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病歴⑧:抗がん剤治療開始

退院して、一週間もたたずに、再び入院した。
抗がん剤治療の初回のためだ。
新しい髪形は、病棟や緩和ケアの看護師さんたちが驚かせた。
それが結構、楽しかった。

入院した日に、薬剤師さんから使用する薬剤と副作用などの詳細なインフォームがあった。
初日には、まず、吐き気止めの経口薬が処方される。
点滴の内容は、抗がん剤が2種類、それに、吐き気止めと、過敏症を抑える薬が加わる。
抗がん剤には、アルコールが添加されているため、点滴中は眠くなることが予想された。

毎度のことながら、なにかしらの治療を受ける前のインフォームド・コンセントは、ホラーより怖い。
これから自分の身に起こるかもしれないことであると真剣に受けとめると、怖い。
怖い情報を包み隠さず伝える場が、インフォームド・コンセントになるわけであるから、怖いのは仕方ないとはいえ、時々、打ちのめされることがある。

この時は、頭髪についてはあきらめと受け入れのこころの下準備はできていた。
そこはいい。
場合によっては、アレルギー反応、アナフィラキシーを示すことがあるという。それはちょっと緊張する。
食欲不振や吐き気を感じる人もいるが、御褒美デザートを食べ過ぎて体重が増えることもあるというので、そこは自己管理と言われる。
便秘や口内炎、筋肉痛など、身体症状がいろいろと挙げられるなかで、やばいと思ったものが手足のしびれだった。

これまで、どんな症状がしびれであるか、自分の体感と言葉がうまく結びついていなかったこともあり、医師から抗がん剤についての説明を受けた時も、神経障害についてはあまり深刻に受け止めていなかった。
薬剤師さんは具体的にしびれについて説明してくれた。
手足のしびれは、抗がん剤治療後も残存することがあること。
手の神経障害がひどくなると、字を書くことや箸を使うなど、細かな作業が難しくなる。刃物を持たないほうがよい場合もある。足のほうは、つまずきやすくなる。
私の仕事は、PCで大量の文字を入力する。それが難しくなる可能性に思い当たった瞬間、顔色を失ったと思う。
刃物を使えないほどの手のしびれって。そこまでひどくなるのかと、気が遠くなる思いがした。

液剤は劇薬であるので、万が一に液漏れが起きると、血管が炎症を起こして使えなくなる場合がある。
血管をなるべく温存するために、点滴は左右交互に前腕に行う。
この説明も、怖かった。痛いのは嫌だ。痛いのは怖い。
点滴が始まってしまえば、寝ていられるかもしれないけれど、その始まるまでが怖い。
考え始めると、抗がん剤治療を受けることを決めたことが早計だったのではないかとまで考えたくなる。
いや、受けないという選択肢はなかった。標準治療がある間は、それを選ぶのが正解。
とはいえ、怖い。怖いものは怖い。

緩和ケアの看護師さんが、その夜だったか、声をかけてくださり、副作用についてはそれをやわらげる手段もあるのだから怖がらなくてもよいととりなしてくれた。
薬剤師さんの説明は最悪の場合の呈示だったわけであり、すべてのケースが最悪の事態になるわけではない。
冷静に考えればわかることだが、次から次の説明に、私の許容量はぱんぱんになっていたのだと思う。
その夜はあまり眠れなかった。どうせ、点滴中は寝るのだからと思って、あまり眠れないまま、深夜までTwitterをしていたような気がする。

この時の入院も個室を希望していた。
入院時には一番広い(=高い)部屋しか空いておらず、それでもいいのでと個室にしてもらっていた。
翌日には、前回と同じの手ごろなほうの個室が空くので、そちらに引っ越そうということになっていた。
点滴は病室でそのまま受けることになっており、寝ている間にベッドごと動かせばいいよね、という話になった。
そして、動かされていることなんて気づかないぐらい、熟睡した。

終わってしまえば、喉元を過ぎればなんとやらの通りで、思ったよりも楽だった。
アルコールの効果なのか、いささか、ハイな気分になっていたのかもしれない。
点滴をさす時の医師の手際も鮮やかであったし、点滴が終わる頃にはパートナーが駆けつけてくれていた。

これならやっていけるかもしれないと安堵して、パートナー氏を見送ったのが、点滴の翌日夕方。
その後から、すとんと自分の中の意欲が消えた。
その変化を言葉にするのは難しいが、ブレーカーが落ちたみたいに、すとんとなにかが消えたのだ。
横になったまま、動けない。動こうという気にならない。なにかをしようという気持ちがわかない。
手術直後に比べれば、身体面のつらさは低減していたはずであるのに、本を読んだり、なにか暇つぶしをしようという気が、一切消えた。
食欲もなくなり、出された食事の半分を口にするのが精いっぱいになった。
ふくらはぎのあたりや膝の関節がだるくて、インフルエンザで高熱を出したときのような倦怠感が襲ってきた。

火曜日に入院して、水曜日に点滴。退院日は決まっていなかった。
アナフィラキシーを起こさなかったので、金曜でも土曜でも、退院はいつでもいいと言われて、土曜日を選んだ。
退院した時点で、入院前から体重が2kg減少していた。
さすがに、これはまずいと思って、それから口に入るならなんでもよいから食べるように心がけるようにした。
幸い、ネットの世界では、治療を受けたことがある人や、治療に関わってきた人から多くの助言をもらうことができ、どういうものなら食べやすいかも教えてもらった。
よって、体重は増えはすれども減っていないので、抗がん剤治療って痩せるんじゃなかったっけ?と自問自答する日々が現在まで続いている。

退院日のほかにもうひとつ、決まっていなかったというか、決めていなかったというか、自分が当事者でありながらどうしてよいかわからなかったことがある。
それは、2回目からの抗がん剤治療をたびたびに入院するのか、通院するのかといった、その後の予定に関わる部分である。
働きながら抗がん剤治療を受ける人もいるとは説明を聞いていたし、入院するのは遠方からの人とは聞いていたが、病棟の看護師さんから、次はいつ入院?などと尋ねられると、入院が普通なの!?と戸惑った。

私の通院先は車で30分ぐらいのところにある。抗がん剤はアルコールが添加されているので、自分で運転して通院することができない。それは、結構、誤算だった。
公共の交通機関では行きづらく、バスで小一時間+徒歩20分ぐらいかかる。この頃は手術後の痛みの鎮静のために鎮痛剤が欠かせず、徒歩20分は途方もなく感じていた。
タクシーを使うのが一番現実的であるようだが、朝に住宅地まで来てもらえるとは限らない。昨今は、ドライバーさんも高齢化と人手不足で、タクシーも必ずしも予約できるわけではないのだ。
免許返納をそろそろ検討しなければならない両親に頼るのも気がひけた。当初は点滴の間、両親は付き添いを希望したが、点滴はだいたい2時間かかる。その後、気分が落ち着くまで30分から1時間ほど、寝させてもらう。家族が待っていると思うと安心して休んでおれず、気分が悪いまま、帰路についてしまい、吐き気に悩まされた。

現在、行きは自分で運転して病院に行き、着いたら両親に運転を交代して、車を先に持って帰ってもらっている。自分は治療後はタクシーを利用して帰宅するようにして、通院を続けている。
普段よりも早起きしなくてはならないし、毎週のことであるから、両親が疲弊しても困る。それで、月に1度は前日から近くのホテルに泊まることにして、両親には休んでもらうようにした。
なにかとお金がかかるが、そんな風にして、6クール、全部で18回の抗がん剤治療に取り組むことにした。

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