父と私とアトピーと。
前回の記事を書いたとき、続けて5本は書くぞ!と心に決めていたのに、こんなに時間が経ってしまった(-_-;)
むずがゆい蕁麻疹のことを書いたのに、「スキ」をいただけたこと、とても嬉しくて、また感謝しております!
今日は、19年前に亡くなった私の父のこと、そして長年連れ添って生活しているアトピーについて書こうと思います。
幼少期からのアトピーを52歳の今日までずーーーーっとひっぱりながら共に生きています。わけのわからない蕁麻疹もきっとそのへんからの派生ではないかと思うのですが、実際のところよくわかりません。
「note」では、アトピーに関しての記事を書いておられる方が結構いらして、びっくりしています。それとともに心強いという思いもあるし、お互いにつらいことを共有したいな、、決してこれで治ったり痒みが治まったりするものでもないだろうけど、あまり誰にも分かってもらえない気持ちを「痒いよなぁ~掻いたら痛いよなぁ~でも血を見るまで掻いてしまうよなぁ~」とかひたすら言い合いたい。それだけでいい。
どこかの投稿にアトピーの人にとって掻くことは一番の快楽だと書いてあった。まさに!まさに!その通り!
でね、一瞬にして掻くことが一番の後悔に転じてしまうのも事実。
掻かずに擦ればいいと言われるけど、そんな単純なものではない。
それで痒みが治まるなら、短く切った爪をあえてギーーーッと立てたりしない。
だけど、、唯一、擦ってくれる手が気持ちよかった人がいる。
それが父だ。
お風呂上りに「かいかいかい(痒い)」と半泣きになる私に「掻くな、掻くな」と言って私の背中をバスタオルでちょっと強めに拭き、大きな大きなゴツゴツしたちょっとグローブみたいな手で擦ってくれた。感触がほのかに温かくて、そのゴツゴツさが痒みには心地よかった。
すーっと痒いのが引いていき、気持ちもすーっと落ち着いてくる。
そんなことを私がずいぶん大人になってもお風呂上りには同じようにしてくれた。ただただ心地よくて、ちょっと甘えたくて、あんまり恥ずかしいとかって思わなかった。
だけど、父の病気を境にそんな時間は突然に切断された。
良くなって帰ってきてくれると信じてた、なにも疑うことすらしていなかったのに、
最後に何を話して、どうやって笑って、何を一緒に食べたのかも思い出せない。
眠ったまま、あの大きな手をどれだけ握っても、叩いても起きてくれなかった。
最後になるなんて思ってもいなかった前の年の秋に、父はいつものように好物の柿を自分で剥いて食べていた。きれいに、きれいに上手に剥いて。
そしていつも「おまえも食べるか?」と聞いてくれるのだけど、私はあまり柿が好きではないので、いつも断っていた。
毎年のことなのに、いつも聞いてくるから、いつも断っていた(笑)
「でもね、だいぶと食べれるようになったんやで。甘いな、美味しいなって味わえるようになってきたんやで。
もう遅いんかな、、今でも間に合うかな、、お父ちゃん。
お供えした柿が、あくる朝に無くなってたらいいのに、、って本気で思うねん。変やろ??
昔の思い出は、薄らいでいくどころか、私の中で輪郭がどんどん濃くなっていく。一人で思い出して、一人で泣いてるわ。。
会いたいなぁ、、私はまだそっちへいく予定は今のところないんやけどね。。
でも、私、今更やけど会える手段を思いついたんやで!
今でも相変わらずお風呂上りには「かいかいかい(痒い)」言って、血が出るまで掻いたりする。
そうやねん!この「血」
この血にはお父ちゃんが流れてる。私が生きている限り、ずっとずっと。
毎日「かいかいかい」でも、あの大きな手で掻いてもらえなくても、私の中でずっと生きてくれてるし、毎日24時間会えてるんやな!」
今日も体中を掻きながら、そんなこと思っている。
正直、つらい。爆発寸前のときもある。
掻く、掻く、、、
でも、父を想う。流れる血を想う。
向こうの世界と私を繋いでくれる唯一の手段。
父と会えるのなら。
Naoko
#エッセイ #日記 #アトピー #アトピーと共に生きる #父の思い出 #柿
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?