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恋には過去は必要か、人間には。平野啓一郎著「ある男」

映画化されると知って手に取った、平野啓一郎著「ある男」。

弁護士の城戸は離婚調停で関わったことのある女里枝から奇妙なことを相談された。里枝は離婚後実家に戻って息子を育てながら、知り合った男性と再婚。一女をもうけるも、夫は不慮の事故で亡くなってしまう。絶縁状態だった親族に連絡してみるものの、飛んできた夫の兄から聞かされた言葉は里枝の想像を絶するものだった。
「この男は私は弟ではありません」
自分が愛し、夫とし、愛娘の良き父親だった男は一体何者なのか。城戸は里枝の様々な手続きを手伝ううち、ある男の正体を探す途方もない迷路に迷い込む。

里枝が再婚した男は、谷口大祐。田舎の林業という仕事に従事する男で、その過去を知るものはいない。里枝は、寡黙で真面目な大祐の人柄に好意を寄せ、家族と絶縁になった経緯を聞き、やがては結婚するまでに至る。

里枝が聞いていた夫とその家族との経緯は、夫の死後連絡を取った兄に確かめてみても谷口大祐本人のエピソードのものだった。ただし、写真を見た兄からは「全くの別人」と言われ、彼が谷口大祐という名前を騙り、その過去を自分のものとして語っていたことが発覚する。

自分の愛した人は、子供たちの良き父親の彼は、もしかして犯罪者だったのか。他人の人生を乗っ取り、まるで自分のことのように平気で語った男。里枝は自分が観てきた男と、兄が語る大祐とがどうしても重ならず苦しむ。

果たして恋愛に過去は必要なのだろうか。

自分が愛し、好印象を抱いた男の像が一気に揺らぐ。ただ出会った時に感じ、暮らした日々の思い出は確かに彼女の中にあって、それまではとても否定できない。
愛した男のことを信じたい気持ちが、里枝のよりどころとなるけれど、一方でもっと重大なことを隠すために別人になりすましている可能性があり、自分の聞いていた過去と全く違う人生を生きてきた男を果たして信じられるのか、わからなくなる。

恋愛に関して、「嘘」というものは非常に重たい罪としてお互いの距離を遠ざける要因となってしまう。可愛い嘘から笑えない嘘、大きな嘘から些細な嘘、種類は様々あれど重ねられ、露呈してくるとどんどん自分が信じ、愛している対象のメッキが剥がされていく。

果たしてそれは本当に自分の気持ちなのだろうか。本能的に感じ取り、自覚した気持ちは嘘だったのか。

里枝の混乱に乗じるように、一連の騒動の中で深い思考に身を沈める事になるのが弁護士の城戸。日系三世という生い立ちを持ち、一人息子をもうけた妻とは最近はすれ違いが続いていて、他人になりすまし静かな幸せを手に入れた自称谷口大祐に自分を重ねるようになっていく。

この物語において重要なのは、谷口大祐と名乗っていた男は実は誰だったのかではなくて、過去のない人でも愛せるのか、それがどんな過去であろうとも、今という時間の中に生きる二人の真実はどこにあるのか、ということだ。

誰しも過去のことを全て知って好きになるわけではない。夫婦とて、本人が覚えているいないにかかわらず、知り合う前のことは実際には見たことがない。意図的でないにせよ、忘れて言っていないことが相手にとっては実はすごく重要だったり、何でもないことをいつまでも話せないで悶々と溜め込んでいる、などのすれ違いは多くの人に覚えがあるように思う。

それは他愛のないことであれば発覚しても、抱えたままでもさほどの問題にはならないだろう。
ただ今自分の信念を根底から覆すような内容であった場合、過去は関係ない、と一言で片付けられるのかどうか。

それは自分の感覚をも疑いかねない、自我を揺るがす出来事であり、だからこそ苦しみ、遠ざけてしまうものだと思う。要するに愛も憎しみも結局は自分のものであり、他の誰のものでもないということだ。

この物語において、里枝が何をどう選んだかは本人の結末として切り離しながら、読者は自分の場合においてを時に混乱しながらも自分としての答えを悩み苦しみながらも求めてしまう物語であると思う。

過去はその人の全てではない、けれど過去はその人から決して剥がれ落ちない一部であり、決して抹消などできないものだ。ただしその人が信じたいように変えることができるのも過去なのだと、そんな風に思う。





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