2020年1月22日

このnoteは長くなります。

はじめに

今日という日のことを私はずっと忘れないと思う。
10年前、5年前、1年前のどの私でも想像出来ないとても幸せな日を迎えています。

本日1月22日は私が彼と付き合いはじめて丸4年たった記念日です。

そして、大好きなグループたちのデビュー日となりました。

彼はきっとネットとかには弱いから見つからないと信じて今まで余りしてこなかった話をしようと思います。(間違っても拡散はしないで…)
今までは、別れたときに見たら恥ずかしいなとか思ってほとんど彼氏とのことをどこにも投稿していませんでした(最近はちょっとしてるけど)。でももう恥ずかしいとか思っていられないほど私の人生を語る上で欠かせないことになっている気がするので書き残しておこうと思います。(黒歴史どんとこい)
でも、まぁ別れたそのときには誰か私と一緒に何処かの海へいって「非リアの夜明けだ~」と叫びに行こう。よろしくお願いします。

出会い

出会いは高専入学時のクラス。
出席番号も前後でなんともまぁ活性化エネルギーの低い出会い。

そして、はじめての定期試験。入学直後のテストでクラスの半分くらいの順位だったのでたいして順位は期待していなかったけれどなんと2位で、嬉しかったけれどそうなると気になるのは「誰が1位なのか」ということ。
まぁ、1位は彼だったわけです。
そこで私は「こいつは私のライバルになるんだ、ずっと」と直感的に思ったのです。

出席番号の関係から実験を一緒にやることが多くて実験のこととかずっとLINEでやりとりをしていました。
普通でいけば冬休みとかは連絡をとる必要がなくなるわけです。でもなぜか彼の好きなアイドルの話とかでなんやかんやとLINEが続きお互いに腹のさぐり合いを続け、今見ると恥ずかしすぎる駆け引きをして(本当に見るに耐えない)付き合うまでになりました。全てのフラグを丁寧に回収していった結果ですね。
彼氏の作り方なんてもうずっとしてないので分からないですが1つ言えることがあるとしたら「単純接触効果に勝るものはねぇ」ってことです。

高専時代

結局、5年間クラスが一緒だった私たち。高専の5年間の半分以上付き合っていたわけです。
クラスメイトの皆様には多大な迷惑をおかけしたことと思います。皆さんのご協力のおかげでなんとか今日まで続いております。
私がドライすぎたので、クラスの女子の多くは彼の味方で私が冷たい態度をとれば女子たちから叱られるみたいな感じでした。おかげでなんとか続いたような気がするので感謝はしてます。
いまでも女子会(女子複数+彼)に参加するときはアウェー感じてる。
こういうと怒られそうだけど付き合い始めた辺りは全然好きじゃなかった。だからこそ期待を下回ることはさほど起きず、プラスだけが加算されて、長く続いているような気がする。

1度寮の外出をとって出掛けたこともありました。外出は基本的に自転車を使用しなくてはいけないのですが徒歩でこそっと近くの池へいって近くのお店でご飯を食べたりしました。(となりの席が事務の職員の方で気まずかった)なにごとも無かった顔して帰寮報告して22時の点呼に出るの楽しかった。

私の高専時代を語る上で欠かせないのは学生会での活動。
「仕事と私どっちが大切なの?」とかって言われても「仕事」と答えるタイプの私なので相当我慢させてたと思います。(今になっても学生会が研究室に変化しただけな気もするけれど)

高専卒業後

 お互い第一志望の大学に無事合格したので必然的に遠距離ってやつになりました。
 こういうと語弊があるかも知れませんが、「遠距離で良かった」と感じています。
これは、私が遠距離なことを利用して男遊びしてるからとかではなく、お互いに依存しすぎることが無く済んだから感じていることです。
編入は想像以上に孤独でした。別に同じ学科の人たちから無視されるとかそこまでではなかったけれど、休日に一緒にごはんへ行ったり、遊んだりといったことが出来る友人をつくることが出来ませんでした。もし、この時心を許した人が近くにいたら友人関係を築く努力もなく、依存していたでしょう。せっかくの大学生活、狭い人間関係で終わるところだった。
そういう意味で遠距離で良かったと感じています。
(向こうの方がザ大学生って感じでエンジョイしててうらやましい)

さいごに

大好きなグループの記念日と自分たちの記念日が同じ日であるということに幸せを感じています。自身にとっても、彼らにとってもこの1月22日が大切な日であり続けますように。

P.S. 横浜の一件、今も昔も怒ってはいないのですが、なかなか触れづらくレポを聞けていないのが無念です。

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