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いつかまた、あなたの美しい庭園で会いたい

「仕事は楽しいか?」

実家に帰省する度、祖父は私にそう聞いた。
「まあまあかな、でも楽しいよ」と返事をすると、「そうかそうか、よかった」と笑顔で話してくれる。
寡黙だけれど柔らかな雰囲気に溢れ、静かに見守ってくれるような人。
庭いじりが大好きで、庭の植物たちはいつも美しかった。時間があればいつも外にいて、自然を愛していた祖父は、2019年10月に亡くなった。
90歳だった。

85歳を過ぎた頃から認知症をわずらい、徐々に進行していった。寂しい気持ちを持ちながらも、年老いていくことへの”理解”で自分をなだめていた。

私が実家へ帰るのは、大体3ヶ月に1回くらいだった。毎回祖父は私を笑顔で迎えてくれて、いつも通り「仕事は楽しいか?」と聞いてくれた。私は「毎回同じことしか言わないんだから」と思いながらも、認知症でありながら私のことを忘れず、同じ質問をしてくれることが嬉しかった。私を思いやってくれていることが伝わる気がしたから。

しかし、2019年に入ったころ、ついに祖父は施設に行くことになった。ほとんど家に帰って来られないことから、私は実家に帰省しても簡単には祖父に会えなくなった。親からは、だいぶ認知症が進んでほとんど話さないし、歩くのも難しく、車椅子に乗っていると言われた。私は少しだけ会いに行くのが怖くなった。
「仕事は楽しいか?」と聞いてもらえなかったどうしよう。というか、多分聞いてもらえない。当たり前だったことが少しずつなくなっていくことに対する恐怖。

それでも、初夏あたりに勇気を出して会いに行くことができた。その時のことは鮮明に覚えている。目に涙を浮かべて、うんうんと私の顔を見てくれた。思っていた通り、言葉は何も発さず、質問に対して首を縦に振るか、横に振るかしかできていなかった。だけどあの時、心は通じていた。いつもの言葉はなくても、喜んで迎えてくれた。それが最期になるなんて思っていなかったけれど、あの日会いに行けてよかったと思う。

——祖父が亡くなってから約1年半。最近体調が悪く、色々なことを悩み、落ち込んでいる私は祖父のあの言葉をよく思い出す。
「仕事は楽しいか?」
今の私なら、なんて答えるだろう。気を使って「楽しいよ」と答えてしまうのだろうか。それとも、正直に「元気が出なくて、色々迷っているんだよね」と話すのだろうか。わからない。

けれど、もし、次祖父に会うことができるなら
「すごく楽しい!」
嘘偽りなく、こう答えたい。そして、また祖父に「そうかそうか、よかった」と言われたい。そのためにも、今何ができるのか、何をするべきなのかを考えていこうと思えた。

祖父との会話が、今の私を生かしてくれていると感じた出来事だった。

PS.おじいちゃん、お元気ですか?とても会いたいです。天国の事情は知らないけれど、おじいちゃんの理想の庭園が作れていたらいいな。いつか、お邪魔させてね。

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