「鳩サブレー」を本気で愛し続けたら、果たして食べることができなくなるのか
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「鳩サブレー」を本気で愛し続けたら、果たして食べることができなくなるのか

Elle

まえがき

 はじめまして、Elle(えら)です。

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 妹が幼稚園の頃に作った仮面で失礼します。適度に顔を隠せるものがこれしか見当たりませんでした。


 さて、日本に限らず世界中で広く愛されるものの特徴として、「かわいいこと」というのがあります。
 具体的にはディズニーのあのネズミであったり、まるくてピンクのなんでも吸い込むアイツであったり、青いネコ型ロボットだったりします。

 確かに愛らしいデザインのものを「嫌いだ~!!」という人はあまり見かけませんよね。ああいったチャーミングな可愛さを持つものは万人受けしやすく、さらにデザインが円やしかくの組み合わせといった質素で書きやすいものになっているので、覚えやすく描きやすい、つまり"親しみやすい"ものになっています。

 そのキャラクターの可愛さを存分に活かしたものの一つとして、「キャラケーキ」「アイシングクッキー」といった食べ物があったりします。

 キャラケーキは令和に生きるクソガキのお前らならわかると思いますが、画像を見せるとパティシエの方がものすごく正確に再現したチョコプレートを作ってくれるというサービスです。私も初めて見たときは感動しました。
 今は大きいクソガキになって、味覚も変化したので普通にガトーショコラのケーキを食べていますが、それでもあのかわいさを初めて見た経験は忘れてませんね。(著作権的にはかなりグレーらしいですが)

 アイシングクッキーはクッキーの上にチョコペンで絵を描く、よくTikTokでバズってる食べ物です。デザインがシンプルなほうがやりやすいため、これもかわいくてシンプルなキャラが題材とされがちですね。

 もちろんこれらのものは「映え」という役割を果たしていると同時に、しっかり「食品」としての機能も果たしています。
 しかし、この「かわいい系食品」には重大な問題があります。それは・・・・


食べるのめっちゃ嫌じゃない!?


 そうなんです。せっかく長い時間途方もない労力をかけて作ったのにもかかわらず、食べるときは一瞬で終わってしまいます。
 あんなに長い時間かけて作ったあの愛くるしいあいつが・・・と、食べ終わったときに葛藤を感じるのも無理はありません。

 「かわいい」系食品の問題点は、最終的には「食べて、誰かが罪悪感を味わわなければいけない」点にあります。
 それはとある地域を代表するこの銘菓にも言えるでしょう。

鳩サブレーとはなんぞや?

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 ご存知「鳩サブレー」です。
 素朴なバターの風味と香り、そして「鳩に使役されて戦闘の前線に駆り出された体験を前世でした人」以外には喜ばれるビジュアルが相まって土産品として圧倒的な地位を築いています。
 鎌倉のお土産といえば「大仏グミ」をも凌ぐ知名度*1を誇り、修学旅行で購入した方も多いのではないでしょうか。(*1 友人一人への調査。回答率100%)
 かくいう私も、小学校の時には餞別の半分を投じ「学年で一番デカいサイズの鳩サブレーを買って帰った」経験があります。配りやすい上に普段食べることのないものなので、お土産としてはピッタリですね。
 ちなみにデカすぎて私の鳩サブレーだけバスの下部の収納に入れられることになったのでこれから鎌倉に行く方は気をつけてください。

 ですが、この鳩サブレーも先程と同じ問題点を抱えています。
 あまりにも見た目が愛くるしすぎるが故、「食べるのに抵抗を感じる」ことは長い鳩サブレーの歴史で、多くの勇者たちが経験したに違いありません。違う?知らない。そういうことにしとかないと記事進まないじゃん。

 まあ大抵の人は食べれてしまうでしょう。私も小学六年生時代に20枚を優に超える鳩サブレーを一気に食してからは、鳩サブレーを食べることになんの抵抗も感じない、まさにソシオパスとも言える状態になっています。


 しかしここで一つの疑問が浮かびました。鳩サブレーを食べることになんの疑問も感じなくなったのであれば、

「鳩サブレーを本気で愛し続ければ、愛着が湧いて食べられなくなるのでは」?

