#197 うつ病発症9日目・発症後342日目 ~安楽死の読書感想文メイン~

さて,昨日のブログで,『安楽死を遂げた日本人』(宮下洋一,2019年)を読み始めたと書きましたが(リンクはこちら),おもしろすぎて,今日一気に読み終えてしまいました。

タイトルのとおり,安楽死(正確に言えば「自殺幇助」)を遂げた日本人を取材した記録が詳細に記述されています。前作の『安楽死を遂げるまで』において,スイスでは外国人の安楽死が認められていると書かれているのですが,同時に「安楽死」の区分についても書かれています。「安楽死」とひとことに言っても,それは「積極的安楽死」と「自殺幇助」に区別されます。「積極的安楽死」は,医師が致死薬を投与するもので,「自殺幇助」は,患者が自ら致死薬を自分に投与するものです。本当の最後の最後の「死」を迎えるための最終的な決定権を,医師と患者のどちらが有しているか,その点でこの2つは明確に区別されます。

そして,めちゃくちゃ大事な点ですが,外国人の安楽死を受け入れているスイスでは,積極的安楽死が認められていません。だから,正確に言えば,スイスでは「外国人の自殺幇助」が認められているのです。特に,英語等の外国語では,「安楽死(Euthanasia)」が「積極的安楽死」を意味し,「自殺幇助(assisted suicide)」とは明確に区別されているので,注意が必要です。なお,オランダやベルギーでは,積極的安楽死も合法化されています(なお,スイスでも,自殺幇助が「合法」なのではなく,刑法の規定から(意図的に)抜け落ちているため,不可罰(罰則がない)とされているにすぎません)

日本人には,スイス,オランダ,ベルギーという,ヨーロッパの面積の小さな国を区別することも難しいかもしれません。でも,今はグーグルマップで各国の位置関係を数秒で確認することができます。この位置関係確認の手間を面倒くさがるのは,非常にもったいない。それと,「合法」と「不可罰」という区別も,その言葉自体をどれだけ眺めても理解するのは難しいと思います。前作『安楽死を遂げるまで』では,「合法」ではなく「不可罰」だからこそ,スイスで自殺幇助が完了した後に物々しく警察官が現場を訪れるシーンが描かれています。そういった記述こそ,「合法」と「不可罰」をイメージする格好の材料だと思います。

後作『安楽死を遂げた日本人』では,著者が「小島ミナ」さんからメールを受信したところから,最終的に小島さんがスイスで自殺幇助を遂げるまでの経過が,著者の葛藤と共に,本当に詳細に描かれています。

著者は,前作を書き終えた時点で,安楽死については反対の立場を表明していました。特に日本人については,個人主義と集団主義の観点から,集団主義が主流の日本人は,「死ぬ時期を自分で決める権利がある」という安楽死の思想は適切でないと考えていたようです。しかし,著者は,初めて日本人の安楽死を取材した結果,少なくとも,今回安楽死で旅立った小島ミナさんについては,その死が「相応しかった」と結論付けています。

僕は,前作『安楽死を遂げるまで』を読んだ結果,著者とは違って「安楽死という選択肢があるから生きていられる」という精神病患者の思いに強く共感し,安楽死に賛成の立場をとりたいと思うようになったわけですが,この本を読んでも,その思いに変わりはありませんでした。

ただ,実際に日本人が自殺幇助で亡くなる場面を読むと,その現実味が段違いでした。小島ミナさんが亡くなるその瞬間をとらえた写真も挿入されており,「自分で死期を決めた」瞬間の日本人を見たときの迫力は凄まじいものがありました。

正直なところ,日本人の写真だったからこそ,前作に挿入されていた外国人の写真に比べて「残酷さ」を感じました。しかしながら,そういった「残酷さ」を感じてもなお,安楽死という選択肢は,この日本で用意されるべきと思います。

安楽死に反対する論調の1つとして,安楽死の必要性は,緩和ケアで足りるはずだという立場があります。「緩和ケア」についても,後作『安楽死を遂げた日本人』でかなりの紙面を割いて書かれています。

緩和ケアが,フィジカル面だけでなく精神面でのケアも目的としていることは,恥ずかしながら初耳で,とても勉強になりました。とはいえ,緩和ケアは,当たり前ですが,「苦痛」からしか解放してくれず,生きることそのものからの解放は拒否されてしまいます。

