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17歳が泳ぐ沼 ~映画『Never Rarely Sometimes Always』~

映画『17歳の瞳に映る世界』を観た。望まぬ妊娠をした高校生が、地元では保護者の同意なしに堕胎ができないために、ニューヨーク州へ向かう旅を描いたロードムービーだ。

「邦題がキレイすぎて、内容にそぐわない」というレビューを複数みかけて、私なりに考えたのが、このタイトル『17歳が泳ぐ沼』。もちろんこれでは観客動員数が伸びないだろう。邦題には邦題の背負うミッションがある。個人の記事タイトルとして、私の感想の精油みたいな言葉を絞り出してみた。気に入っている。

17歳の彼女たちは不快な沼を泳いでいる。取り巻く「世界」は瞳に映るだけではなく、靴の中にも服の中にも体内にも入り込み、動きを重たくさせ、身体を疲れさせ、時々足をとられて沈みそうになる。口に入った泥を吐きながら命がけで泳ぎ続けるしかない。

原題の4つの言葉は、カウンセリングで用いられる、4択である。多くの説明を必要とせず、負担少なく現状をカウンセラーに共有することができる。沈みかかった沼で、ようやくつかまることのできるブイのような言葉だ。(沼にブイってあるのかな)

しかし差し出される手を、少女たちは取らない。振り払いもしない。
「ああ、今日はちょっと。はい、また」「あ、大丈夫です」「自分でなんとかします」
援助者は選択肢をできるだけわかりやすく、そしてあなたの意思が最大限尊重されるのだと繰り返すしかない。しかし、17年かけて尊重された経験があまりに少なければ、なかなかそのことを信頼どころか理解できないかもしれない。あるいは、かつて援助を得たときに引き換えにしてきたものが不快だったのかもしれない。

登場する男たちのキモさがまた「沼」である。
野次を飛ばす同級生、下品極まりない継父、バイト先のセクハラ上司、隙あらば言い寄る客、バスで出会う青年、電車で遭遇する男、主人公オータムとつきあって(?)きたはずのみえない男たち。
今回の旅を終えても、沼は消えない。沼深き土地へ帰るふたり。

この後、ふたりにとって、別の土地での数日間の経験が何か、身の回りの沼を客観視したり、より生きやすいほうへ移動したりという手掛かりになっているといい、というかすかな希望がある。さらに、私が自分ごととして強く思ったのは、「この世がまだ沼でごめん」という気持ち。個別に差し伸べる手とは別に、やはり水質改善・環境改善をしていく必要がある。すぐには間に合わなくても彼女たちとも一緒に、さらにその次の世代には届くようなことをしていきたい、と思ったのだった。憂鬱な顔をした17歳の私もまた、沼の奥地にいまだ取り残されているから。

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この本は、17歳の私への手紙でもあります。
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