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ひとりっ子の掟

「お父さんとお母さんどっちが好き?」
よく大人は、無邪気を装って面白半分に子供にこんな質問をすることがある。ドラマや物語だけで出てくるような話ではなく、私も子供の頃はよく、この質問をされたのを覚えている。途中からは大人が、両親と子供の顔を交互に見て面白がりながら答えを待っていることもセットで。

だけど私はどんな時も、「両方!」と答えてきた。物心ついて自分の答えが聞き手の期待してる「面白い」答えではないかもしれないと気づいた後でも、空気を読むことよりも大切なものがあった。

ルールその1。お父さんとお母さんは同じくらい好きだ。

私の中には、物心ついた時から当たり前だったひとりっ子として譲れないポリシーのようなものがある。そのうちの一つが、母と父を比べてどちらがいい、というような表現はしないということ。複数の子供を持つ親が、「すべての子どもがそれぞれ大切で比べられないよ」と言うのと似ているかもしれない。その矢印が子供から親に向いているだけで。笑 ひとりっ子は、小さい頃から表現に気を遣っている。

ありがたいことに幼少期から既にそう思わせてくれるくらいに、愛をたくさん感じていたのだと思う。それぞれその形は違うし、一緒に過ごしている時間もそれぞれとの過ごし方も違うけれど、二人とも大切にしなきゃいけないな、そして、二人を比べるようなことはしていけないな、と思うようになったのは多分3歳くらい。

兄弟姉妹がいないから、私にとっては、家族といえばその2人なのだ。もちろん祖父母や叔父叔母や従兄弟もいるけれど、生まれた頃から一緒に過ごしてきた家族と言ったら、その2人なのだ。3人家族の一員として、家族を平和に保つ責任はあると、謎な責任感を小さい頃から感じていた。ひとりっ子だから平和主義なのか、平和主義だからこういう考えを持つのか今となっては分からないけど、私のポリシーの一つは揺らがない。

ルールその2。ひとりっ子は家にいろんな人を連れてきます。

よく、兄弟姉妹いなくて寂しくないの?と聞かれることがある。そもそも生まれた時からひとりっ子が当たり前だったから「寂しい〜〜〜」と思うことはない。が、確かに、物理的に家にいる人数が少ない分、人数が多い家族より静かな時間が流れていることも多いのかもしれない。

ただなんとなく、うちの食卓には賑やかなイメージもある。
それは多分、いろんな人がご飯を食べにきているから(半分は私が呼んでいるから)。もちろん許可を取ってだけど、特に、高校生あたりからはチームメイトや先輩をうちに呼んで練習の前や後に、時にはオフの日でも一緒に食事をすることが多かった。私は本当に何もしていないのだけれど、母が作ったご飯をみんなが美味しい美味しいと言いながら食べるのを見るのが嬉しかったし、父や母と私の友達や先輩が仲良くしているのを見るのも好きだった。今でも日本に帰るときは、少なくても一回は仲間を集めてうちで食事会をする。多分、父は元々そこまで私の友達とたくさん話したりするタイプではなかった気がするけど、機会を重ねるごとに段々と花火やカードゲームにも参加してくれるようになって、より一層楽しい。今では父も、日が決まったとなったら自家製漬物やサラダを用意しておいてくれる。

ただよく考えてみれば、小さい頃から複数の家族とホームパーティーなどはよくしていた。ホームパーティー的なものは佐野家の中で、私が始めた文化ではなさそうだ。3人家族にしては少し大きめなダイニングテーブルはきっと、大勢で食卓を囲むのを想定しているためなのかもしれない。みんなが来ると今でも、仕事の話や恋愛の話やホッケーの話や生活の話まで、色々するし、トランプで夜遅くまで盛り上がることもある。食卓を囲む全員が楽しそうにしていて、なんならその晩の家族に一瞬でなれるのが素敵だ。準備はもちろん簡単ではないし頻繁にできるわけではないけれど、今後もたくさん友達連れてきてうちでご飯会しようと思ってるから、よろしくね。というかお付き合いくださいお願いします!

