【挑戦】手足の指を失いながら、今なお挑戦し続ける世界的クライマー山野井泰史の”現在”を描く映画:『人生クライマー』
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映画『人生クライマー』で描かれる、世界的クライマー・山野井泰史の凄まじい生き様
【※私が観たのは、ヒューマントラストシネマ渋谷で行われた「TBSドキュメンタリー映画祭2022」で上映されたものだ。その後この映画は、『人生クライマー 山野井泰史と垂直の世界 完全版』という名前で、改めて劇場公開された。「完全版」の方は観ていないので内容がどう違うのか分からないが、以下の記事の中で何かおかしいと感じる記述がある場合、「『完全版』ではないバージョンの感想だからかもしれない」と判断して欲しいと思う。】
クライミングの世界に詳しくない人でも、山野井泰史の名前ぐらいは聞いたことがあるのではないだろうか。世界的に知られたクライマーであり、私もなんとなくだがその存在は知っていた。2021年には、登山界で最も権威あるフランスの賞「ピオレドール賞生涯功労賞」を受賞している。これまでに同賞を受賞した者たちも、有名なクライマーばかりなのだそうだ。
しかし、そのように説明されたところで、なかなかその凄さを理解できはしない。そこでまず、映画『人生クライマー』で描かれるある場面から、いかに山野井泰史が凄まじいクライマーであるのかを説明してみたいと思う。
手足の指を失った山野井泰史が挑戦した中国の山の話から、彼の凄まじさを理解する
映画の中で、「ポタル北壁」についての描写がある。かなり難易度の高い中国の岩壁だそうで、その単独登攀に山野井泰史は2005年に成功した。
さてその後、山野井泰史が登った「ポタル北壁」のルートに挑戦した者の話が出てくる。中国人3人のクライマーチームだ。彼らの実力のほどは不明だが、そもそも「ポタル北壁へのチャレンジ」自体、相当高いレベルを要求されるとのことなので、かなり高度な技量を持つ者たちなのだと思う。
そんな彼らが3人で協力して登攀に挑んだにも拘わらず、2013年の初挑戦の際は失敗してしまった。その後、2020年までの7年間に5度挑戦し、5度目でようやく成功したのだそうだ。そんなルートを山野井泰史は、たった1人で登っているのである。
しかし驚くのはまだ早い。山野井泰史は2005年の挑戦時点で既に、なんと手足の指を失っていたのだ。
その事故は2002年に起こった。山野井泰史は、妻の妙子と共に、ヒマラヤの難峰「ギャチュンカン」に挑んだ。登頂には成功したものの、彼らは下山途中で雪崩に巻き込まれてしまう。生死も危ぶまれる状況だったが、山野井夫妻は凄まじい忍耐力で下山を果たした。しかしその過程で彼は、両手の薬指・小指、そして右足のすべての指を失ってしまったのである。
そしてその状態で、2005年の「ポタル北壁登攀」を成功させているのだ。繰り返すが、3人のクライマーが何度も失敗したのと同じルートを単独で、しかも手足の指を失った状態で登り切っているのである。
このエピソードだけで、いかに山野井泰史が凄まじいクライマーであるかが理解できるだろう。そういう男に密着したドキュメンタリーなのである。
「単独登攀」への強いこだわり
山野井泰史は、「他のクライマーと何が違うのか?」と問われて、「単独での登頂にこだわっていること」と答えていた。彼曰く、8000m級の山に単独で挑むクライマーは、世界を見渡してみても5~6人程度しかいないのだそうだ。
しかし、映画撮影のためにカメラが密着し始めた時点で、山野井泰史は単独登攀を止めていた。「手足の指を失ったからだろう」と思うかもしれないが、2005年に「ポタル北壁」を単独登攀しているからそれは違う。本当の理由は、俄には信じがたいものだ。彼は奥多摩の自宅近くで熊に襲われたことがあり、その際に鼻を怪我してしまった。それにより鼻呼吸がしづらくなり、今までのようには高地順応が出来なくなってしまったという。この出来事を機に、単独登攀を止めたと語っていた。
しかし、その話を知った上で、監督が改めて「なぜ単独登攀を止めたのか?」と問う場面がある。山野井泰史は、思い悩むような長い沈黙の果てに、こんな風に答えていた。
本人も、それが本当の気持ちなのか分からないと言った雰囲気で喋っており、どこまで本心なのか分からない。ただ彼は、
とも口にしており、こちらの実感については間違いなく嘘偽りのないものだろうと感じた。
映画を観ているだけの観客も、その「孤独感」をなんとなく感じることができる。1000mもあるような岩壁や氷壁を、身一つで登っていくのだ。映画では、高校を卒業したばかりの山野井泰史が、進学も就職もせずにアメリカ・ヨセミテの岩壁を登ったエピソードも紹介されていた。その時は、途中でビバークを繰り返しながら、頂上まで8日掛かったそうだ。最後の3日間は碌に食料もなかった、と。それはとんでもない「孤独」だろうし、「その孤独に耐えられなくなった」というのも、理由の1つとして分からなくもない。
ただ、別の場面で監督が「また単独登攀に挑戦したい気持ちはあるか?」と問うた時には、
と答えていた。やはり、その達成感はとんでもないものなのだそうだ。一度経験したら、忘れられないのだろう。
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