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Night Blooming Lily #1

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僕の記憶は、彼女の香り、そればかり。

僕らの気持ちは同じ分量だけ燃え上がっていた筈だ。そう思っていたのは、僕だけだったのだろうか。いや、そんな筈は……。

真夜中の彼女に出会った。
僕のお気に入りのバーで。心の中では僕のサンクチュアリ、と呼んでいる。その頃、僕は家庭に厄介な問題を抱えており、帰宅する時間をあと伸ばしにしていた。駅から家までの帰り道にある居酒屋・スナック・バーを毎晩ローテーションで飲み歩いていた。スナックなんて大して好きではない。だが、場末感と昭和感漂うスナックは、僕のイライラした気持ちなど下らないことだと勘違いさせてくれる。そこにやってくるヨレヨレにくたびれた男たちの誰もが、憂さを晴らす為、自分を宥める為、日々鞭打って働く体にアルコールを与える。ある者はお約束のように大して好きでもない年増のホステスを口説き、ある者はげろを吐くまで自分が酔っ払いだとは信じない。
僕は特に酒に強いわけではないが、かと言って弱いわけでもない。

ただ、家に帰りたくなかった。独り音楽を聴きながら、或いは聴こえぬまま、スピリッツベースのカクテルを僕は好んで飲んだ。出来ることならば、頭をぱかっと開いて、脳みそにジャブジャブと注いでやりたかったけれど、それは叶わないので兎に角飲み続けた。一番家に近いバー、家に帰る前の最後の仕上げ。それなりの価格設定なので、ガキはほぼ居ない。僕にとってのサンクチュアリだ。

彼女が現れたのは平日だった。深夜を既に回っており、客は僕しかいなかった。帰りたくないけれど、もし僕が帰ったら、マスターは早仕舞いができるかなぁ。これを飲み終わったら、帰ろうか。そんな頃合い。
彼女は少しばかり甘ったるい香りとともに、猫の如く静かに入ってきた。気づいたらそばに立っていた。
そのままエプロンを着けて「おかえりなさい」というのが似合いそうな清楚な白に花柄のワンピース。ほら、ビールのCMで壇れいが着てそうな感じ(僕は壇れいも壇蜜もどちらも好きだ)。足元はスニーカー。肩に届きそうなセミロングの髪。年下には見えないが、年上のようでもなく。人妻なのかどうかさえ僕にはわからなかった。結婚指輪は見当たらない。ネイルも施されていない、裸の爪に僕は反応する。僕は女性の手のフェチで、ネイルで決めてる手は好きではないのだ。そう、僕は女の手の指(ネイルをほどこしていない指に限る)を味わうのが好きなのだ。清潔に整えられた桜貝の様な爪を僕の歯で噛んで音を立てたい。

カウンターに座って既に酔いどれていた僕に、彼女は話しかけて来たのだ。
「林田君じゃない?わからない?私、榎本薫子。同じクラスだった」
「えっ?……榎本!?本当に?」
僕は彼女の顔を覗き込んだ。
「眼鏡……」
「ん?」
少し首を傾げて彼女は華奢なポシェットの中から、縁無しの眼鏡を取り出して、掛けた。少し、恥ずかしそうに笑う。そう、その笑い方!一秒もかからずに恋に落ちた、二回目の。
メガネっ娘が好みのタイプになったのは彼女のせいだったんだと思い出した。