 愛着の湧いたものであれば古いぬいぐるみでも捨てられないように、同じ現象が鳩サブレーにおいても十分に起こりうると考えられます。
 人生の一部を共にし、まるで長年連れ添ったペットのように愛せば、きっとこの小麦粉とバターと砂糖の塊も自分にとって大切な存在になっていることでしょう。

ということで、愛します。鳩サブレーを。


鳩サブレーと共に過ごす

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 買っちゃいました。鳩サブレー用の鳥かご。
 一番小さいサイズでおよそ3000円ほどしました。義務教育を終えたばかりの私にとってはかなり痛い出費です。これから鳩サブレーを飼おうと思っている方は飼育する費用に気をつけてください。

 ちなみに一番小さいものでもかなり大きいです。本棚にあった「らんま1/2の26巻」とサイズ比較しましたが、この大きさです。

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 余談ですがこの鳥かご、自転車のカゴに入らなかったので致し方なくリュックの紐に結びつけて運んだのですが、対向にすれ違った人の10人中9人が「・・・!?」といった顔で鳥かごを凝視していました。

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立派な通行妨害なので、人気の無い道を通りました。


 進学や就職の季節になり、周囲の人の気を惹いて仲良くなりたい人は鳥かごを持って進路妨害をしながらキャンパスや校内を散策するといいかもしれませんね。あなたにとって良い結果をもたらすかは分かりませんが、名前は校外にも知れ渡ることでしょう。

 今回は「飼う」ことがテーマなので、内装もしっかりと鳥を飼っても恥ずかしくないものにします。
 水を置き、食料を置き、話し相手を用意し・・・最終的にこうなりました。

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 左から「鳩サブレー+スタンド」、「食料(ナッツ)」、「話し相手(メタルスライム)」、「水」、「ミニチュアの椅子」です。
 重量のあるメタルスライムを中心においたのは宙ぶらりんになってバランスのとれない鳥かごを安定させる役目もあります。

 リミナル・スペース感はどうしても拭えませんが、これで鳩サブレーが起きたら本物の鳩になっていたとしても満足してもらえる自信があります。

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 どう考えても鳩の横幅をナッツの横幅が上回っていて、食べた鳩サブレーが内側から破裂する未来しか考えられませんが、まあいいでしょう。

 これから三週間、本日が4/4(月)なので、一ヶ月後の5/2(月)までこの鳩サブレーと同棲を続け、果たして愛着が湧いた後に食べられなくなるのかを日記形式にして、検証していきます。

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 なお衛生上の観点から、鳩サブレーを置くスタンドと床はウエットティッシュで毎日除菌、水と食品は食べてくれなくても毎日取り替え、鳥かごを透明なラップで覆うことにします。

 これでガミガミ言う自称有識者たちもだんまりです。

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 ちなみにこの写真を友人に送りつけたら、「サイコキラーの休日」「部族を抜け出して社会に溶け込もうとしてる人」「鳩サブレーの怪盗団」というあまりにも心無いコメントが返ってきました。
 情報量が多すぎて変な言葉の引き出しが開いたのかもしれません。


鳩サブレーと過ごす日々の記録

※ここからは日記となるため、全く文体が変わります。
 また、毎日ではなく、なにかしらの出来事があった日のみ追記していきます。

4/5(火)

 今日は学校の入学式があったと同時に、鳩サブレーとの生活の一日目であった。
 これからは学校に通い始めるので鳩サブレーと過ごせる時間は少なくなるだろう。家の構造とスペースの関係で、家に置ける場所が自分の部屋にしかなく、家にいる時間の大部分を過ごす一階には鳩サブレーを置けない。この期間はなるべく二階の自分の部屋にいるようにしよう。

 昨日用意しておいたナッツと水は全くと言っていいほど減っていない。だが朝になって、やはり新鮮な冷たい水や新鮮な木の実を用意しておくことは鳩サブレーにかぎらずペットを飼育する上で非常に大切である。
 ペットというものを飼育した経験のない私にとって、かなり新鮮な体験だ。まあ毎日継続してできるかといったら別の話だが。

 まだ鳩サブレーとの交流は手探り状態だ。それはコントローラーを握ることはできず、グローブをはめることもできず、本をめくることもできない。だから幼子に物事を教えるように、この鳩サブレーと接していこう。

