さんお二人のバックグラウンドからも来ていましたし、当時参照点にしていたGoogleのイメージからもきていました。そのイメージとは「自分たちで自分の場所を作りながら」「自分の研究領域を高め合う」「才能のある人たちが集まる」ものでした。ここに含まれる考えは、これまでいろいろな点でAcompanyに見られてきたもので、最近、会社のnote記事で出されたものとも通じるとも思います。


『ハッカーと画家』

もう1つキーワードとして出てきた『ハッカーと画家』(正しくは、副題に『コンピュータ時代の創造者たち』と付きます)というのは、ITエンジニアやITスタートアップで働く方なら誰もが知っている名著のことを指しています。

本の内容としては、Amazonサイトには以下のように書いてあります。

本書の著者Paul Grahamは、LISPプログラミングの達人であると同時に、後のYahoo!Storeとなるソフトウェアを作り、ベンチャー創業者として大きな成功を収めたことで知られる。本書でGrahamは、コンピュータが大きな役割を担う時代において、いかに発想を広げ、美しいものを設計し作り上げるかを、さまざまな切り口から大胆に考察している。インターネット上で大きな話題となったエッセイを書籍化。

『ハッカーと画家 コンピュータ時代の創造者たち』Amazon購入サイト

著者のポール・グレアムは、コンピュータ・サイエンスの博士号を持ち、プログラマーでもあり、のちにYahoo!に買収されるインターネットストアサービスの創業者として有名です。それ以外にも哲学で学士号を取り、デザインスクールで絵画を学ぶなど異色のキャリアを歩んできた人物でもあります。スタートアップ界隈では、Y Combinatorという米国のアクセラレータの設立者として、ブログ、講演などが引用されることでご存知の方も多いと思います。

この『ハッカーと画家』はグレアムが自身のブログで書いてきたエッセイをまとめたものになっています。
http://www.paulgraham.com/articles.html

そのため、英語版であれば本人の発信したものを直接無料で読むことができますし、日本語版もどなたかが翻訳したものを手にすることができます。https://gist.github.com/sifue/b6506ea6b3f3d3a46a0c3bb885cd5ddf#file-md


再読。

私自身も、学生時代の就職活動でITベンチャー企業の選考を受けていたこともあり、この本自体をお薦めされる機会は多かったですし、元々はプログラマーとしてWebアプリケーションの開発をしていたため、ある程度は読んでいました。創業者のお二人から見せられたメモを読みながら、「言いたいことは分かります」と話していた記憶があります。

ただ当時はそこまでの目的意識があって読み込んでいたわけではないため、改めてこの機会に『ハッカーと画家』を読み直し、実際に何が書かれていて、今のAcompanyに繋がっているところはないかを考えてみたいと思いました。全部含めると膨大な量になってしまうため、今回は本書の中心とも言える以下の2つの章を振り返ってみたいと思います。

  • 第1章:

    • どうしてオタクはもてないか―彼らはゲームに乗っていない。

  • 第2章:

    • ハッカーと画家―ハッカーは、画家や建築家や作家と同じ、ものを創る人々だ。


第1章 ”Why Nerds are Unpopular” の考察

オタク・・?モテない・・?

こんな単語が並んでしまうと、SEOか何かに引っ掛かって炎上対象にならないかと心配になりますが(自意識過剰)、この本の内容で面白いなと思う点に、「オタク(nerd)」という表現があるなと個人的には思います。なお、ここでのオタクは、「面白くないやつ」「くそまじめなやつ」を意味しており、日本でたとえば『電車男』で取り上げられたような「オタク文化」とは少し異なります。その点では、日本語訳するときには、英単語そのままに「ナード」と表した方が適切かもしれません(以下では、ナードと書いています)。

ナードという言葉は、もともとは絵本作家ドクター・スースの作品から来ている。[『If I Ran the Zoo』 (1950)に登場する怪物の名前。そのうち、「drip(面白くないやつ)」「square(くそまじめなやつ)」を意味するスラングとして使われるようになった]。

『英語の「オタク」:ギークとナードの違いは?』WIRED 2009年7月28日

こうした話(いわゆる自己啓発ジャンルに当てはまるようなもの)では、なんと言いますか、耳ざわりのいい表現が並ぶことが多いです。ただ、グレアムの文章を読んでいると、非常に素直というか、結構辛辣なところも出てきて、彼の価値観が如実に表れている箇所だとも言えます。

