#73 毎日続けてれば毎日続くようになる

今日で,毎日ブログも73日目を迎えました。

インターネットの世界には,毎日ブログを更新している方なんてたくさんいますから,僕はまだまだ始めたばっかりの部類に入るし,まだまだ終わる気もないのですが,やっぱり,毎日発信はそれなりに大変です。

休職中で,なおかつうつ病の調子が良い日が続くからこそできているのかもしれません。

(とはいえ,今のところ,復職しても続けたいと思っています。)

毎日ネタを考えるのも,全く労がないわけではないし,パソコンで文章をタイピングするのも,それなりに作業量があります。

僕の場合,ネタを1日中考えることはありません。

ブログのことばっかり気にしてしまうと,それだけで簡単に1日が終わるからです。

ブログのネタやタイピング作業に追われる日々なんて送りたくないので,ブログの作業はトレーニングしてお風呂にも入った後(夜の9時ころ)から考えることにしています。

もちろん,昼間のふとした瞬間に書きたいネタが思いつくこともありますので,その時は,素早くメモします。

そのメモで,だいたいの構成が済めば,その日の夜の作業がだいぶはかどるので,昼間からかなり気が楽になります。

でも,それくらいですね。

思いつかなければ,夜まで思いつかないままです。

それで,夜になってお風呂に入った後に,えいやっと,構成を練り始めます。

構成が済んだら,いそいそとタイピング作業を始めるわけです。

タイピングし始めたら,いろいろと話しがあっちこっちにとんでしまうのも,よくありますね。

以前もこのブログで書きましたが(こちら),このブログは僕にとってラジオなので,話がいろいろと飛んでしまうのはご容赦いただきたいところですね(笑)

さっきも書きましたが,僕は,1日中このブログのことを考えているわけじゃありません。

考えだしたらきりがなくなるし,別に,僕は,このブログを書くために生きているわけではないからです。

あくまで,僕の人生がより楽しくなるように,より幸せになるように,そういった目的のために書いているので,このブログで毎日の時間が汚染されても困ってしまうと思っています。

とはいえ,毎日続けようとは思っていますよ!

というか,ここまで続けてきて身にしみて気づいたのですが,やっぱり,毎日続けないと続きません。

「努力は毎日続けたほうが楽」ということを毎日実感しています。

もし仮に,今日ブログを休んでしまったら,明日書けるかどうか,本当にわからない。

こわいです。

その1日がきっかけで,続けられなくなりそうです。

やっぱり,継続するには,最も楽に継続するにはどうしたらよいのかというのを考えなくちゃいけなくて,その方法が,「毎日続けること」なんですよ。

続けることが当たり前になると,続けることに苦しさや辛さは感じなくなってきます。

その状態が一番「楽」です。

だから,続けられる。

結局,毎日続くことになる。

ただ,僕が思うのは,取捨選択が必要ということです。

毎日続けられることには限界があります。

僕のように働いていなければ,昼間にたっぷり時間がありますし,なおかつ,生活リズムを自分以外の人に崩されるというリスクも低いので,比較的多くのことを,毎日続けることができると思います。

そんな僕でも,現状毎日続けられているのは,このブログと10分くらいの室内インターバルトレーニングくらいです。

たった2つです。

このブログを読んでくださっている中の,ほとんどの方々は,毎週7日のうち5日間も,昼間働いて,2日しか仕事の休みはありません。

仕事をしていると,日々いろんなことが起きますよね。

いきなり仕事が振られたり,上司に怒られたり,お客さんの対応に追われたり・・・

毎日「まさか」に襲われるリスクがあります。

だから,おのずと,毎日続けることができる物事の範囲には限界があると思うのです。

ざっくり言ってしまえば,何でもかんでも毎日できるわけじゃない。

例えば,

「毎日朝からジョギングして,朝ごはんは体にいいスムージーを生野菜と生フルーツから作って,お昼はバランスのとれたお弁当を持参して,夜もきちんと自炊してバランスの良い食事をこころがけ,筋トレも毎日欠かさずやるし,お風呂は半身浴で30分つかるし,寝る前にはマッサージもストレッチもやるし,ブログの配信も毎日欠かさずやって,インスタグラムも毎日更新するわ!そして,健康のために毎日8時間は寝なきゃ!」

こんなの無理です。

全部健康や人生のために必要なことかもしれないけど,時間たりねー

これ全部やりながら8時間寝るって,1日40時間あるんですか?

