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実業と虚業の違いはどこにあるのか

僕たちは虚業をやっていた

昔、勤めていた会社で飲みながら話をしていたとき、
先輩がポロッと「僕たちは虚業ですね」と言いました。

私もそうかも知れないなと思いました。

その時、私は仕事の意味について悩みを抱えていました。
新卒で3年目、そろそろ業務も分かってきて後輩の指導も求められます。
優秀な人達に囲まれて、世界や日本中のクライアントと仕事をする。

少なくとも学生の頃にそんな働き方をみたら、
「かっこいいな!」と憧れるようなスタイルの仕事をしていました。
しかし、当時私はこの仕事にどれだけの価値があるのかと悩んでいました。

それは、仕事の抽象度が高く、貢献した結果が見えにくいということ、
収益性のための大きな案件が求められる中で一人の役割について、
仕事をする意味、自分でやるという手触りを感じられていなかったのです。

ですから、私は「虚業なかもしれないな」と思うのと同時に、
実業とはなんだろうかと考えました。

実業は農業・商業・工業・水産業など生産・販売に関わる事業だそうです。
虚業とは投機相場のように、堅実でない事業だと説明されています。

確かに農業や水産業は形が見えやすい。
何かを作ったり、採ったりしてそれを誰かに売る。
とてもシンプルなビジネスモデルです。

製造業もわかりやすいです。
なにか素材を買ってきて加工して誰かに販売する。

わかりやすい仕事は確かに価値があるはずです。
生きるために必要だったり、生活を豊かにするために仕事をしている。
その仕事を見ればすぐに価値があることはだれもがわかります。

それらを実業だとしたら確かに形のないサービス業は、
虚業的だと言えるだろうかと考えました。

虚業は手触りがない仕事かなと思う

しかし、堅実ではない事業が虚業という定義はちょっと納得いきません。

もしそうなら、私の仕事は決して虚業ではなかったはずです。
世界中の優秀な人たちとチームで、もちろん法律に従い、
大手企業が求める専門性の高いサービスを提供していたのです。

たぶん、日本がある限り存在し続けるだろうと思うくらいに、
必要としてくれるクライアントはいるだろうと思います。

それでも、私は虚業かもしれないなと思ったのです。

つまりそれは法律に従っているとか、世間からの評価が高いとか、
優良な顧客がいて安定的に収益を上げているとか、
そういった客観的な構成条件から言うと堅実な仕事でも、
やっている人が実業ではないかもしれないと感じることがあるのです。

たぶん、虚業かどうかというのは堅実かどうかとは別問題なのです。
最初に言ったように、仕事に手触りがあるかどうか、
それは、ビジネスの根本である誰かに役立ち対価をいただくという、
それだけではなく、その更に先に、働く一人の人間として、
手触りのある価値を感じられるのかということなのでしょうか。

その仕事は、決して楽しているわけではないけれど、
大変さでいえばやっぱり実業をしている人のほうが大変なことは多い。
それは色んなリスクに晒される機会が多いという意味でそうだと思います。

つまり、今の世の中は虚業のほうがある意味で、
リスクの少ない、超過収益の多いポジションを取れるということで、
そういう仕事が経済的地位を獲得しているということは事実でしょう。

お金のとり方はほぼ一つしか無い

「結局は実務をしている人の搾取で成り立っている」
とある本のレビューにこんなことが書いてありました。

いい生活、幸せな生活を送るためには様々なことを学び、
行動する方法を教えてくれる本だったのですが、読者の中には、
結局実務をしている人を搾取する要素があると感じているようでした。

この視点から言えば実業に区分される農業や工業や商業は、
現場で実務をこなす仕事とイメージできるかもしれません。
少なくともそのような仕事をしている人で成り立っている事業です。

一方で、専門的なサービス業や金融業にも実務はありますが、
地に足ついた生産活動と言うよりは、
知識と情報から収益を上げるようなビジネスです。

短いながら仕事をするという世界に身をおいて、
会社員やプー太郎、学生や経営者などいろいろな立場を経験して、
気づけたこと。

それは、世の中にはいろいろなビジネスがありますが、
お金のとり方は限られているということです。

何かを買ってきて・作って・採取して誰かに売る
何かのサービス・情報を誰かに売る
誰かと誰かの間を仲介する

どんなビジネスも無からお金を得られるわけではないのです。

必ず欲しい人に何かしらの価値を渡すことの対価として、
お金をいただく機会を設けないと得られません。

いろいろな産業と言っても必ずどれかしらのパターンで、
ビジネスとして成り立つことができているというわけです。

おそらく、虚業だと感じたりする仕事というのは、
2番か3番めの仕事をやっていると感じることが多いと思います。
無形のものには当然手触りは無いですからね。

実業と虚業っぽい人が手を組んだ話

ただ、実業だからと言って偉いわけでも、幸せなわけでもありません。
おばあちゃんは常々「もう農業はだめだ」とぼやいていました。

農業は、生産しているだけであれば、
ほとんど貧乏暇なしになるようなビジネスです。

でも、実はおじいちゃん、おばあちゃんは50年近くも前から、
農産物を農協を通した販売ではなく、直接販売をしたり、
郵便局のギフトとして販売したりしたことで全国にファンがいました。

何十年も前にそういう活動をしていたということが驚きですが、
実はそのきっかけは、ひいおじいさんが農協と喧嘩したからでした。

今でいうと、ひいおじいさんはプー太郎でした。

何をしているかはわからないけれど何かをしているのです。
明らかに農作業はしていないのですが人と話をするのは得意でした。

そこで、農協と喧嘩したひいおじいさんが畑で売ればいいとか、
温泉街の宿で売ればいいとか当時としては適当なことを言って、
周りの人を口説いていったことで販路が広がりました。

つまり、プー太郎が家族や近所の人を口説いて、
農協を通さない新しいビジネスモデルを作り出したのです。
(まあ、当事者はそんなこと一切考えてなかったと思いますが)

おじいちゃんとおばあちゃんはどちらかというと真面目な人ですから、
とにかく一生懸命農作業をしてたくさん美味しいものを作りました。
そして、ひいおじいさんが作り出した販路に乗っかって、
いいものを作ることに専念したおじいちゃんおばあちゃんは、
一つの売上をあげるビジネスを持つことができました。

おもしろいですね。
私はアントレプレナーをひいおじいさんに見つけました。

これはひとつの話に過ぎませんが、実務をしていない人は必ずしも、
悪いというわけでは無いと考えています。
適当なことをいうおじさんでも人を紹介してくれたり、
話をつけてくれていたりするならできない人は助かるわけです。

結局、実業と虚業というのは一つは主観であるということ、
そして、虚業だとしてもそれがあまりにも度を越して、
利益を独り占めするのが良くないのであって、
少なからず何かしらの価値創出には貢献しているはずなのです。

まあ現実は口だけの人のほうが多いですから、
その意味ではどうしようもない虚業家のほうが多いのは事実です。

ただ、自分の幸せを考えたときこれは実業だとか虚業だとか考える前に、
どうしたら良いものを沢山の人に届けられるかを考えて、
実際に他の人に声をかけて動かすということが大事なのだと思います。

その意味では人を意図的に不幸にさせるような仕事だけが、
やはり本物の虚業なのかもしれませんね。

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