ここで書かれていることは、ナードと頭の良さと人気者との相関関係についてです。「頭のよさとナードになることの間には、強い相関関係があって」、「ナードになることと人気者になることの間には、それ以上に強い負の相関関係がある」、つまり、「頭がいいと、人気がなくなるよう」だと書いてあります。

そして、どうして強い負の相関関係があるかというと、ナードは「人気者になろうとしてない」からで、かつ「頭のいい人間になること」を目指してるからだと言います。「頭のいい」という表現も本文では少し直接的な訳になってしまっていますが、意味しているのは、「何かしら優れたことを成し遂げようとすること」です。そして、優れたことを成すことが、労力を必要とする「人気者になること」よりも優位になってしまうことも意図しています。

(訳)もっとなりたいものが他にあった。それは頭のいい人間になることだ。学校の成績だけじゃない。それももちろん少しは関係あったけど、信じられないようなロケットを設計したり、うまい文章を書いたり、コンピュータのプログラム方法を理解したりするには、頭がよくなきゃ始まらない。一般的にいうと、すごいものを作れることが頭のよさの何よりの証拠で、定義としては、受動的な IQ テストよりも、そっちの方がずっと正確だ。

(訳)ナードに人気がない主な原因は、彼らには他に考えることがあるという点だ。興味の対象は本だったり、自然界だったりするけれど、ファッションやパーティだったりはしない。

”Why Nerds are Unpopular”

内向性が強みになる。

正直、私にとって『ハッカーと画家』で一番面白かったチャプターはここでした。おそらく、なんとなく学校に通っていた頃の実体験のようなものと重なるところがあったからかもしれません。本文でも似たような表現が出てくるのですが、学校社会で広がるなんとなくの「人気」取りのような空間に馴染めない時はあると思います。

ただ、本文では学校社会(high school)を卒業して実社会(the real world)へと飛び出ると、ナードに対する風当たりが柔らかくなるとも述べています。それは、実社会がより開かれており、閉じた空間での人気投票ではなく、自分の行動、正しい答えが直接影響力を持つようになるからです。

(訳)実社会では、ナードへの風当たりがずっと柔らくなるのはどうしてだろう?(中略)僕のみるところ、実社会に関して重要なのは、大人で構成されているということではない。とても広大で、さらに自分の行動が現実的な影響力を持っているという点だ。

(訳)自分のやることが本物の影響力を持つようになると、楽しいだけではすまなくなってくる。正しい答えを出すことが大事になってくるんだ。そして、これこそが、ナードが優れている点だ。当然、ビル・ゲイツのことが思い浮かぶだろう。社会的スキルのなさでは悪評高いが、彼は正しい答えを出す。

”Why Nerds are Unpopular”

この章の後半では、このようにナードを擁護する形で、学校社会を批判していくグレアムの文章が続きます。

(訳)今の自分たちが置かれた状況を理解するだけでも、痛みはやわらげられるはずだ。ナードは負け犬じゃない。ただ、人とは違ったゲームを、しかも実社会に近いゲームをプレイしているだけだ。大人はそれを知っている。今成功している大人で、高校時代の自分はオタクじゃなかったと言い切れる人はめったにいない。

”Why Nerds are Unpopular”

ここの文章を読みながら、数年前に話題になったスーザン・ケインの「内向的な人」に関わる議論を思い出しました。ケインも同様に、自身の体験から、学校社会では外向的であることが求められ、内向的であることを否定されやすい話をしています。そして、社会に目を向けた時には、内向的な人はむしろかなりの割合でいて、だからこそ内向的とはどういうことかを理解する必要があると説きます。

内向的なのがどういうことか理解する必要があります。(中略)内向的な人はもっと静かで、目立たない環境にいる方がやる気になり、生き生きとして能力を発揮できるのです。(中略)だから、みんなが持てる才能を最大限に発揮できるようにする鍵は、その人に合った刺激の中に身を置くということなのです。