どこの誰だよ,これ全部できるのなんて。

おれには無理だよ。

純粋に時間ねーよ

(まあ,実際は,結構な数いるのかもしれませんが,僕はそうなりたくない。なんか,人生が,「自分のやりたいこと」じゃなくて,「やったほうがいいこと」で埋め尽くされているから。自分の意思が全く感じられなくて,逆に味気ないよね。こんな味気ない人生送っても意味ねー)

だから,取捨選択が必要。

毎日何を続けるのか,きちんと自分で選ばなきゃいけないと思います。

じゃあ,どうやって選べばいいのか。

答えは簡単。やってみりゃいいのです。

やってみて続かなきゃ,すっぱりやめればいい。

やってみて続かないことは,すっぱりやめていいと僕は思います。

例えば,ダイエットとかも,続かなきゃ,すっぱりやめればいい。

体型より優先するべきことなんて,人生にたくさんあるから。

自分の体型の優先度が高い人は,ダイエットを優先すればいいし,そうじゃない人は,ダイエットよりもやりたいことがあるはずで,それに時間を使えばいい。

ダイエットの優先度がどれくらいかというのは,各人の価値観の違いでしかないから,ダイエットを優先する人と優先しない人との間に優劣はありません。

だから,それぞれの価値観で,自分の人生の時間をどう使うか,決めればいい。

その決める方法が問題で,ただただ頭でっかちに考えれば答えが出てくるものでもないんですね。

いったん始めてみないと,本当に自分の人生で何に時間を使いたいのかというのが見えてこない。

いったん始めてみて,少しは続けてみる。

例えば,僕のブログが今日で73日目ですから,73日間は毎日続けてみる。

僕がさっき説明したように,続ける上では,毎日続けることが一番楽です。

そうすると,73日間,最も楽な方法=毎日続けるという方法で続けてみたとして,それでもやっぱり,続けたいという意欲が湧いてこなければ,それは,自分の人生にとってやりたいことではないわけですから,すっぱりやめちゃったほうがいい。

その際の「やめる」という決断には,十分な理由があるわけです。

毎日続けるという最も楽な方法でやったのにもかかわらず,それでもやっぱり,「やりたくない」という気持ちが勝ったわけですから,それは絶対やめたほうがいい。

そうやって,いろいろとやってみると,自分が本当にやりたいことが見えてくるはずです。

僕だって,73日間毎日更新し続けてきて,その結果,「ああ,ブログって僕のやりたいことなんだ」と気づいたわけです。

ブログを始めずに,どれだけ考えても,この結論に至ることはできなかったでしょう。

自分のことではあるのですが,考えても結論が出ないことはいくらでもあるのですね。

まずやってみて,そして毎日続けてみて,それがやりたいことがどうか確かめてみればいい。

そしてダメなら,すっぱりやめればいい。

この考えって,「継続は力なり」とは少し違うと思うんですよね。

よく「継続は力なり」と言われますよね。

この言葉が使われる際には,継続することそれ自体が素晴らしいという価値観があるような気がします。

でも,その価値観はどうも納得できない。

継続することこそ,力の源であるということわざで,その考えには賛同できるのですが,なんというか,継続すること自体が素晴らしいということではないと思うのです。

僕も,かつては,「継続は力なり」で,続けることそれ自体が素晴らしいと思っていました。

続けていることが,自分がやりたいことなのか,望んでいることなのか,それを判断しないまま,ただただ「続けることそれ自体が素晴らしい」で続けていたのです。

でも,そうじゃない。

続けることそれ自体が素晴らしいのではなく,続けることで,それが自分のやりたいことなのかどうか判断して,やりたいことだと判断できたら,当然,続けたほうがいい。なぜなら,「継続は力なり」だから。

