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ラ・ラ・ランドに窒息させられた日

話題の『ラ・ラ・ランド』を見た。それも初日に。
予告CMを見て、「私の大好きな世界が詰まってる!!!」とテレビを抱きしめたくなるほど興奮したので、見に行かないという選択肢がなかった。
2時間ずっと気を張りつめていないといけないのが苦手という理由で映画(とくに洋画)はほとんど見ないのだが、そんな私が公開前から「5回は見よう」と思える原動力は、「ミュージカル」ただ1つである。

わくわくと高揚感に満ち溢れたまま、席に着く。みなとみらいのそこは、重厚感たっぷりのシアターで、本当にミュージカルを見に来た気分になる。
ついに、幕が開けた。

やばい、好きだ。

冒頭の数十秒でそれを確信した。
軽快なピアノの音色、車がひしめき合う高速道路、次々に人々が歌い踊る人々、色とりどりの衣装。めまぐるしく展開されるジャズとダンスは、まさに私が大好きな世界そのものだった。

好きすぎて、思わず泣きそうになってしまうような、そんな感覚。

この映画は、ジャズピアニストが主人公ということもあって、ジャズで溢れている。
私はジャズが大好きだ。しっとりなのも、明るいのも、どちらも。
劇中でジャズを聴くたびに、あれもこれも私の琴線に容易に触れてくるもんだから、「だから好きって言ってるじゃんよお!!!好きなんだよ、好きすぎて窒息しそうなんたよ!!!」って泣きながらスタオベしたくなった。

人ってドンピシャに好きな世界に対峙したとき、胸がいっぱいすぎて泣きたくなるんだな、と実感させられる。

なんでジャズを好きになったのかはわからない。けれど、気づいたときから、ミュージカルのキラキラしたカーテンコールで歌われるジャズが好きで、ディズニーランドで流れてるジャズが好きで、お洒落なお店で流れてるしっとりしたジャズが好きだった。
ジャズが好きだから、ミュージカルが好きだし、ミュージカルが好きだから、ジャズが好きなんだと思う。そのくらい、この二つは私を無条件に興奮させる起爆剤なのである。

ララランドには、これでもか!というほどに、様々なミュージカル作品のオマージュが散りばめられている。はりぼてのようなセットで歌い踊るシーンは、特に昔のミュージカル映画を見ているようだ。

「この一瞬は『雨に歌えば』のあのシーン、と思ったら『ウェストサイドストーリー』!あらやだ、『ムーランルージュ』も!!」というように、観客を飽きさせることを知らない。
むしろ、油断できない。2000円払って、歴代の何十ものミュージカルのパフォーマンスを見ることが出来るなんて、実質タダだ。

この映画において、私の心をブンブン揺らし、涙腺を刺激したものがもう一つある。「青い夜」だ。
私は、日が落ちきらない、夕方から夜へ変わる境の「青っぽい夜空」がたまらなく好きで、その青い世界にオレンジ色の光がふわふわと浮かんでいる景色が、この世で一番好きだ。冗談抜きで、一番好きだ。

ララランドのミュージカルシーンにおいて、「黒い夜」はほぼ登場しない。ほとんどが、「青い夜」なのだ。
高台の駐車場で、主人公2人が踊るシーンの空は、まさにそれである。悪態をつきながらも、タップを踊りながら気持ちを寄せていく2人の後ろには、「青い空」と「オレンジの光」。
それはどこかおとぎ話のようであり、現実を忘れさせてくれる。

この映画においてミュージカルシーンというのが現実と夢の狭間の部分にあると考えると、それも納得である。どこまでが夢で、どこまでが本当なのか、わからない。夕方と夜の間。その曖昧な場所に、ミュージカルがある。

では、ララランドの見せる「現実」とは何か。

教科書的な解答で言えば、「夢を叶えるためには何かを犠牲にしなくてはならない」ということなのだが、あのラストシーンを見てわたしが真っ先に思ったのは、「一番好きな人とは結婚できない」ということである。
これはまさに真理ではなかろうか。私の母もそう言っていたし、何よりかの有名なユーミンが言ってるのだから。

そしてヴェールを上げて 彼と向かい合うとき
あなたが遅れて席に着につくのがわかった
密やかなぬくもりも 燃え尽きたあの約束も
カテドラルから高い窓から空へ逃がすの
(中略)
彼と寄りそいゆくわ ずっと大切に思うわ
いつかあなたに いつか自分に誇れるように
(中略)
途切れた夢をみんなひきとって あなた
離れてゆくの
.
松任谷由実『心ほどいて』

ラストシーンの2人は、まさにこれだと思う。
それぞれが夢を手にしたとき、彼女の隣にいるのは別の人。互いの夢と引き換えに、「2人でいる未来」という夢は途切れてしまった。

でも、その途切れた夢は、いつまでも2人の胸の奥に、「綺麗な思い出」として残るのだ。その思い出をたまに引っ張り出してきては、「ああ、あの人と結婚してたらどうなってたんだろう。でも、そしたら今の私は、今の家庭は無いんだよな」なんて物思いに耽ったりして。
いつか自分に、いつか相手に誇れるように、また現実の世界を生きるんだろう。

ミアとセブが、最後に微笑みあうのもそういうことだ。あの回想シーンは単なる後悔とifの話ではなく、「そうなるかもしれなかった2人の未来」の昇華ではないだろうか。夢を思い出に昇華した2人は、あそこで決別とリスペクトの意を込めて微笑み合ったのだと、そう感じた。

この世にそんな風に過去を綺麗に昇華出来る人間なんて、そう多くないはずで、だからミアとセブは幸せな方なんだと思う。むしろ2人の間にあれ以上に幸せなラストは無かったんじゃないか、というほどに。

結局夢は残酷だけどキラキラしていて、ミュージカルはそんな夢をたくさん詰めた存在なんだなあ、と、結局はミュージカルに救われた、そんな二時間であった。

正直、私にとってストーリーはほとんどどうでもよかった。ここだけの話、起承転結の「転」の部分、2人が別れる部分の意識がまるっと無い。
それでも、見終わったあとの、多幸感ーー胸が詰まるほどワクワクする感じーーは、近年稀に見る凄まじさだった。まるで、ディズニーに行った時のような、そんな多幸感。

ジャズとミュージカルをふんだんに含んだそれは、まさに【lalaland:現実離れしたおとぎ話の世界・現実から乖離した精神世界】だったのだ。

やはり、ジャズとミュージカルは私の血となり肉となっているのだと、実感させられる。
私はきっとこれからも、辛くなったらこの夢と現実の間のlalalandをふわふわとさまようのだろう。この最強の合法シャブを使って。

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