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こころの引っ掛かり

保育園のときのママ友に街で出会い、娘のことを聞かれた。

娘は、昨年の6月から不登校になり、5年生の春に校区外の学校に転校した。
昨年、クラスが一緒だったから、友だちもたくさんいたのにどうしてと、保育園が一緒だったみんな心配してたと言われた。

あまり親しく話していたお母さんではなかったからか、出会ったのが不意だったからか、自分も病気で体調が悪かったからか、うまく質問に答えられなかった。

担任の先生とうまく行かなかったとか
身体症状に現れ、体調が悪くなり通えなくなったとか
そのうち、学校にも近づくことができなくなったとか
起立性調整障害、適応障害と診断されたとか
言えばよかったのか、よくわからない。

それでもこれまでの道は、決して容易ではなかった。
外出もしんどい病気の親が、病気の娘と必死に居場所を探し、関わってくれる人を探し、
石のように動かない、仕事をしてくれない役所と戦い、
味方についてくれる各所に話しに行き、
転校が認められなかった場合のために、校区外の不動産物件まで探し、
それでもあくまで正攻法で、娘の希望を叶えてやりたいと望んだ。
そしてなんとか、希望の新学期には少し間に合わなかったけれど、4月のうちに転校することができた。

体力もかなり落ちていたから、登校すると、疲れが大きかった。
週の半分行って、半分休んでという感じだったが、娘は再び登校できた。
これは、暗雲が漂って、ものごとが動かない苦しい日々とは違った。

5月、6月は、実家の母が入院したり、退院後の施設を探したりの手続きで実家を往復した。
その時、娘も一緒に連れて行ったことで、後日疲れが出たり、また起立性調整障害の症状が強く出る日が続いたりして、休みがちになった。

それでも楽しみにしていた1泊の林間学舎には、無事に参加することができた。
本人も、楽しめて、自信もついたようだった。
7月は、登校1日。
体調が厳しい日々が続いた。

明日からは、夏休み。みんなも学校は休みだ。
体調が悪くてできていないプリント類や、宿題で、復習ができたらいいな。
また夏は、実家に帰省する。
娘が楽しみにしている行事や温泉、美味しいものを食べたりして、少し元気になるかな。
体調が良くなることを願っている。
そんな夏休みが、2学期以降の登校に繋がっていくといいなと思う。

苦しかった日々を過ごしたから、自分たちがやれるだけのことはやってきたから、
保護者の間で話題にされてるのを感じたとき、そっとしておいてほしいという気持ちがあったのかな。
そんな、こころの引っ掛かりがあったのかもしれないと思う。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
ただでさえ厳しい暑さでしんどいとき、皆さまどうぞご自愛ください。


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