海外文学27作品の翻訳101冊を読み比べてわかったこと

日本は翻訳がほんとうに盛んで、海外文学の古典といわれる作品にはたいてい複数の翻訳があります。たくさんの翻訳があるということは、読者が選ぶことができるということですが、すべての翻訳を比べて自分に一番合うものを読んでいるという人はなかなかいないのではないでしょうか。

そういう機会を提供したいという思いで、以前はてなブログで「世界文学全集のためのメモ」という企画をやっていました。手に入る翻訳を全部比べて、長めの抜粋とともにぼくのおすすめの翻訳を紹介するというものです。

2年半かけてフランス語の作品8つ、中国語の作品8つ、ドイツ語の作品8つ、ロシア語の作品3つを取り上げたところでやめてしまった(そして note での活動に専念することにした)のですが、これらの日本語訳を読み比べる中で見えてきたことを、4点、ここにまとめてみようと思います。

1. 新しい翻訳が良いわけではないし、古い翻訳が悪いわけでもない

翻訳の賞味期限、という言い方を聞くことがあります。言語は日々移り変わっていくものだから、翻訳はできるだけ新しいものを読んだ方がいい、という考え方です。

たしかにそういう面はありますし、この考えに基づいて次々と新訳が登場することは歓迎すべきですが、新しければなんでもいいかというと、そんなわけではないと感じます。

ぼくが実際に比べた中で、ボリス・ヴィアンの『うたかたの日々』のように最新の翻訳をおすすめに選んだ作品もあれば、ヘルマン・ヘッセの『シッダールタ』のように一番古いものをおすすめに選んだ作品もありました。ぼくの翻訳の評価は、快適に読み通せることを一番に重視しているので、つまり新しいものほど読みやすいとは限らない、ということなのです。

ぼく自身翻訳のまねごとを試みたことがあるので少し実感があるのですが、翻訳で良い日本語を綴るのはほんとうに難しいことです。奇跡といってもいいくらいです。そのような奇跡が起きる頻度に比べれば、言語の変化など取るに足らないものかもしれません。

例えば1905年に夏目漱石が『吾輩は猫である』を書いてから、日本語の基本的な部分はほとんど変わっていません。もちろん当時の旧字旧仮名遣いで読めば隔世の感がありますが、表記さえ現代風にすれば、21世紀に書かれた下手な日本語よりもずっと読みやすく優れた日本語であることは間違いないでしょう。

戦前の翻訳はさすがにあまり比較対象には入れていませんが、50年、60年前の翻訳が一番良いということは往々にしてあります。偏見なしに実際に読み比べてみることが大事でしょう。

2. 版を重ねている翻訳が良いわけではないし、良い翻訳もあっという間に絶版になる

翻訳書には、よく売れているものと、そうでないものがあります。よく売れている本(多くは文庫本)は、書店でもよく見かけますが、意識的に読もうと思わないとなかなか出会えない本もたくさんあります。

よく売れて版を重ねているものが良い翻訳である、ということだったら事は単純ですが、残念ながらそういうわけではないようです。あまり良くないと思える翻訳でもメジャーな文庫に収録されて売れ続けているものもありますし、ぜひおすすめしたいと思えた翻訳が、絶版になっていて薦めにくいということも間々あります(それでも再販への期待を込めて薦めますが)。

例えばヘルダーリンの『ヒュペーリオン』や、魯迅の『吶喊』(「狂人日記」「阿Q正伝」などを収めた短編集)は、一番気に入った翻訳が執筆時点で入手困難な状況になっていました。

またゲーテの『若きウェルテルの悩み』のように、おすすめの翻訳が古い文学全集などに収録されたきり、単行本としては出版されていない例も珍しくありません。

もちろん絶版になっていても古書として入手できるものも多いですし、図書館の相互貸借を利用すればたいていの本は無料で読むことができます。また復刊リクエストを投票することができる復刊ドットコムというサイトもあります。

3. レビューの数や評価の高さは、翻訳の質とはあまり関係がない

翻訳を選ぶ際に、Amazon.co.jp などのレビューを参照する方もいらっしゃると思います。ぼく自身そうしがちなのですが、実際に読み比べてみると、レビューの数や評価の高さと、ぼくが感じる翻訳の良さとの間には、あまり相関関係が見られませんでした。

そもそもレビューの数は、基本的には読んだ人の数によるので、上に書いたように入手しやすさと翻訳の質が比例しない以上、レビューが多ければ良い翻訳だろうと期待することはできません。良い訳でも全くレビューがないこともよくあります。

評価の高さや個々のレビューを見ればいいかというと、そんなこともなさそうです。レビューの大半は内容そのものに対するものですし、たまに翻訳に対するレビューがあっても、実際に他の訳と比べて書かれたレビューは多くありません。

「読みにくい」と書いてあったとしても、原作自体が晦渋なもので、数ある翻訳の中では一番読みやすいものかもしれません。

逆に、下手な翻訳でも読んでいるうちに慣れてくるので、内容が良ければ「翻訳も良い」と書いてあることもあるかもしれません。(慣れてくるならどんな翻訳でもいいではないか、という意見もあると思います。それを否定はしませんが、個人的にはできるだけ快適に読める翻訳を読みたいし、おすすめしたいと考えます。)

また、古くて読みにくい翻訳が「格調高い名訳」などといって有難がられていることがありますが、格調高くて読みにくい文章と、格調高くて読みやすい文章とがあるので、作品を最後まで読み通したいのであれば注意が必要です。

4. 同じ訳者でも作品によって当たりはずれがある

これは読み比べを進める中で少々意外な発見だったのですが、ある作品の素晴らしい翻訳を出している訳者の、他の作品の翻訳を見ると、同じ訳者とは思えない期待はずれの訳だった、ということが何度かありました。