4/6(水)

  私の住んでいる地域で小規模な地震があった。普段であれば慣れきっていて大したことはないのだが、今となっては鳩サブレーという不安要素がある。
  それは文句も言わずに服のラックの上に吊り下がっている。が、鳥かごの固定方法が貧弱な分地震による揺れも相対的に大きくなる。我々が震度1を体感したとしたら、鳩サブレーには恐らく震度3程に感じられるのだろうと、かごの揺れ具合を見て推察できた。揺れも左右に揺れるものではない。感覚的には遊園地のバイキングに近いだろうか。

  幸いにも水が零れることも無く、鳩サブレーに被害が及ぶことも無く軽傷で済んだ。
  近頃は不穏な地震が非常に多いので、それがストレスを抱えないことを祈るばかりである。


4/11(月)

  1週間が経過した。この間私は鳩サブレーに私の好きな音楽を聴かせたりしていた。豊島屋の店内と私のお世辞にも綺麗とは言えない部屋しか見てきていない鳩サブレーにとって貴重な体験になっているのだろうか。「どう?」と時折声をかけてみる、が依然として返答はない。
  数日前、キノコが50程の言語を用いて会話をしているというニュースが目に入った。鳩サブレーも微弱な信号を出して私に何かを伝えようとしているのかもしれないが、私には力及ばずそれを感じ取ることは今までできていない。

  一定の時間を過ごした関係の行く先として、「同じ寝床を共にする」というのがある。まあ同性でも異性でも起こりうることだが、私は鳩サブレーにも同じことをしようと試みた。

  つまりこういうことだ。自分の子供がこんなことをしていると知ったら私の両親はがっかりするだろうか。まあまだ一つ屋根の下に住んでるから鳥かご買ったのも鳩サブレーを飼ってるのもバレているのだろうが。

  ただそんなこと以上に、私を悩ませる問題があった。この鳩サブレー、匂いが私の食欲中枢を刺激してたまらない。

  今までも部屋で勉強なり、YouTubeでハイパー面白い現世最高のオモコロチャンネルを見るなりしていた時にも匂いがしてきた時はあったが、隣で寝るとなったら訳が違う。
  寝る直前になって強烈な食欲に駆られる恐ろしさは、受験前などに徹夜して勉強した経験のある人からしたら身震いする程だろう。鳩サブレーの匂いを感知した瞬間、私の胃は拍子抜けの音をあげ、口の中は既に涎で大洪水となっていた。
  私はこれらの誘惑を素早く寝るということによって断ち切ろうと考えた。そのためには普段かなりの量嗜んでいるコーヒーを就寝時間の6時間前(カフェインの成分の効く期間)以降には飲まないようにし、寝れない時用のひみつ道具、ASMR動画を聴き、その他にも様々な対策をして鳩サブレーとの添い寝に成功した。

    そうして鳩サブレーとより長い時間を過ごすようになった。期間は後3週間。果たして私の鳩サブレーに対する感情はどう変化しているのだろうか。


 4/22(金)

 少し間が空いてしまった。というのも、現実での生活が忙しくなり、なかなかお世話をする時間が確保できなかった。
 時間的、経済的に余裕がなくなり、ペットを捨ててしまう人たちも少なくないと聞くが、思ったよりバカにできないことなのかもしれない。

 さて、今日は少しばかり外の世界を見せてやることにした。そう遠くないうちにXデーを迎えるのに、私の小汚い部屋以外の世界を知らないというのは、それにとってあまりにも過酷なものである。

 とりあえず家の中のまだ見えていないであろう場所に案内してみる。
 私の家では昔ながらの伝統を生活には取り入れなくとも重んじる節があるので、このように兜が飾ってある。
 知識の外のものを生物は畏怖する傾向にあるが、鳩サブレーはこの兜を知ってどう思うのだろうか。怖い思いをさせていたら済まない。

 

 それと、キッチンも見せたことがないので、一応見せてみた。
 いずれはそれもこの場にもう一度立つことがあるのかもしれないが、今はそんなことを考えても仕方あるまい。あと一週間と数日。鳩サブレーを、私はどの程度愛せているのか。


