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つくるひとに、伝われ!

波はありつつも意識的に文章を書こうとしている。本当は自分の日記に書けばいいことだけど、誰かに見てもらえた方が励みになるからnoteの場と読む人のお時間をお借りしている。制作の端くれとも言えないことだけれど、それでもある程度纏まった時間と、思考を整える体力が必要なことだと知った。

「クリエイター」と呼ばれる人は全然その程度じゃなくて、プロフェッショナルな製作に必要なスキルと、それを得るためにかかる時間・エネルギー・環境づくり等、私の想像を超える膨大なコストがかかるのだろう。

最近、世間でクリエイターとしてモノやコトを生み出す人たちに、それを楽しませてもらったと意識的に伝えたい、と思う。閲覧数など簡単に見える場合もあるかもしれないけれど、受け手がどういう気持ちになったのかは分からないから。少なからずいいと思ったものに対しては何かしら残したいなと思う。好意的に思っていると。心からの思いは文字に興して渡したい。

何かのエンターテイメント、ないし「モノ」「コト」お店やイベント・建物なんかを「誰かの制作物」だと考えられるようになったのは、大人になってからだった。そこにあるのが当たり前で、利用し楽しむことしか考えていなかったところから、「その裏側の人たち」を意識するようになったのが小学生の頃。在学中に校舎の建て替えがあり、あっという間に出来上がったプレハブ校舎で1年間を過ごした。空調設備が乏しく狭いプレハブ校舎の中から、新たな校舎が土台から少しずつ完成に近づく過程を眺めながら「あ、教室も誰かが作ったものなんだ」と感じた。

もう少しクリエイター側の視点から見れるようになったのはつい最近で、身近にクリエイティブに生きる人たちと交流を持てたことが大きい。

例えば幼なじみ。ほんの一部だけれど、彼女の絵は昔から少し見えたりしていたから、美術部や画塾、美大等、自己研鑽の環境に身を置き、場所も自らもアップデートを続けているのを間近に感じていた。努力を重ね技術を向上させ、どんどん絵が変化していく。彼女の個展で数年ぶりに再会した時には、部屋中に掛かった何枚もの、綿密に描き込まれた大きな油絵にひどく圧倒された。

例えばスポーツアプリの会社に勤める恋人。スマホアプリをどうやって作るかなんて何も知らなかったから(今もよく分からないけれど)、ユーザーを増やす為に、人を採用し育てるという段階から、発案・細かなアップデート・他企業との連携・発信など、クリエイティブな企業の一端を感じ取った。データをデジタルに、オートマティックに受け取る便利なツールが、実は多くの人の手が介在し地道な試行錯誤を経て完成されていることを知った。

生活に溢れているモノ、コト、一つ一つが誰かの作品なんだと。何かを突き詰めて形にしてくれる人たちのおかげで、楽しい日々が送れているのだと、やっと少し分かったんだ。クリエイティブに生きるみなさま、ありがとう。

製作者がわからなかったり、表立っていなかったり、もう亡くなっていたりして伝えられない場合も多いけれど、すごく好きなことや感動したモノに出会った時、面と向かって伝えられる場合、コメントを残せる場合、なんだか「伝えたい」と思うんだ。お金を払って買ったり、支援することも、そういう手段のひとつなのかもしれない。そんな時は、ああいい買い物したって、思うよね。





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