これにはいくつかの原因が考えられます。一つには、翻訳というものが、実は訳者一人の力ではなく、編集者や(昔は特に多かったという)下訳者との共同作業だということです。編集者や下訳者が違えば、翻訳の質も大きく変わってくることは容易に想像できます。

もう一つは、単純に、翻訳という営為がむずかしいものだということです。上で奇跡という言葉を使いましたが、取りつかれたように良い翻訳が浮かぶ幸運な機会は、有能な訳者にも、そう頻繁に訪れるわけではないのかもしれません。(再度自分の話になって恐縮ですが、40編くらいの詩を訳してみたら、一つ二つは悪くないものができた(例えばアポリネール「ミラボー橋」)と自負していますが、大半は今見ると読むに耐えないものです。翻訳のプロの場合当然これより打率は高くなるはずではありますが、一冊の本を訳そうとしたら、ぼくのように一文に何時間もかけて考えてはいられない、ということも忘れてはなりません。)

とはいえ稀に、天才と呼ぶべき、何を訳しても素晴らしい訳者もいます。そういう訳者に巡り会うことも、翻訳の読み比べの喜びの一つです。今回の企画の中でも、酒寄進一さんという方にべた惚れしました。

惚れるあまり幻滅を恐れて他の訳書に手を出せていないのですが、また機会があれば、冷静に評価しようとは思っています。

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ここまで読んで、じゃあどうすればいいの、と思われたことと思います。

ぼくのおすすめは、読みたい本に複数の翻訳があったら、とりあえず図書館で借りられるだけ借りて、ご自身の目で比べてみることです。

この記事では分かりやすく「良い翻訳」「悪い翻訳」という言い方をしてしまっていますが、これはぼくにとっての「良い翻訳」「悪い翻訳」でしかなく、翻訳の良し悪しは読者との相性によって決まるものです。読み比べという少しの手間をかけることで、その後数時間の読書の快適さや理解の質に大きな違いが出ることでしょう。

読書に慣れている方の場合、比べてみてもどれも大して変わらないということもあるかもしれません。その場合は、本の持ち運びやすさや文字の見やすさで決めればよいでしょう。

そして、もし可能なら、できるだけ多くの人が翻訳の比較をして、それらの評価を発信するようになればいいなと思っています。そうすれば、ちゃんと比較された上で多くの人に支持される翻訳書が正当に生き残る、翻訳者にとっても読者にとってもより幸せな世界になるのではないでしょうか。

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(以下、蛇足です。)

ふだん読ませる気のなさそうな記事ばかり書いているぼくが、突然こんな記事を書いたきっかけについて書いておきます。

先日例文を使って英単語を学べるサービス KotobaGym を公開し、現在ここで使う例文を集めています。(ついでに note で不定期に投稿している「今日の英単語」クイズにも利用しています)

集めているのは英語学習に役立つ文とその訳で、ここでの基準は、例文を単独で見た際の分かりやすさです。複数の翻訳がある場合、語学学習者にできるだけ余計な迷いを与えないようなものを選んでいます。

さて、翻訳をなさった経験がある方はお分かりになると思いますが、一文を訳すのと、文章を訳すのとは、全く別のことです。一文一文を完璧に訳しても、それらをつなぎ合わせて文章全体として良い翻訳になるわけではありません。逆に、文章の流れに気を遣っていればいるほど、一文だけ抜き出したらあまりマッチしていないということも起こります。

作品の翻訳にとって大事なのは当然文章としての翻訳の質の方なのに、このままでは、必ずしも薦めたいわけではない翻訳をむしろ紹介することになりかねない、ということに気づきました。

それは避けたかったので、例文集めの副産物として、普通に作品を読んで楽しみたい人のための翻訳レビューを公開すればいいのではないか、と思い立ちました。

ただ一つ、ぼく個人の評価がどれだけ他の方々と一致するのか、ためらいがありました。どういう書き方にしようか考えながら、何かの参考になるかと、自分でも1年以上ほとんど見ていなかったはてなブログを覗いてみました。そこで、今でも一定数の方々が来てくださっていること、そして、そこで薦められている翻訳の中に絶版になっているものがかなりあることに、驚かされました。

どんなに優れたものも、人目にふれなければ歴史の中に埋もれてしまいます。ぼくにとっての「良い翻訳」は、必ずしも万人にとっての「良い翻訳」ではないに違いないけれど、それでもぼくが良いと思ったものについて良いと発信することが、素敵な読書経験を提供してくれた訳者の方々に対する恩返しなのではないか、という妙な正義感のようなものすら芽生えてきました。

そういうわけで、ぼくの感覚にもとづく評価でしかないけれど、これにはきっと意味があるだろうという気持ちになって、これまでブログの一番下に置いていた翻訳についてのコメントも上の方に持ってきて、そうして一気にこの記事を書き上げました。

例文集めの副産物としての翻訳レビューは、フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』から始めて、ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』など、英語圏の古典を取り上げていこうと思っています。どういう形式でどこに掲載するかは未定ですが、以前のはてなブログよりはずっと省エネルギーでやっていくつもりではあります。

はてなブログの「世界文学全集のためのメモ」も、今後の翻訳レビューも、一個人の意見として、みなさまの翻訳選びの参考にしていただければさいわいです。

そして、英語・語源関連の記事や、KotobaGym も、(ひきつづき)応援いただけるとうれしいです。

他の記事も読んでみていただけるとうれしいです! 訳詩目録 https://note.com/lulu_hiyokono/n/n448d96b9ac9c つながる英単語ノート 目次 https://note.com/lulu_hiyokono/n/nf79e157224a5