タブレットと入院生活

通話はダメですがネットは使っていただいて大丈夫ですよ、とのことなので、入院中は四六時中iPhoneをいじっています。

今回のnoteは、使い慣れないMacBook Proで書いています。
というのも、病室でネットを使ってよいものかわからなかったので私物のsurfaceを持ってこなかったのです。

最後に入院病棟に足を踏み入れたのなんて、大学1年生の終わり頃。当時は、スマホ保有者が少なく、しかもお見舞いで訪れただけなので、病室で使えるかどうかなんて考えたこともなかった。
腰をいたわる意味でも荷物は減らしたかったので、使えるかわからないものは置いておくにこしたことはないということで。

そうしたら、病室でもネットが使えることが判明。見かねた母が実家からMacBookを持ってきてくれたのでした。

やっぱり、東京の実家から近い病院に入院にして正解だった・・・と思った事案その1。
その2は、主に実家から持ち込んだ10冊はある書籍を、読み終わったものから順に両親に持って帰ってもらっていること。退院する頃には、私のスーツケースはかなりの軽量化が実現することでしょう。
甘ちゃんなことを言っている自覚はたっぷりありますので、療養中であることに免じてどうかご容赦ください。

入院2日目にMacBookは届けられたものの、実際に操作できるようになったのは5日目からでした。
なにせ2日目が手術当日で、そこからは起き上がることができなかったもので。ノートパソコンって、実は寝転がって操作することが難しい。少しベッドの上半身部分を持ち上げて操作できないことはないのでしょうが、腕が疲れそう。

入院3日目にその現状を母に話すと、「じゃあタブレットの方が良かったわねぇ」と的確なコメント。そう、タブレットなら寝転がって操作できるんですよ・・・。

おじいちゃんのiPadならあるけど、どうする?

おじいちゃんのiPadというのは、私が最後に入院病棟を訪れた頃、2011年の12月の話になります。

当時がんで闘病中だった母方の祖父が、珍しく我が子にクリスマスプレゼントと称してねだったのがiPadでした。
スマホを使いこなしているとも思えない祖父、どうして欲しがるんだろうねと話していた母でしたが、そのおねだりに応えて、病室の祖父にiPadを贈ったのでした。

年明け、あなたも見舞いに来てよと母に言われて行った祖父の病室。
その少し前から入退院を繰り返してはいましたが、そこには自分の記憶とはかけ離れた、起き上がれなくなっている弱った祖父がいました。新品のiPadは、私たち母娘の予想通り、使われている形跡なく置かれていました。

iPadが欲しかったのは、世界の景色が見たかったからなんだ。

旅行好きだった祖父母は、自営業でしたが、よく海外旅行をしていて、本棚いっぱいに旅行の思い出を収めたアルバムがありました。もう旅行には行けないと思っていたのかもしれません。

思い出の場所の写真を、できるだけ大きな画像で見たい。それが、一見不相応な最新鋭機器を祖父がねだった理由でした。

しかし、結局操作が分からない。ということで、その操作は私がすることになりました。
祖父に言われた名所を、Googleで画像検索して保存。

ノイシュバンシュタイン城、アルプス、イエローストーン。

15枚ほど保存してあげたと記憶しています。保存された画像をスワイプして眺めながら、祖父は喜んでいる様子でした。


予想がつくかとは思いますが、それが私と祖父の最期の思い出です。

がんがそこまで進行していたわけではなかったのですが、風邪を拗らせてしまい、そのまま帰らぬ人となってしまいました。

そして祖父の思い出の断片を収めたiPadは、我が家に引き取られ、祖父の形見として今でも残されているというわけです。
その後も、私の留学生活で大活躍をしてくれましたので、中身はデータでいっぱいになりました。

そんなiPadですが、今回は丁重にお断りしました。
だって残念ながら、古すぎる・・・!充電プラグも、一世代前の横幅の広いタイプで、そんな充電プラグもはや持ってないし。
それでも捨てられないのは、やっぱり最後の形見だからなんですけどね。

ところで文章にしていて、病室でiPadを操作してあげたということは、当時も病室ではネットが使えていたのではないかということに気付きました。
先週の自分、なぜ思い出さなかった。

#エッセイ #入院 #タブレット #思い出 #日記 #つれづれ

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