期限の日が来た

 5月2日。月曜日。鳩サブレーを食べられるか、食べられないかの決断の日をついに迎えることになりました。
 勉強をするとき、寝るとき、ゲームをするとき、常に鳩サブレーを隣に置いていたので、実質的に過ごしていた時間はこの期間だけで言えば共働きの両親や、学校が終わり次第祖母の家に帰る妹より多いわけですが、それも今日で一つの区切りがつく訳です。

 鳥かごから鳩サブレーを出して、一階のダイニングに裸のまま持っていきます。今までも外に出したことはありますが、今回のは重みが違います。
 迷っていても仕方ないので、とりあえず皿を用意し、そこに鳩サブレーを乗っけることにしました。迷うのはそこからで十分でしょう。

 こうしてみると意外に大きいものです。今までちびっこだと思っていた我が子が、隣に立つと大きくなっているとき、こんな気持ちになるのかなとうっすら思いながら、鳩サブレーを眺めます。

 一応賞味期限は5月の末なので、延ばそうと思えば鳩サブレーを延命してあげることも可能です。でも、暫く経った後に私はこれ以上、それと居ていいものか?という考えに行き着きました。いや、考えていたのは、本当は少し前から。

 思い出が深いほど未練も比例して深くなります。たしかに多くの時間を共にし、私がゲームで絶叫している瞬間なども共にしてきたわけですが、もっと思い出を作ればそれだけ別れも辛くなります。どこかで諦めなければいけない時は来るんです。できるなら、辛くないうちが良い。私は今日の期限をもって、この鳩サブレーを食べることにしました。

 「いただきます」と感謝を述べたあと、一口目を運びます。
 不思議なことに、全く雑味を感じず、ただバターの風味が鼻孔をくすぐり、鳩サブレーとのことを思い出させます。
 嬉しいとかは特になく、本当に無心のままでした。元カノからもらったプレゼントなりを発掘するたびに切なさを感じる、そんな表現は創作物などで一度は目にしたことがあると思いますが、その状態が食べている間は続いていました。

 その後も順に食べ進め、できるだけ思い出を呼び起こさないようにしながら、しっぽまで食べ終えました。

 ごちそうさまでした。こういう記事にあってはならないことだとは思うのですが、あまりこの後のことは覚えられていません。ただ、しばしの間椅子からは立ち上がれなかったのは覚えています。

おわりに

 存外に、鳩サブレーが去っても虚無感を引きずるようなことはありませんでした。まだ期間が短すぎたのでしょうか。確かに食べ終えてから数日ほど経ちましたが、そんなに大事だったか?と言われると、私なりに近づく努力はしていたのかもしれませんが、急に生活の一部に入ってきたのでどこか排他的な感情を抱いていたのかもしれません。

 ただもぬけの殻となった鳥かごを見ると、やっぱり寂しさは感じます。
 そこに居た形跡はあるのにいざ存在していないと違和感もあるし、何があったのかの背景を知っていると余計に侘しい気持ちにもなります。

 何かを愛するという経験を経て思ったのは、人の愛情は意図的には生まれにくいということです。特に本人がその方向に持っていこうとしている場合は。
 人がペットを自然に愛せるのは、長い時間を過ごすこと、そして深く取り入らないこと、そして反応を示してくれることが条件であると思います。今回は時間も多く取ることができなかったし、その分過干渉になってしまったし、餌も食べてくれなかったので反応もせず、コミュニケーションが一方通行になってしまっていました。
 それと、他人に「鳩サブレーを飼ってみて」ということを言われていたら、結果は変わっていたのかもしれません。そうしたら起因が他人にあるので、自分が苦しい思い込みをする責任が薄れます。

 今回は私の偏ったエゴによってこのような結果になりましたが、否定的なみなさんも、肯定的なみなさんも、私の考えを一通り集約したこのまとめで満足してもらえたら幸いです。

 ものを愛せるというのは実はすごいことなんじゃないでしょうか。そして自分が今大切にできている人がいるっていうのは奇跡に近いことなのかもしれませんね。それほどまでに深い関係を構築するのはものすごくハードルの高いことで、だからこそ周りにいてくれている人たちをもっと大切にしていかなければならないな、と思いました。まだ若輩者ではありますけどね。

 それではまた~。

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Elle(えら)