人を傷つけたことに気づくのって本当にツラい:ホンモノの罪悪感
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このブログでは、2019年7月にうつ病を発症し、それをきっかけに同年12月からブログを始めて、それ以降、600日以上毎日ブログ更新してきた、しがないサラリーマン弁護士である僕が、日々考えていることを綴っています。
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【 今日のトピック:ホンモノの罪悪感 】
弁護士っていうのは、犯罪者を相手にすることもあります。
妻を殴ってケガさせた夫だったり、既に覚せい剤依存となってしまっている未成年だったり、夜な夜な女性に抱きついている男の子だったり・・・。
本当にいろいろな犯罪者が世の中にいます。
僕ら弁護士は、こういった犯罪者を「かばう」と思われがちですが、別にかばってはいません。
基本的に刑事事件は自白している(犯行自体は争わない)ことが多いです。
罪を認めた上で、その犯人に対してどんな刑罰を与えたほうがいいかを考えるのが、刑事事件における弁護士の役割です。
考えるだけでなく、実践もします(笑)。
必要以上に重たい刑罰が犯人に与えられてはいけないので、弁護人がきちんと弁護活動を行って、必要十分な刑罰が与えられるよう、知恵を絞って実践します。
で、今日は「ホンモノの罪悪感」という風に、かなり振りかぶっていますが、最近少し思うことがあって、こんなタイトルにしました。
そもそも、人間は誰よりも自分がかわいいです。というか、そう思うように仕組まれている「作品」なんです、人間は。
長い進化の歴史の中で、厳しい自然環境の中でもまれに揉まれ、そんな厳しい自然環境の中で子孫を残すことができたからこそ、僕ら人類はここまでの繁栄を手にすることができたわけです。
その中で、人類は、「集団で生きる」ことで命をつなげてきましたが、自分を優先するようにも進化してきました。
集団で生き残ることも必要ですが、その中で、自分を大切に思えなきゃいけません。
本当に完全に利他的な生物になってしまうと、全員が利他的に行動してしまい、どの個体も生き残れません。
・自分を可愛いと思えること
・集団で生き残るための利他的行動
という2つを両立できるように、人類は進化してきました(たぶん)。
自分をかわいいと思う気持ちは、僕としては、素朴に理解できます。
例えば、僕は、何かと自分の行動を正当化しようとしてしまいます。
具体的に言えば、「これ、今やっておいたほうがいいなー」とか「今あの人にこれを言っといたほうがいいなー」と思っても、「いや、今はこれが忙しいから」とか「あの人は今時間がなさそう」とか、そういう風に言い訳して正当化します。
この「正当化」が、僕は癖になっていて、とにかく、自分が悪者にならないよう理屈をこねくりまわしています。常に、自分が悪者にならないよう、頭の中は言い訳(正当化)でいっぱいです。
こういった言い訳癖は、めちゃくちゃ弁護士に向いている思考法だと思います(笑)。弁護士は、とにかく、物事や出来事に理由づけや根拠づけをする仕事なので(笑)。
この「正当化」って、犯罪者も本能的に行います。
例えば、お金がなくて万引きした犯人も、お金がなくなった理由を自分のせいにはせず、誰か他の人のせいにして、正当化しようとします。
「会社をクビになって」とか「給料だけじゃ生活費が足りなくて」とかです。
そもそも、日本には生活保護があるので、どれだけお金がなくても万引きせずに暮らすことができるので、万引きの理由として「お金がない」は一切通用しないのですが、万引犯人に、ここまでの考えが及ぶはずもなく、普通に「お金がなくて」と言います。
万引き犯人も、自分が万引きしたことを、なんとか正当化したいのです。だから、万引きした理由を、本能的に色々と考えます。
その万引きした理由は、すべからく僕は論破できますが、論破したからといって、犯人にとってプラスになりません。
論破して犯人との信頼関係が崩れたら弁護活動に支障が出るので、論破することはありません。僕の仕事は犯人を論破することではなく、犯人が適切な刑罰を受けられるよう弁護活動を行うことなので。