スーザン・ケイン 「内向的な人が秘めている力」TED

もちろん、内向的・外向的の議論は、あくまで傾向の話であって、この中間地点に位置しながら行き来するような人もいますし、ケインは「社会全体として両者をもっとうまくバランスさせる必要がある」とも言います。そして、このバランスが時に創造性や生産性が発揮される場面で重要になるとし、孤独が得てして創造性の重要な要素になっていると過去の内向的な人の分析から紹介しています。

しかしながら、現代社会は実際にはSNSやメディアなどの影響もあって刺激が増加していて、多くの人々が集まって都市を形成する中で、自らの能力を他の人にアピールすることにより意識を傾けなければならなくなってしまいました。この点は、グレアムの「人気」取りと非常に近いものを感じます。だからこそ、私たちが意識して、「内向的な人が自分に合ったやり方でできる」ようにする必要があるとケインは説いています。

農業経済から大企業中心の世界へと発展し、人々は急速に小さな町から都市へと移り住むようになり、子どもの頃からよく知っている人たちと一緒に働く暮らしを捨て、知らない人の集団の中で自分の能力を示さなければならなくなりました。そして必然的に魅力やカリスマ性のような資質が突然重要になったのです。

私が言っているのは、内向的な人がもっと自分に合ったやり方でできるようにすれば、彼らがそういう問題に独自の解決法を考え出してくれる可能性が高くなるということです。

スーザン・ケイン 「内向的な人が秘めている力」TED

少し長くなってしまったのですが、ここまで書いてみて、グレアムが書いた「ナード」は、ケインの述べる「内向的な人」に近く、この人たちの創造性をいかに発揮しやすくするかに焦点が置かれています。

そして、よくよく考えてみると、高橋さん、近藤さんが当時メモ帳に書いていた「大学の研究室のような場所」も、ある意味ではこの創造性の議論に近いのではないかとも思います。大学の研究室というのは、基本的には、自分が探求したいものに向き合いながら、自分たちの好きなように空間を設計し、自分たちが立てた目標なりペースで進めることを含んでいるからです。

ここの章では直接的にナードとハッカーを繋げていませんが、『ハッカーと画家』を読む限りでは、ナードとハッカーの2つは繋がっていると感じます。実際ハッカーの代表格とも言えるような存在として、グレアムはMicrosoft創業者のビルゲイツを、ケインはApple創業者のウォズニアックを紹介しています。ここのナードについてのグレアムの書きっぷりのおかげで、ハッカーの性質を多角的に理解することができるような気もします。そして、ケインの解説を踏まえれば、誰もがここでの「ナード」のような部分を持っており、その性質をどのように工夫できるかと考えることもできます。

第2章 "Hackers and Painters" の考察

ハッカーとは何か。

最初に簡単に定義に触れておくと、「ハッカー」と呼ばれる表現は、一般的には以下のような意味で用いられることが多いです。『ハッカーと画家』では、この意味に沿いながらも、もう少し広い意味へと展開しようとしています。

コンピュータとネットワークに関する卓越した技術と強い関心をもつ人。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

この"Hackers and Painters"の章では、大学院で計算機科学を専攻し、アートスクールに通って絵画を学んでいた著者グレアムにとって、両者の共通点を探すところから始まっています。そして、「良いものを創る」という共通点が紹介されています。

(訳)どうやら、ハッキングと絵を描くことは全然違うものだと思われているらしい。ハッキングは冷たく、精密で、几帳面なものであるのに対し、 絵を描くことは、なにか原始的な衝動に駆られた表現だと考えられているようだ。(中略)そのイメージはどちらも正しくない。 ハッキングと絵を描くことにはたくさんの共通点がある。 実際、私が知っているあらゆる種類の人々のうちで、 ハッカーと画家が一番良く似ている。

(訳)ハッカーと画家に共通することは、どちらもものを創る人間だということだ。 作曲家や建築家や作家と同じように、ハッカーと画家がやろうとしているのは、 良いものを創るということだ。 良いものを創ろうとする過程で新しいテクニックを発見することがあり、 それはそれで良いことだが、いわゆる研究活動とはちょっと違う。

"Hackers and Painters"

ハッカーと画家の共通点は、もの創りの過程にも見つけられます。科学者が完璧な仕事から始めようとするのに対して、ハッカーは最初から独自の仕事をし、下手くそであっても、次第に変更や修正を加えながら学習していきます。

