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逃げたくなったら、カフェラテでも飲もう

おはよう、日本。
朝9時20分、片付けなけれないけない仕事があるのにも関わらずGoogleドキュメントを開けないでいるので、一旦カフェタイムに逃げることにした。

私は今、新しく買ったネスプレッソエッセンサミニで作った美味しい美味しいカフェラテを飲みながら、このnoteを書いている。
美味しいコーヒーを出してくれてありがとう。あなたのおかげで私幸せ。

「このnoteを投稿したら仕事に取りかかろう」と気合を入れている私がここにいて、今の時点ではやる気はある。頼むよ、未来の私……。
こんなふうに、少し先の、未来の自分に託さなければいけなことが本当はストレスなのだけど。

何もかもが面倒で、疲れてしまった

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実は、後回しにしてしまっていることは「片付けなければいけない仕事」だけではない。

何日分も溜まった洗濯物、部屋の掃除、ゴミ捨て、シンクに溜まった洗い物。どうして生きているとやらなきゃいけないことが山積みになるんだろう。せっかく片付けても、また溜まる。せっかく綺麗にしても、また汚くなる。この繰り返しには結構うんざりしてしまう。

なんなら、せっかく朝早起きをして、1日中一生懸命働いて、やっとベッドに入ったのに、寝たらまた頑張らなきゃいけないことがリセットされてしまう。あぁ、面倒くさい。

ここまで読んでくれた優しい人は感じていると思うけれど、私は疲れている。もしくは、病んでいるんだと思う。(だよね!?そうだよね!?)
心晴れやかな気分で、当たりまえに洗濯をして、当たり前に部屋をきれいに保てるようになりたいのだけど、最近は少し難しい。

感情労働って知ってた?私は知らなかった

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つい最近、”感情労働”という言葉を知った。

感情労働に従事する者は、たとえ相手の一方的な誤解や失念、無知、無礼、怒りや気分、腹いせや悪意、嫌がらせによる理不尽かつ非常識、非礼な要求、主張であっても、自分の感情を押し殺し、決して表には出さず、常に礼儀正しく明朗快活にふるまい、相手の言い分をじっくり聴き、的確な対応、処理、サービスを提供し、相手に対策を助言しなければならない。 つまり相手に尊厳の無償の明け渡しを半ば強制される健全とは言いがたい精神的な主従関係や軽度の隷属関係の強要である。年功序列や接客業など、こちらの生活や人生が相手の判断で左右される職種において発生しやすい。
引用元:Wikipedia

私は今、感情労働の過労状態にいるのではないかな、と思う。
過労で疲れてしまって、何もかも面倒で、嫌になっていると。

Wikipediaの記事を読んでいると、かつては接客業や医療、介護職などの業種の人々に見られることが多いと書いてあったけれど、これは誰にでも起こり得ることであり、環境が全てなんだろうなと思う。

「自分の感情を押し殺し、決して表には出さない」
うん、わかる、わかりすぎていいねボタンがあるなら何回でも押したい。

逃げ道は作れる時に作っておきたい

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過労のせいにしすぎるのもよくないのはわかっているけれど
正直、どうしたらいいかわからなくて、辛い。
でも、辛くなったら、逃げてもいいと思っている。
というより、逃げたいし、逃げるつもり。
逃げてみたら、景色が変わるかもしれないし。
よし、小さな逃げ道をたくさんつくってみよう。


——私は、今日カフェラテを飲む。
これが私の今の逃げ道。小さな幸せ。

あぁ、もう10時になってしまった。Googleドキュメントを開こう。

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