裁判での尋問の予行練習として、いろいろと質問をぶつけることはありますが、徹頭徹尾、弁護人は犯人の味方です。
さて、こういった「正当化」という形で、「自分かわいい」が出てくるパターンも多いのですが、それ以外にも、「とにかく謝罪する」という形で「自分かわいい」が出てくることもあります。
「ごめんなさい」「すみません」と謝罪の言葉を尽くしていれば、謝罪していることは間違いないので、被害者も、それ以上犯人を責めることができなくなってしまいます。
謝罪を尽くすことで自分を守っているのです。
「ごめんなさい」とか「すみません」を繰り返す相手に対し、被害者だからといっていつまでも責め続けたら、それは「やりすぎ」に見えてしまいます。
こうやって、被害者から自分を守るのですが、しかし、被害者がほしいのは表面的な謝罪ではありません。
「お前が、他でもない私自身を傷つけた」という、犯人にとって「不都合な真実」に気づいてほしいのです。
性犯罪であれば、その傷つきは計り知れないと想像しやすいですが、万引きでも被害者は大きく傷ついています。万引きの場合の傷つきは、金銭的な傷つきが主ではありますが、万引きが繰り返されることによって、その分の売上が減少し、本来、その売上で守れるはずだった被害者の家族や、被害者が雇っている従業員の家族が守れなくなったりします。
金銭的な傷つきとはいえ、お金がないことで人は大きく傷つくことは僕が言うまでもありません。
・自分が万引きしたことで、被害者を大きく傷つけた。
・自分が万引きしたことで減少した売上によって、家族を守れなくなった人がいる。
この現実に気づいてほしい。それが被害者の願いなんです。
しかし、これは、犯人にとってあまりにも厳しい現実です。犯人は、自分の犯行を正当化するからです。
「お金がなかったから万引きした」
「お金があれば万引きなんてしなかった」
犯人は、それくらいにしか思っていません。しかし、それくらいにしか思っていないような万引き行為によって、被害者の家族や、被害者が雇う従業員の家族が犠牲になっているのです。
そこに全く思い至っていないのが、犯人です。
だって、そこに思い至ってしまったら、誰よりもかわいい自分が大きく傷ついてしまうからです。
自分が傷つかないように、いろいろと理由をつけて正当化してきているわけですから、そんな傷つきと直面するなんてイヤでイヤで仕方ありません。
でも、「自分が被害者を傷つけてしまった」という現実に直面することこそ、タイトルにあるような「ホンモノの罪悪感」なのです。
本当は、「ホンモノの罪悪感」に向き合うことから更生が始まります。
・自分が、代えがきかない被害者を傷つけてしまった。
・しかも、その過去はぜったいに消せない。
この現実を直視し、それを踏まえて、どうやって被害者に対して償うのか。そこを本気で考えるのが、「更生」なんです。
誤解してほしくないのですが、僕としては、一生、この「ホンモノの罪悪感」にさいなまれる必要もないと思っています。
日本には死刑制度があるので、死刑判決が確定した犯人は死ぬ必要があるとは思いますが、そうではない限り、犯人も生きていていいです。
きちんと罪を償って、生きていい。そして、幸せになっていい。僕はそう思っています。
ただ、償いの大前提として、「被害者を傷つけた」という現実に直面する必要はあると思っています。
自分の加害に気づくことで、「ホンモノの罪悪感」にさいなまれ、犯人自身が大きな傷つきを味わう。
ここに気づき体験によって、「償い」と「更生」が始まると思います。
自分の加害に気づくことで自分が傷つくことは、きっと不安でしょう。でも、大丈夫です。たくさんたくさん傷ついて泣いて、そこから立ち直りましょう。
ここに気づければ、「被害者の方もわかってくれる」とか「許してくれる」とは思いませんが、僕は、ここに気づいている(不都合な現実に直面できている)のであれば、また再び幸せになる資格が手に入ると思います。
逆に、ここに気づけてないようなヤツ(ホンモノの罪悪感を味わっていない人)は、「償い」や「更生」が始まってもいないので、幸せになる資格はないと思います。
それではまた明日!・・・↓
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