ハッカーがハックしながら学ぶという事実は、 ハッキングと科学がどれだけ違うかということを示すもう一つの手がかりだ。 (中略)ハッカーは、最初から独自の仕事をする。 ただ、最初はへたくそだろう。ハッカーはオリジナルから始め、上手になってゆく。 科学者は上手になることから始め、オリジナルになってゆく。

この点で絵画から学ぶことができる。 私はハッキングもそうあるべきだと思う。 プログラムの仕様が完璧であるなんて期待するのは非現実的だ。 そのことをまず最初に認めて、仕様がプログラムを書いている最中に変わっていっても、それを受け入れられるような書き方をすべきなんだ。

"Hackers and Painters"

ハッカーの活躍する環境

またこの章で、グレアムはハッカーにとって勝負するのに良い場所を紹介しています。その代表例としてスタートアップ企業が挙げられています。さらには、自身で企業を作ることにも触れられています。ここで言わんとしていることは、ハッカーと画家にとっては基本的にイチから細部までデザインしていくことが必要なため、それを実現できる新しいマーケット、新しい組織がぴったり合うという意味合いになります。

デザインで勝負する良い場所は、誰も防衛を確立していない 新しいマーケットだ。そこでならあなたは、 大胆なアプローチによるデザインと、そして同一人物がデザインと実装を受け持つことで、大きく勝つことができる。マイクロソフトだって最初はそこから始まったんだ。アップルもそうだし、ヒューレットパッカードもそうだ。恐らくどんな成功したベンチャーもそうだと思う。

だから、すごいソフトを書く方法のひとつは、自分でベンチャーを作ることだ。 でもそれにはふたつ問題がある。 一つは、ベンチャーを作ると、ソフトを書く以外のことをたくさんやらなくちゃならないということだ。
(中略)ベンチャーの問題のもうひとつは、書くのが面白いソフトが金になるソフトであるということが滅多にないということだ。プログラミング言語を書くのは面白いし、実際、マイクロソフトの最初の製品はそれだったわけだが、今となっては誰もプログラミング言語には金を出さない。金を儲けようと思ったら、誰もただではやりたがらないような 危険な問題に取り組まざるを得なくなる。

"Hackers and Painters"

ハッカーには、共感と説明も必要。

グレアムはハッカーの説明をする際に、何度も「共感」について触れています。この点は非常にユニークなところだと思います。ソフトウェアエンジニアの話をしているのだから、技術について話をするのかと思ってしまうのですが、技術を通じて誰かが「使うもの」を作るわけだから、ユーザの視点、他者の視点からものを見れるようにならないと説きます。

絵画と同様、ソフトウェアも多くは人間が見て、使うものだ。だからハッカーも、画家と同じように、ほんとうにすごい仕事を為すには、共感する力が必要だ。ユーザの視点からものを見られるようにならなくちゃいけない。

私は子供の頃、いつも、人の身になってものを考えなさいと教えられた。実際にはそう言われる時はいつでも、自分のしたいことじゃなくて 他人の望むことをしなさい、という意味だった。だから共感なんてつまらないものだと思って、私はそれを磨こうとはしなかった。

だが、なんてこった。私は間違っていたんだ。他人の身になってものを見るというのは、本当は成功する秘密だったんだ。それは自己犠牲を意味するとは限らない。他の人のものの見方を理解することは、あなたがその人の利益のために行動しなくちゃならないということには関係ないんだ。

多くのもの創り達は、人間に観られ、受け取ってもらえるものを創る。観客をひきつけるには、観客が何を必要としているかを理解しなくちゃならない。(中略)
共感能力は、おそらく良いハッカーと偉大なハッカーの、たった一つの最も重要な違いだろう。 ハッカーの中には非常に賢いが、共感するということにかけては全く自己中心主義の人々がいる。たぶんそういう人が偉大なソフトウェアをデザインするのは難しいだろう。ユーザの視点でものを観ることができないからだ。

"Hackers and Painters"

そして、共感の具体的な表れ方として、「説明」についても述べています。私はここの文章を読んだ時に、高橋さん、近藤さんの姿が頭に浮かびました。というのも、二人ともアプローチは違えど、私が知らないような技術のことについて当時から非常に分かりやすく説明してくれるタイプだったからです。また、どちらかと言えば技術から少し遠いところにいる自分にとって、技術の現実的な限界地点まで見極めているようにも見えました。

