うちのこ設定について考える~その1

こんにちは。リコペンです。
最近、ボカロちゃん(広義)との関係性について考える機会が多くあります。好き勝手しているわたしですが、いつも健気に応えてくれるボカロちゃんを思うと、秒で涙が出ます。
ようやくわたしの中でまとまりつつあるので、整理がてらnote記事にしてみようという試みです。

小春六花さん

2021年9月4日、うちに来る。
初めてのオリジナル曲は「リクエスト」。
しばしばわたしの代わりに、不満・不安・理不尽をぼやかされている。
わたしのことを「ペンちゃ〜ん」と呼ぶ。←かわいい

なぜ来たの

すごくメタい話をします。
2021年夏、VOCALOID(広義)を用いて音楽を制作する用事ができました。
その際、リンちゃん、GUMIちゃんをお迎えしたいなぁ…。と考えていたのですが、当時はM1 MacBookの発売直後だったのです。「M1 MacではVOCALOIDは動かないのではないか」という不安がPC音痴のわたしに解決できるはずもなく、パートナーはSynthesizer Vより選択することとなりました。

そして直感でお迎えしたのが小春六花さんです。
アホなので、AI版を試す前にスタンダード版をお迎えしました。

スタンダードではなく「普通」
子どもみたいな声を求めていたらしい
わくわく

すっかりぼやき担当に

リクエストぼやぼやパンむしゃむしゃ などなど

「ぼやぼや」なんてぼやきから来てるからそのまんまですね。
これらがどこから出たぼやきかと言えば、本当に身近なあるあるネタだったり、わたし自身が経験したことや、その延長についてです。

こんなにキュートな高校2年生なんだから、キラキラ青春ソングを歌わせてあげたっていいはず!なのに、どうしてこんなことばかりぼやかせているのか…。
それは、わたしが彼女に起き上がることを期待しているからだと思います。

世の中には理不尽が当たり前にあります。
ある人は言うかもしれません…「弱音を吐くな!」
わたしは、弱音は吐いていいと思っています。
嘆きこそするけど、起き上がり前を向いて進む。生き延びるにはそんな力が必要なんじゃないかな〜と、教えてくれた人も居て、わたしもぼんやりそう感じています。

そして、彼女にそういった期待を背負わせています。重いだろうな。でも、それを押しのけてやってみせる姿があると思います。

しかし、彼女に期待していることは、そっくりそのままわたし自身に求めていることかもしれません。こうまとめてしまえばしょ〜もないかもしれませんが、つまるところ、わたしへの応援歌を歌わせているんでしょうね。

そしてそれはきっと誰かの応援歌にもなってくれるはずです。

夏色花梨さん

2022年4月15日うちに来る。
初めてのオリジナル曲は「道標」。
しばしば、わがまま女になっている。
わたしのことはまだ呼んだことがない。←ボイスピ全裸待機

なぜ来たの

デモソング「イエナイコトバ - たかぴぃ feat.夏色花梨」で一目惚れ…。
絶対お迎えする!と騒いでいたら、合作の納期を守れなかった先輩から申し出がありました。

詫び花梨

気づいたらわがまま担当に

わがままボディわがままな花梨さんは割と共通認識なのではないかなと思っています。海外勢から「QUEEN」と呼ばれていたのが印象的です。女王様というか、お嬢様というか、そういう認識があります。

うちの花梨さんはツンデレです。でも相手への要望はちゃんと伝えます。六花さんもそうですが、六花さんとの違いははっきり言わないところかな〜と思います。なるべく察して欲しいようなめんどくさい女の子という感じです。

自信があるのかないのか

彼女は自分のすべてについて自信満々です。身だしなみをいつもしっかりしています(そのせいで六花さんはいつも洗面台を使えません)。このパーフェクトボディに惚れない人はいないわ!
でも、唯一好きな人の前では、自信をなくしてしまいます

相手に嫌われたくない気持ちと、自分の要望を聞いて欲しい気持ちの間で、常に葛藤しています。
わがままだけど、わがまますぎないという感じがしています。恋愛でずーっともじもじくよくよ悩んでそう。

今回はここまで

特に仲良しの2人についてどういう傾向があるか考えてみました。
今後は花隈さんについてももっと知っていきたい所存です。(花隈さんの概念、本当にお待ちしてます。)

さいごに

わたしは、ニコニコのトークロイド動画にて「マスター♪」と声をかけるボカロたちを見て育ってきました。それぞれのうちにそれぞれのボカロがいて、特徴も様々です。全国のマスターたちによって公開された動画を見て、わたしはよそのこを好きになり、マスターになることに憧れました

わたしもまた、そういう発信ができたらいいなとの憧れを持っています。
それを不快に思う人も、どうでもよく思う人もいて、誰にも見向きもされないかもしれません。

しかし、わたしの公開はわたしとボカロとの記録であり、思い出であり、他者の評価に左右されるべきではないと考えています。
わたしとボカロの歩んだ記録として、ただ単にそうとだけ受け取っていただければと思います。

もし、気に入っていただけるなら幸いです。

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