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文庫版『いま、地方で生きるということ』によせて

写真は2011年、屋久島にて。同じ年にミシマ社から出版された『いま、地方で生きるということ』が、このたび「ちくま文庫」の一冊になった。東日本大震災を一つのきっかけに書かれたものだけど、執筆の打診はその前にあり、ミシマ社・三島さんとの楽しい顛末は、本のまえがきとあとがきに詳しい。(読んでみて)

彼から相談をもらって、すぐ「無理無理。自分には書けません」と思ったこのテーマ・このタイトルの本を、でも結果的に書くことにしたのは、その中でよく考えたかったし、なにかをハッキリさせたかったのだと思う。

自分は大学生の頃から「東京以外のどこかに場所を得たい」と思っていて、30代の中頃を過ぎると、気になる地域を車で回っていた。でも地形図を眺めて土地を訪ねたり、ウェブで調べたカフェや食堂に立ち寄ったりよさげな宿に泊まっても、さしたる出会いもない。なにも進まない。
消費者モードで訪ねたところでお客さんになるだけであたり前のことなのだけど、「このままでは観光旅行で人生が終わってしまう」と思い、ちょうどその探し方を変えた頃だった。

本を書いたあとで一時期、屋久島にある友人の家を借りた。思うところあって北上し、今度は福岡に部屋を借りてしばらく通った。そんな約2年を経て、また思うところあり、四国・徳島の神山町という山あいのまちに家を借りた。
そこで暮らして5年ほど経って、いまは神山を軸足に、東京の家(実家がある)と、あと国内の親しい場所や出張先を訪ねる、準多拠点的な暮らし方になった。

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会社を辞めた30才の頃に抱いていた気持ちの一つは(他にもいろいろあるけど)「このままずっとここにいると、〝会社に来た〟仕事をする能力が主に磨かれて、それを自分でつくり出す能力は育たない気がする。そんなふうだと、定年で退職したり、なんらかの理由で会社を辞めるときすごく不安になるんじゃないか」という不安で、「じゃあ早いとこ辞めてみよう」と考えたわけだ。

辞めると決めたらむしろ不安はなくなったが、「カードをめくらないとゲームは始まらない」とか「角を曲がらなければその先は見えない」とか「捨てる神あれば拾う神ありと言うし、まず自分が捨ててみれば?(自分を)」とか、細かく自分を鼓舞していた記憶があって微笑ましい。

会社を出てみると。社会になんらかの共同幻想性があるように、会社もまったくそうで、たくさんの人が同じ夢を見ている空間だったんだな…とつくづく思った。
ただ、会社の傘から出てみたものの〝東京〟の傘からは出ていないし、〝日本〟という傘の中にはいるし…という具合で、「ここにずっといていいんだろうか?」という不安はいまだにネバーエンディングストーリーである。〝与えられた範囲の自由〟というモヤモヤを、まだ扱いきれずにいる。

それでも仕事や働き方を「自分はなにをするか。どうしたいか」と個人にばかり引き寄せていた思考や気持ちの動きは、だいぶ変わって、その自分が「だれと」「どこで」という掛け算で働いていけるようになったのが、30代から40代後半の大きな変化だった。
『いま、地方で生きるということ』は、その足掛かりの一つになった大事な本で、三島さんと星野さん(編集担当さん)と話し手たちに感謝している。自分の中になにかがあるのだけど、よく見えないのでもう少し輝度を上げたい。登場するインタビューイたちの話は一つひとつ、光として射し込んできた。
 

書き始める時点では、自分がなにを書きたいのかよくわからなかったので、「一筆書きの旅で書く」という構造的な強さを用いた。

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東北と九州の友人を訪ねる旅をつうじて、一冊の本をつくる。その日のインタビューを終えると旅先から編集部に音源を送って、併行してテープ起こしを進めてもらう。屋久島で星川淳さんの話もうかがえたのは、ちょうど近づいていた台風による偶然でもあった。

今回の文庫版には、妙にページ数の多い文庫版あとがきがあり、豊嶋秀樹さんのロングインタビューも加わっている。豊嶋さんも、最初の方の塚原さんも、誰のどの話も響いてくるものばかりなのだけど、大きく二つにブロックをわけたこの本の前半「東北行」の最後に登場する笹尾千草さんとのインタビューは、自分にとって格別のものがある。

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読み返して「ここに全部入っているじゃないか」と思った。

笹尾 経済的な意味合いとは違う豊かさは、どれだけその場所に誇りをもてているかということと、身近な人をどれだけ尊敬できているかということ。尊敬できる身近な人がどれだけいるか? というのは、大事なことじゃないかな。
私が働いてゆく原動力は、ここで生きてゆく上で都度感じる違和感です。あともう一つは、自分のまわりにいる人たちに 「楽しんでほしい」とか、「もっと活躍してほしい」とか。具体的な個人に向けた想いで動いている。
(中略)
みんなのことを本当に心から尊敬していて。ココラボを始めてから、「自分」より「周囲」 をメインにして生きてきました。
でも、それはエゴみたいなものだったのかな? と思ったりもする。
まわりが楽しくなることで自分も楽しく暮らせるから、もうマグロやカツオのように働いてきたと思うんですけど、これからはちょっと、家族でいる時間とか、そういうのをちゃんと取れるように仕事の仕方を変えたいなと思って。
なんかいろんなものを私は抱え込んでしまったけど、もう一度、一個一個小さな塊に戻して、いろんな人に手渡してゆく作業をしないといけないと思っているんです。
いちばん小さな単位で「家族」とか、あと「町内」とか。
結局そこが希薄だったことが、土地の均質化につながり、私の土地への劣等感につながり、全部それが原因だったんだなと気づいて。身体をこわすほど働いてきたけど、なんだ「そこじゃん」と思って。

ぜひ全文を読んで欲しい。インタビュー当日の笹尾さんは、たしか設営の仕事かなにかで徹夜明けで、呆然とした表情の中からポツリポツリ語ってくれたのだけど、捉えている世界はとてもクリアーだ。

「彼女に会って」と薦めてくれたのは渡辺保史さんだった。僕にとってこの本の中の彼女のインタビューは、山の奥にある小さなカルデラ湖のようだ。気取った表現に聞こえるかもしれないけど本当にそう思う。あたりは静かで、ときどき湖面を風が渡る。見上げると空が濃い。笹尾さんは現在は秋田を離れて、東京で暮らしている。