尻尾が痛いので、企画のことを考えてみました。
今どういう状況かというと、無印良品の「人をダメにする」で有名なあのソファを、贅沢なことに2つ使って横になっている。
目の前にはMacBook、そして抗生物質と痛み止めである。
そうこれは、実は今日、尻尾除去手術を行ったためにイスに座することができず、ただ横になることしかできないうにくまと、仕事をしてもらえないMacBookの哀れな姿である。
尻尾を除去して人間になることがこんなにも痛みを伴うことだったとは知らなんだ。
人間になるってたいへんだ。
MacBookよ、お前だけだよ心配してくれるのは。
そもそも、うにくま風情がなぜMacBookを使うのか。それは企画を練っていたためである。
いま、ありがたいことに同時進行で3つの大きな企画をかかえている。
どれもずっと興味を持っていた分野の仕事だ。
喜んで引き受けた。
企画というと何をするかというと、わたしの場合はコンセプトメイクから、デザインはもちろんのこと、小売ならコスト感から販路、そこに置く什器まで。
全てのディレクションという感じになる。
ディレクターとかプロデューサーとか名乗った方がいいのではと言われるのだけど、わかりにくいから「企画」にしている。
そんなに偉い身分でもないのでなおさらである。いつか名乗ってもいいかもとか、別の肩書きが思い付いたら変えようと思う。
話が逸れた。
よく、どんな風に企画を作るのかと言われる。
直近だとToday's patternは多方面からお褒めの言葉を頂いたプロダクトの1つであるし、個人的にも好きなプロダクトだ。
思い返してみれば、マーケットインとかプロダクトアウトとかそういう話をすることがあるくせに、わたしはそういうことを、全くと言っていいほど考えない。
企画を練る段階では本当に考えてないに等しい。
じゃあ何を考えているのか。
人です。
だれか人のことを考えている。
ぼんやりとその人のことを考えて、どうやったらより喜んでもらえるかを考えて生きているといっても過言ではない。
答えは自分の世界の外に求める
わたしにも好きなものはある。
ただ、ありがたいことに嫌いなものはきゅうりくらいである。
高校生の頃は、お昼休みになってみんながお弁当を開けると「む!?今日は誰かのお弁当にきゅうりが入っている」と気がつくくらいにはきゅうりが嫌い。
そんなきゅうりも嫌いすぎて一周回って好きなのでは、と思われることもある。嫌いである。
話が逸れた。
そう、きゅうりくらいしか嫌いなものにあげられないほど、それほど「つよい持論」がないのである。逆にいうと、持論を強くしないことが持論である。
何かに精通した人、そうではない人、子ども、お年寄り、全ての人にはすべての人の感じ方があり、極端に誰かを傷つける表現を除けばそこに「絶対的な間違いなど存在しない」という考え方をしている。(極端に誰かを傷つけるというのもまた難しい線引きで、弱者が肥大化することも加味している。)
要するにどんな考え方も否定しない。
嘲笑ったりしてはいけない。
それが企画をするときのマイルールである。
これは業界的に...
むかしからこうだから...
それも立派な意見である。しかし、
むかしからこうだけど...
ふるくさくて...
それもまた立派な意見である。
どちらをどう打ち出すのかも、誰かを思い浮かべながらかんがえる。
わたしはその企画を送りたい相手を思い浮かべながら、ひとつひとつ取捨選択する。
このIT化の中で。
たくさんものが自動化されていく世の中で。なんでアナログなんだと思われるかもしれない。データが全てだと。
わたしはどちらかというと、最後に残るのは『ものすごい人間味』なんじゃないかと思う。
モチベーションに左右され、気分で考えが変わり、時間通りにいかない。そんな人間だけに残された部分が一番大切なんじゃないかと思うわけだ。
だから、何をするにも、どんな時も、いろんな人のいろんな意見を聞きにいく。
自分の外側の世界との交信である。
自分の外側の世界というのは本当に本当に面白い。
『◯◯は◯◯で◯◯をどう思いますか?』と聞いた時に『なにいってんのか意味ワカンねぇ』でもいいんです。
なるほど!意味わかんないんだ!
と思うので。
それを聞く前の自分は『意味わかんない』と言われることすらわかってなかったわけで。
え!その色とその色合わせちゃうの!?みたいなのも、数日毎朝、昼、夜と見てみる。
腑に落ちる時もあれば落ちない時もある。
それでいいと思っている。
そしてその『感覚』を経営に落としこむときに裏付けをとるのが『数字』である。
デザインするなら経営を知らなくては
こう書くとかっこよさそうだが、たまに3歳児にアンケートをとったり、ワンコやニャンコに問いかけてみたりするから心配される。真面目な話をすると、子どもたちから得られるインスピレーションというのは何ものにも変えがたいということは言っておく。
さて、ここまではデザインの話をしてきたかといえば自分としてはちがう。
どちらかというと、経営の話だ。
きゅうりの話ではない。
尻尾のことは放っておいてほしい。痛い。
わたしがデザイナーを名乗るのをやめたのにはそれがある。
海外でいうデザイナーというのは、とても重要な役割を占めるケースが多いのに対し、日本ではあまり重要視されない。
デザイナーという語感がもはや受け身なものだと思われがちだと感じている。
むしろ経営と対極にあると思われがちなのである。
でも何かをつくる・デザインすることにおいて、経営を無しには考えられない。むしろ経営においてデザインを無視することは考えられない。
同ポジションかそれに似た形で、組織の脳の部分に働きかけるのがデザインである。
まず経営や数字、アナリストたちに対して拒絶反応を示したり対立構造を作ることを、私たちものを作る人間は辞めなくてはならない。
うにくま如きが人間様に楯突こうなんてあってはならない。
経営とデザインが同じ人でなくてはならない、とは思わない。それはケースバイケースと考えている。
しかしデザインは経営者と結びつかなくてはならないとは思う。
ここまで書いて明日がブリュッセルへの出発日だったことを思い出した。
尻尾のあたりが痛いのにである。
12時間のロングフライトに耐えるため、これから尻尾のあたりにちょうどよさそうなミニクッションを買いに行く。
ちなみに本当に切っている。尾てい骨のあたりにアテロームができてしまったのである。尻尾である。
わたしが激痛を我慢してピッピの8cmヒールにルメールのワンピースという調子に乗った出で立ちで病院に乗り付けた時には(リッチなのではない。尻尾が痛くて歩けないのだ)旦那氏から『スーツのズボンがお尻から破けました』と言われた。
そのあと『お互い尻に悩まされますな』と言われた。うまいこと言えとも言ってないしそんなにうまくない。
ちなみにわたしが『どマス』のデータを取る時に真っ先に話を聞くのが旦那氏である。
一番身近な外の世界。
そろそろ外の世界の人が帰ってきそうなのでこれにて失礼します。
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