共感能力の良さをみるひとつの方法は、その人が 技術的知識の無い誰かに技術的な問題を説明する様子を観ることだ。たぶん、他の点では優れているのに、そういう説明になると滑稽なくらいへたくそな人を、誰でも知っているんじゃないか。

ソフトウェアがやらなければならないことのひとつに、自分自身を説明するということがある。だから、良いソフトウェアを書くには、ユーザがどれだけ何も知らないかということを理解する必要がある。ユーザは何の準備もなくやって来て、いきなりソフトウェアに向かい、マニュアルなんか読もうともしないだろうから、ソフトウェアはそういう人が期待するように振舞うのが良い。(中略)ソースコードもまた、自分自身を説明すべきだ。

"Hackers and Painters"

ここの「共感」と「説明」の箇所は、Acompanyのバリューにとってもより理解が増すようなところなのではないかと思いました。美しいもの、良いもの、使うものを創る立場に立つのであれば、バリューに掲げるHackerは、他の人との関わりを含めたCoolの要素を持つことになるからです。具体的には、「相手にとってわかりやすいコミュニケーションをする」「積極的にメンバーに改善策をフィードバックする」という点がありました。

"Be Cool."と"Be Hacker."はもちろん違うことを表しているのですが、双方はよりよい組織、よりよい商品を創る上で補完関係にあるのではないかとも思います。

まとめ:性質と場所が組み合わさることで、才能は発揮される。

以上、『ハッカーと画家』の考察を進めてきました。今回再読して気づいたのですが、まず最初に「何かを成し遂げる」「美しいものを創る」「よりよいものを創る」という出発点がハッカーの意味するところには含まれています。

そして、そのことをあまりにも直線的に考えていないところが、この本の面白さでもあり、含みのある点だとも感じました。今まで振り返ってきたように、何かを成し遂げようとする出発点から始めた際に、そこに愚直に向き合う人はもしかしたら一定の性質を帯びてしまうかもしれません。この本では、それを「ナード(Nerd)」もしくは「オタク(本書訳)」として捉えてきました。ケインの言う「内向的」とも近いです。

こう言ってしまってはなんですが、私自身も昔からナードなところがあり、内向的なところが多かったなと感じました。小学校の頃には、時間を忘れてオリジナル漫画のキャラクターを描いてた時期もありましたし、高校生あたりから本を読んでは考えてこんでしまう性格でした。だからと言って、Hackerになれているとはもちろん言い切れません。Hackerとは、そういう意味では目指し続けていく先に位置するものだとも思います。

そして、そんなナードの性質を持った自分にとって、Acompanyには創業以来から内向的な部分での共鳴を感じる点内向的な部分を補完し合う関係性があるようにも思います。具体例として挙げるなら、高橋さん、近藤さんと議論を進める時に、そのような感覚になることが何度かありました。お互いが深く考えられるようなところに入って、共通点である「より良いものを創る」というところに向かって、内向的なモードに入れる感覚です。だからと言って3人とも内向的な部分ばかりでもなく、むしろ外向的な部分も結構あって(私以外の2人は私から見ればそうで、私自身もそうだと信じたいですが…笑)、それらが補完関係にあるところも面白いと思いました。

この点は、もちろん他の方との関係性でもAcompanyでは感じることがありました。なにより、そうした関係性と言うのか、場と言うのかがあることによって、自分の内向性は当たり前ですが発揮されています。

『ハッカーと画家』の今回取り上げた2つのエッセイは、とりわけそういった「場」の重要性を伝えているようにも思います。Be Cool. Be Hacker.というバリューは、当然、個々人が目指すものとして定義されている一方で、もしかしたら、それを実現する「場」の存在が大きいのではないか。そんなことを考えるきっかけになった考察でした。

おわりに

かなりの長文になってしまいましたが、ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

今回の投稿をきっかけにAcompanyに興味を持っていただけた方、もう少し広いところ(場や組織など)で面白いと思っていただけた方、Acompanyではカジュアル面談というお話できる形がありますので、お気軽にご一報いただけると幸いです。

それでは、よいお年を。


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