ルールその3。ひとりっ子はいつまでも子供でいます。

気がついたらもう26歳だ。でも自分はいつまでも両親にとって子供なのだと改めて思う。高校の途中までは、その先もずっと東京で過ごして大学も東京の実家から通うものだと思っていた。だけど高校2年生で進路選択を急転換し、19歳から1年の半分以上を国外で過ごすようになった。でも、いつでも私にとっての家は東京の実家だ。毎年海外でも住む場所が変わっていると言うのもあるけれど、東京の家以外に「我が家!」と感じるところはない。そして家に帰ったらいつも、たくさん甘えてしまう。

毎日お母さんが作ってくれるご飯が好きで、母とは家では寝るまで話してるし、昔と変わらず何か心配なことがあれば全部言ってしまう。秘密も多分何もなく、小学生の頃と同じ感覚で何もかも話してしまう。お父さんはいつも散歩に連れ回してしまうし、コーヒーショップへ一緒に行ってコーヒーとワッフルを奢ってもらうし、分からないことや見てほしいものがあったらいつも聞いてしまう。

大人だけどまだ子供で、多分二人にとっても私は子供で、海外にいてもほぼ毎日LINEするし、自炊の写真を送ったら「えらいね〜」とか「すごいじゃん」とか褒めてくれる。笑 出かけるのに、「これもった?」とか「〜しなくて大丈夫なの?」とか言われることもしょっちゅうだ。そして恐ろしいことに、親に言われてから気づくこともよくある。

社会的には大人だけど、海外で一丁前みたいな顔して色々話してることもあるけれど(カッコつけてすみません)、まだまだ子どもなんだなと思わざるを得ない。小さい頃の自分が想像していた以上に。でもそれが、私と母と父との繋がり方の一つでもあるかもしれないから、大人になるけれど、子供でもいたいと思う。

ひとりっ子が寂しいかなんて言い出したらキリがない。ひとりっ子って、そんなに多くないイメージ。海外にいるとなおさら、驚かれることも多い。そしていつも、ちょっとネガティブな意味も含めて、寂しくないの?と聞かれるのだ。

確かに、「兄が欲しい」と思っていた時期もある。スポーツの練習相手になってくれそうだから。笑 両親にとってたった一人の子どもとして両親を幸せにできるかは、私にかかっている、とプレッシャーを勝手に感じることはあったかもしれない。想像でしかないけれど、兄弟姉妹がいたら、もし自分がうまくいかなかったとしても、別の兄弟が喜ばせてくれるかも、なんて。でもそんなこと言い出したら、兄弟姉妹がいる人はいる人でプレッシャーも悩みもあるのだろう。

現代よく取り上げられる介護の問題を見て、私たちがみんなもっと歳をとった時に、色々大変になるのかな、と不安になることだってある。そんな時は、ひとりっ子の同志の方達、お互い頑張りましょうと思う。

親に対する、大切な想いも、愛も、喧嘩した時の愚痴も含めて、共有できる同列の存在(多分それが兄弟姉妹)がいない寂しさは少し、あるのかもしれない。だからこそ、いろんな人を家に連れてきて、家族ごと仲良くなりたいというのもある。うちの親を一緒に好きになってよ〜っていう勝手な思いも多分、こもっているかもしれない。笑

まあ、兄弟姉妹いる人が悩みがあるようにひとりっ子だって考えることはもちろんあるけれどそれでも、
私はこのひとりっ子という運命と人生を愛している。

大人になってより、このひとりっ子として3人家族の一員でいられることに愛着が湧くようになった。

いつか結婚して、子供ができたかもしれない時に、私には妻とか親とかいうアイデンティティが増えることになる。そう考えると、家族というカテゴリーの中ではまだ、子供というアイデンティティしかない今がより貴重で大変愛おしくもなる。親孝行とかそんな立派なことできるか分からないけど、せめて、毎日家族が楽しく幸せと思える瞬間に貢献できていたらいいなと思う今日この頃である。回りくどくなってきたけれど要するに多分、私は感謝をしたいのだ。家族に。この人生をくれてありがとう、と。

私は大切な人であればあるほど多分、直接目を見て感謝を述べることが苦手で、多分少しふざけてしまって、それをすると訳もわからないのに泣いてしまいそうで、だからこれがラブレターということでいいだろうか。ひとりっ子という人生を愛しているから汲み取ってくれたら大変ありがたい。勘弁してね、これで。

ちなみに、家族から今までもらったプレゼントで一番気に入ってるのは、自分の名前。月咲って最高のセンスしてると思うよありがとう!!


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