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ひまわり荘

暑い夏が過ぎた。
夏の終わりに、思い出すことがある。

その夏も9月になってもとても暑く、放課後に校庭で遊び続ければ熱中症になりそうな暑さだった。
小学校1年生だった息子が帰るなり、
「◯◯さんが、帰ったらまた、校庭に戻ってきてって。遊ぼうって。」
「誰と一緒に?」
「そうたくんたち・・・かな。」

◯◯さんとは、さやちゃんのことだ。
実は、他の子のお母さんから話が出ていた。
学童保育に入っていないため、いつも夕方お母さんが帰るまで校庭にいるらしいが、どうしたのだろうか?ということ。
また、夏休みには学校が閉まっているので、朝から友達の家を訪ねてしまうため、困った家庭があるということ。

その頃住んでいた家は、小学校の真前にあり、門から5分とかからなかった。
都心まで1時間弱の町でJRの駅に近く、大きな社宅がいくつかあり、公務員住宅や転勤者が移り住むマンションなどに囲まれた普通の公立小学校だった。
言葉遣いにも大きな乱れがなく、いじめも殆どなかった。
低学年の子は、親が共働きなら校内の学童保育を利用するか、家に祖父母がいるかで、三十度を越す暑さの中、毎日、校庭で夕方まで遊んでいる子はいなかった。

「もしかして、毎日外で誰かを待っているの?うちで遊んだらどう?もし、みんなが嫌でなかったら。」
そして、携帯番号がわかる友達のお母さんには電話を入れて、さやちゃんも家にやってきた。

さやちゃんは、とても可愛い女の子で、真っ直ぐな目をしていた。
その目を見て、私はこの子の賢さと嘘がない心を知った。
私に聞こえてきた噂の、よくない部分については信じないことを決めた。

年子のお姉さんと、幼児の妹と弟がいると話してくれた。
お父さんは病気だから家にいて、お母さんは働いています、と。
「お母さんは、朝、弟と妹を保育園に預けて、自転車で仕事に行くんです。
おねえちゃんは学校から帰ったら自転車でお友達のところに行くけれど、私はまだ自転車を持っていないから、校庭にそのままいて、お母さんが帰ってくる時間に帰ります。」
敬語できちんと伝えてくれた。

お母さんの携帯の番号を教えてもらったけれど、なかなか繋がらないので、遅くならないうちにお家まで一緒に歩いていくね、と伝えた。
市販のお菓子と麦茶のおやつが済むと、さやちゃんが言った。

「あの・・・。残っているお菓子を、弟と妹に持って帰ってもいいですか?」
「もちろん!今、簡単に包むから待っててね。」

と答えてから、何だか切ない気持ちがこみ上げてきた。
自分が帰ってから食べたいわけではなく、弟と妹に持って帰りたいというのだ。

おやつの包みを大事そうにランドセルにしまう小さな後ろ姿。
まだ、小学校1年生の背中は小さい。
ただでさえ、自分の体にはまだ大きなランドセルだというのに、そこに別の重さも背負っているように見えた。
学童保育には保育費もおやつ代がかかることも、彼女は知っていただろう。


「そろそろ、おうちに帰る時間ね。また、遊んでね!」
お開きにした後、子供を連れて、さやちゃんの家まで歩いた。

「お母さんは、工場だから仕事中は電話に出られないんです。でも、帰ったらお父さんはいます。もう少しで、うちに着きます。」
たまに振り返りながら、跳ねるように前を歩きながら、道案内をしてくれた。
キラキラする瞳でたくさんのことを話してくれる。
さやちゃんの家は、学区の一番端にあった。

「ここが私のうち。ひまわり荘。あそこが、私の家族の部屋です。」
さやちゃんが指差した先は、多分、昭和の頃に建てられたであろう古い木造のアパートだった。
一階の部屋には冷房はなく、木の柵の間から扇風機が回っているのが見えた。
洗濯物があちこちにかけられていた。
ここに6人家族で住んでいる。
幼児が2人いる。

お母さんがどれだけ大変か、この子はわかっているのだな。
息子が迎えに行って校庭からやってきた時、さやちゃんの顔は真っ赤だった。
家に帰ってから来た子たちと、明らかに体温が違っていた。
冷たい麦茶を出して、
「さぁ、暑かったでしょう。飲んで飲んで!」
というと、ごくごく飲み干しておかわりをした。


「お父さんはお休み中かもしれないから、ここで失礼するけれど、おうちに入るまで、ここで見ているからね。また、遊びにきてね!」
「はい!」
と最後まで敬語を崩さなかった。
終始明るく振る舞っていた。
手を振ってアパートに入る姿を見送ってから振り向くと、
私の目から大量に涙がこぼれてしまった。

息子は、黙ってそれを見ていた。
「ごめんね。泣いたりして、おかしいよね。」
「僕、わかるよ。」
子供なのに大人な息子は、全てを理解したようだった。
それ以上は何も話さず、黙々と歩いて家に帰った。


3年生になり、さやちゃんはお姉さんと2人で学校に遅れてくるようになった。
一度、「元気にしてる?」と声をかけたら、
「お母さんがお仕事に行く前に起こしてくれるんですが、また寝てしまうんです。」
と言っていた。
お母さんは、変わらず精一杯愛情をかけて育てられている。
しかし、そのうちにお姉さんは今の学校のまま、さやちゃんは隣の学校に転校してしまった。

理由は誰も知らない。
ひまわり荘で、ぎゅうぎゅうにくっつきながら幸せな家族でいて欲しいと願った。そういう温かい幸せもあると思う。
たくさんの物に囲まれても、孤独な人もいる。
さやちゃんという子は、自分を人と比べない正直さと我慢強さを持っていた。
置かれた環境の中で、何かを学びとれる賢さのある子だと信じている。

もう、あれからかなりの年月が経つ。
あの子は、どうしているだろうか。
夏の終わりになると、思い出す。















書くこと、描くことを続けていきたいと思います。