「目、悪いのにさ、なんでわかったの?」
「ふふふ。だってさ、林田君、いつも寝てばっかりだったから。私たちよく隣の席になってたでしょ。その猫背に見覚えがあり過ぎて。後、髪型も全然変わってないし」
「榎本、座れば?」
「うん。お邪魔します」
彼女は僕の直ぐ隣りに座った。ふわりとその香りにたちまち包まれる。
「ピニャコラーダ、下さい」
「ピニャコラーダ?なんか、女子っぽいっていうか、南国っぽいね」
「バカンスっぽい気分になれそうでしょ」
「バカンス」
「うん」
「浮かれ気分、というか」
彼女はマスターがピニャコラーダを作るのを、真剣な顔をして見守っている。
「人生には楽園が必要なの」
「げえっ、なにそれ、なんか老後の日和見主義的番組のタイトルでしょ」
「あはは、なんか失礼だね…でもその番組じゃなくてさ。ハワイとかタヒチとか、バリとか。リゾート的イメージの分かり易い楽園がいいな」
「うん、そうか、榎本は……えっと、名前、変わった?」
「名前?ああ、名字ね。変わったよ。私今、花田薫子」
僕はジントニックを吹き出してしまった。
「ちょっと!やめてよね、もうっ」
マスターがおしぼりを渡してくれた。
「ええっそれ、マジで?」
「うん。プロポーズされた時に、事実婚でいいじゃん、って言いそうになった」
「そっかぁ。花田薫子。漫画のヒロインみたいでいいじゃん」
お待たせしました、と彼女の目の前にパイナップルと可愛いパラソルの刺さったピニャコラーダが供された。
「うわぁ、可愛い!」
彼女は目を輝かせた。
15歳の少女が、大人の女になってまた隣りに座っている奇跡。
「どうも、お久しぶりです。変な感じですが、乾杯」
彼女がグラスを掲げて言う。
「本当に変な感じだけど、乾杯」
僕たちは乾杯した。

