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あれ?100日連続投稿だった!

最近、何日連続という表示が出なくなっていて、昨日投稿した途端に100日連続投稿だったのだ!と知りました。

noteって、楽しい!
というのが、101日目の感想です。
それもこれも、読んでくださって、コメントをくださるみなさんの優しさが、
日に日に身に染みるようになってきているからです。

本当に、ありがとうございます!


私は、小さい時から絵が好きで、自分のことは言葉ではなく絵で表現しているような子どもでした。
将来は、デザイナーになりたい、と小学校低学年から言っていて、実際に美大に行ってパッケージデザイナーになりました。

しかし、本当は文章の方が自分を表現しやすいのかも知れない、とも思っていました。
絵日記を幼稚園から書いていて、なんとなく高校生まで続けていましたので、書くことは好きでした。
大人になってからは夢日記までつけていて、そこには絵も描いているのですが、仕事として自分で描くこと(デザインすること)については、素晴らしい方とお仕事をさせていただくほどに限界を感じてしまいました。
それはそれで、自分が絵に関わる意味は他にあるのだろう、と考えました。
むしろ、仕事にしてしまうと、絵(デザイン)が楽しめないなら、と
純粋に描くことよりも、絵が心に及ぼす作用を知るために、絵画療法と夢分析を学びました。
美大受験の時には、毎日6時間以上描いて、技術をあげることに費やした絵。
それよりも、私の表現方法だった絵を、最近なかなか描いていないのは、少し悲しいことかも知れません。
時期がきたら、また描くかな。

私は、本を読むのが好きで、バッグに本がないと落ち着かない性分です。
しかし、2年前くらいに夢を見ました。
ベランダから、本や百科事典をどんどん投げ捨てる夢です。
もう、インプットはいいから、アウトプットしなさい、という夢のようでした。
でも、何に?

『noteがある!』

文章も、絵も、写真も・・・好きなように投稿できる。
何だか、楽しそう。
それでも、なんだかんだと理由をつけて、アウトプットをせずにきました。
そして、4月に緊急事態宣言が出た後、

「あ、今だ!」

と思ったのです。


父も祖父も新聞記者で、文章を書くことを生業としていましたので、狭い家で文章を書いている時には、「静かにする」というのが、我が家の決まりのようになっていました。
歩くときも、そーっと。
大笑いしないこと。

言葉には厳しかった覚えがあります。

一度口にした言葉は、二度とは口に戻せない。
よく考えてから、口にするように。
言った方は忘れても、言われた方は忘れないものだ。
文章で人を殺めることだってできる。
だから、一語一語に気をつけなければいけない。

そんな内容のことを、何度も聞いて育ちました。
SNSでの出来事など、想像もできなかった頃の話です。

今になると、文章に向き合う時には真剣でなければならない、という教えだったのだと思います。
できるだけわかりやすく、綺麗な言葉を使うこと。
誰かを傷つけない表現をすること。
確かな裏付けがあるか。
必ず、アンチテーゼを考えてから・・・。

「書く」という行為に、厳しいイメージがあったことは否めません。

しかし、もっとカジュアルでいいんだなぁ!と思えたのが4月でした。
自分らしい世界を表現されている方が、noteの中にはたくさんいらっしゃって、
キラキラしている。

この世界に入れてもらおう!と決意して、はじめてみました。
今、noteが大好きです!
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。





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書くこと、描くことを続けていきたいと思います。