「生きることそのものからの解放」なんて書くと,おぞましさを感じるかもしれません。しかし,僕が読んだ限り,小島ミナさんの安楽死からは,おぞましさ・残酷さよりも,安楽死へと旅立つ小島ミナさんの安堵したような様子や,臨終時に家族と交わした会話などから,安楽死がもたらした幸せを感じることができました。

そして,後作『安楽死を遂げた日本人』では,家族との関係性にフォーカスか当てられていました。家族との確執があるのにそれが清算されていない中,「自分の意思だ」「自分の権利だ」という理由で安楽死を選ぶ人物が描かれていました。それは結局,「愛がほしいのに愛されない」「だから清算せず,死ぬんだ」という考えにたどり着いたに過ぎないように見えてしまいました。憎しみや,その反面としての愛の渇望,そういったものを抱いたままの安楽死は,なんというか,ただただ世の中を諦めたに過ぎないような気がします。

こんなことを書くと「満ち足りた人しか安楽死させてもらえないのか!差別だ!」という意見も出るでしょう。しかし,家族との確執を残したまま,その確執を清算したいと,心の底では願っている人を,「自分の意思」「死期を自ら決める権利」などという大義名分のもと,安楽死を認めることには,大きな疑念を感じてしまうのです。

この疑念の正体は何なのでしょう。

僕は,著者が一定の理解を示したのとは対照的に,『安楽死を遂げた日本人』を読んで,安楽死へのハードルを高めたいと思うようになってしまいました。

緩和ケアでフィジカル面・精神面の双方の苦しみにかなりの面で対処することは可能なのにもかかわらず,それでもなお,自分で死ぬ時期を決めていいと認めていい場面がどれほどあるのか。

そして,家族との確執,その反面としての愛への欲求,それを抱いたままで安楽死することを認めてよいのか。この安楽死は,残された家族に確執を解くすべを永遠に失わせてしまうことになるわけですが,それは許されるのか。

僕は,自分で死ぬ時期を選ぶからこそ,最後の最後まで,確執をとく必要があるような気がします。

後作『安楽死を遂げた日本人』を読んで,こんなことを思ってしまいました。もちろん,今までも,家族の確執を放置したまま,亡くなる人はたくさんいたはずです。でも,放置したまま自ら合法的に安楽死を選んだ人はいませんでした。家族(社会)との確執,その反面としての愛の欲求,それを放置したまま,安楽死に救いを求めるのは,社会が許容していいことではないような気がします。

とはいえ,僕はやはり,精神病者に対する安楽死の効用(いつでも合法的に死ねるんだから生きていられる)は,とても魅力を感じてしまっているので,「確執を放置して死ぬのはだめよ」という↑の意見は,これと矛盾しているような気もします。この両者の線引きはとても難しいでしょうし。

もしかしたら,僕の理想は,安楽死という制度を設けながらも,だれもその制度を利用しないことなのかもしれません。そうすると,僕は単なる理想主義者でしかないのかもしれません。安楽死の効用と,安楽死がなされるときの疑念,それに折り合いをつけるには,この理想しかないような気がします。僕のような人を,「高邁な理想主義者」と呼ぶのでしょうね。この理想は叶いそうもありませんから。

さて,今日は前置きが本題のようになっていますが,今日もうつ病の経過を書いていこうと思います。(第1回目はこちら。第2回目も大事なのでこちらからどうぞ)

【過去のこと・思い出したこと(発症9日目)】

・7月18日㈭:さて,この日は実家療養4日目(7月15日~)です。午前10時32分には出発して天草へ色々と食材を買いに行き,ランチにウニを食べています。帰りに八代(やつしろ)方面にも行っています。午後6時54分には帰宅しています。睡眠も前日の11時40分から6時50分までと記録されています。調子を崩してはいません。

→今日はここまで

【今日経験したこと・経験して考えたこと(発症342日目)】

・今日できた仕事・勉強

今日は出勤しました。午前9時から午後4時半まで滞在しました。ずっと『安楽死を遂げた日本人』を読んでいました。冒頭部分を参照してください!

・仕事・勉強以外に今日やったこと

今日はずっと仕事してました!

【今日のうつ病】

昨晩は11時頃に布団に入りました。寝付きは良かったです。朝も7時頃に目が覚めて,熟睡感もありました。バーピージャンプも3回できました。よかったよかった。

今日もブログ書けてよかった!

それではまた明日!

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