「家、このへんなの?」 
「うん。隣り駅の方が近いんだけど。不良主婦って言われるのもあれなんで。夜の散歩ってことで」
「林田くんは?」
「俺は○○ってマンションだよ」
「ほえぇぇっ、セレブじゃないですか!」
「そんなことないよ、ちょっと背伸びし過ぎちゃったかもって思ってる」
「それにしても…」
彼女は言った。
「本当に不思議。大人になっちゃってて、2人とも。なんか、笑っちゃう!」
「だね」
「林田くんも結婚したんでしょ?お子さんは?」
「……あー、うん…」
正にそれが僕と妻の抱えている問題だった。
「あ、ゴメン。なんか根ほり葉ほり聞いちゃったかな」
僕は答える代わりに、マティーニを注文した。
ジンベースのカクテルが好きだ。ウォッカもいい。テキーラもいい。マティーニのオリーブは僕にとっては酒のつまみである。ちゃんとつまみを腹に入れておくのが良いのはわかっているが、空きっ腹に染み渡るアルコールの感覚がたまらなく好きだ。
「私、オリーブって好き。でも、マティーニって大人っぽすぎるっていうか、お子ちゃまカクテルしか頼んだことなくて」
「ちょっと、飲んでみる?マスター、もう一杯作って」
「え。飲めないかも知れないからいいよ」
「そうしたら、オリーブだけ食べればいいよ。榎本が…えーと、花田さんが」
「いいよ、榎本で」
「あ、うん、榎本、が飲めなくても、俺が飲むし」
「ありがとう」
マスターが振るシェイカーの音が好きだ。彼の淀みなく美しい丁寧な仕事を僕たちは眺めた。彼女の前に差し出されたグラス。艶やかに液体に沈むオリーブ。
黙ったまま、再び乾杯した。
「うわっ。やっぱり、強い、ね」
思わずぎゅっと目を閉じて、眉間にシワをよせる彼女は15歳のあの頃みたいに可愛い。
「あ、でも、慣れたら平気かも。うん。美味しい。私、大人!」
「私、大人!って言ってる時点で、子供っぽいけど」
「まあまあ。普段はこれでもお母さんやってるのよ?十分大人でしょ?」
「榎本がお母さんかぁ…なんか信じられないけど、みんな親になってたって、おかしくない歳だもんなぁ。ヤンキーだった奴らなんて下手したら孫もいるよな」
「そうだね。でも、今はお母さんじゃない時間だから」
彼女はマティーニをぐいっと飲み干した。
「酔っ払ってやる〜〜〜!」
「おい、大丈夫なのかよ?ピニャッてたお子様が」
彼女がどれ位酒を飲めるのか、強いのか弱いのかを僕は知らない。
「大丈夫よ、林田基樹君が、ちゃーんと面倒みてくれるもん」
「お。フルネーム、覚えててくれたの?」
「ふふ。だって私達、いつだって隣りの席だったじゃない。席替えしても、目が悪いから、って…そう言えば、もう眼鏡はかけないの?」
「うん。今はコンタクトだよ毎日。イケメン過ぎて驚いたろ?」
「んー、そうかもね、もうちょっと酔っ払ったら、そう見えなくもないかな」
そう言って、オリーブをつまみ上げると、彼女は僕の目を見ながら、小さく齧りついた。その唇に見とれてしまう。
「美味しい?」
「んっ」
「こういう、トッピングって、いいよな」
「うん」
「クリームソーダの上のチェリーとか」
「うん」
「ショートケーキの上の苺とか」
マスターのスマホが鳴った。ちょっと失礼、と言って彼は店の外へ。僕らは2人きりの空間に、大人びた(僕らは既に十分に大人だというのに)エロいサックスが流れる……ちょっと胸が高鳴ってしまった。
「榎本、俺さ」
「うん。ねぇ……今、ドカンと酔いが回ってきのら〜!きゃはは」
「大丈夫?」
「きゃはははは」
笑い上戸か。 
「林田くんさぁ、よく面白い寝言言ってたよねぇ」
「えっ!?」
「酢豚にはパイナップル入れないで!とか赤いパンツは嫌だ、やっぱ青じゃなきゃとか」
「ええっ、マジで?」
「パイナップル、嫌いらの?」
呂律が回らなくなって来ている。
「いや、寧ろ好き。酢豚に汚されるのが嫌なだけ!パイナップルはそのまま食べるのが一番美味しい」
「じゃあ、あげる。はーい!あーん」
眼鏡ごしでもわかる酔って蕩けた眼差しを僕に向け、ピニャコラーダに添えられたパイナップルを可愛い指で差し出し、彼女は言った。
阿保の様に僕は口を開けた。
彼女の指ごと、唇で喰む。
「あん」
彼女は一瞬怯んだ。
「悪いやつ、らなー……」
パイナップルはピニャコラーダと彼女の香りがした。
「ちょっとぉ……離して、よ」
本当は舐めてみたかったけれど、キモいと思われてしまうだろうな、と思った。
「美味しい」
そう言って、僕はパイナップルを食べながら、僕のグラスのオリーブを彼女に差し出し、言ってみた。
「あーん」
彼女は蕩けた瞳で僕を睨むと口を開けた。ガブッ。
「……ってぇーな」
「お礼らよ!うちの猫の真似」
マスターが戻って来た。
「林田君、私帰るね。楽しかった。マティーニも飲めるってわかったし。お会計、お願いします」
「マスター、俺も!榎本、今日は俺に奢らせて」
このまま帰らせてはいけない。謝らなければ!僕が会計を済ませている間に彼女は、
「林田君、ありがとう。御馳走様」
と言うとフラフラした足取りで、店を出て行った。お釣りを受け取り、僕は後を追った。知ってるか?大抵の場合において、女の子は追いかけてあげなければならない。たとえストーカー扱いを受けたとしても、一度は。追いかけるのが面倒くさい相手だとしても。追いかけないと更に面倒くさいことになるのだよ。例えその女の子に対して恋愛感情を持っていなくても、だ。

彼女は千鳥足でゆっくりと歩いていた。彼女のいささか甘すぎる香りがふわふわと漂っている夜道は、いつか見た夢に似ている。
「榎本。大丈夫か?」僕は彼女に追いついて言った。
「んー、らいじょうぶらよ」
店を出て気が抜けたのか。彼女はなんだかふわふわしてる。
「呂律回ってないじゃないか」
「そんなことない、よ」
「榎本。さっきはごめん。調子に乗ってしまって」
「何がぁ〜?」
「あの、その。さっきさ、ふざけてしまって……」僕はしどろもどろになる。
彼女は立ち止まった。僕を睨みつけた。そして、言った。
「へえ?反省してるんら?なら言えばいいのに。言ってくれればいいのに。私のこと、好きらったって」
悪戯に笑う。
「知ってたんらから」



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りりかる

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ちちんぷいぷいちちんぷいぷい〜
Healer / Novel Writer