「継続は力なり」って,こういう風に捉えたほうがいい。

やりことがあることが前提で,そのやりたいことに打ち込む場合に,「継続は力なり」だから,続けたほうがいいよ,という感じで使うべきと思います。

ただただ「続けたほうがいい」という意味で使うと,人を追い込んでしまうことになる。

僕は,自分が何をやりたいかを判断することなく,「どうすべきか」だけできちゃったのです。

それがうつ病の引き金となった。

例えば,

「勉強したほうがいい」

「ダイエット続けたほうがいい」など,

「したほうがいい」

「すべき」

で動いてきたわけです。

まあ,こういう人間が育つのは,教育の影響が大きいと思います。

自分の希望を押し殺して,無感動かつ無思考で会社や国の言うことを聞いてくれる人材がたくさん育ってくれたほうが,国や会社にとっては好ましいからです。

いろいろと自分の意見があるやつは,国や会社にとっては困ってしまう。

とはいえ,そういう風に育ったせいでうつ病になったわけですから,もうそんなこと考えなくていいわけです。

「どうすべきか」じゃなくて「どうしたいか」で考えていい。

自分の価値観で決めていい。

「決めていい」とはいっても,決め方が大事で,僕が考える決め方は,さっきから説明しているように,「やってみる」なんです。

いろいろやってみる。

そして,毎日続けてみる。

それでだめなら,すっぱりやめる。

やめた後は,また何かやってみる。

ここで,↑のように「継続は力なり」を間違った風に考えるとまずい。

「継続することそれ自体が素晴らしい」

んなわけないから(笑)

やりたいかどうかなんてやってみないとわからないのだから,やってみた結果,結局性に合わない=やりたくないということが明らかになるのは,当たり前。

だから,実際にやってみて,その後にやりたくないと投げ出すことは全く悪くない。

もちろん,やってみた結果,お客さんからお金をもらったりして,信頼関係や責任が発生したらそれを全うしなければいけないだろうけれど,

それが終わったらさっさと投げ捨てたほうがいい。

むしろ,やりたくないことがせっかくわかったのに,それをズルズル続けるのは,人生の時間を無駄にしています。

(あえて言わなくてもいいことでしょうけど,一番時間を無駄にしているのは,一歩踏み出せないまま,頭でっかちに考えているだけの人ですよね。やってみないと自分のやりたいことは見えてこないのに,やろうとしないのは,一旦は行動に移してみてやりたくないことが明らかになった人よりも,周回遅れで遅れています。論理的にそう言えると思います。)

やりたくないと思ったら,すっぱり投げ捨てる。

続けることそれ自体に価値はないから。

ただ,やってみた結果,続けられたのなら,それはとても素晴らしい発見です。

好きなこと=熱中できることを見つけられたからです。

この発見ができたら,それを続けることにはめちゃくちゃ意味があるし,素晴らしいことです。

好きなことを続けるのは,幸せだからです。

しかも,それが好きなことを理解しているなんて,まさに幸せだと思います。

「毎日続けられているということは,これが好きなんだなぁ」

という思いを抱いて続けられるというのは,まさに幸せの形だと思います。

とはいえ,首尾よく見つかるかどうかはわからないので,とりあえずやってみてダメなら投げ捨てる。何度も投げ捨てていい。

そして,やりたいことが1つ見つかればそれでいいし,逆に,いくつもやりたいことがあってもそれに何ら問題はない。

日本では,「1つのことに集中しろ」という思考停止な価値観がありますが,それに縛られる必要もない。いろんなことに興味もってもいいに決まっています。

それで,もう1つ僕の立場から言わせてもらうと,

よくビジネス書とかで,「努力は公表したほうがいい。公表したら,見られていることによって,努力が続くから」という意見がありますよね。

僕も,この意見に賛成ではあるのですが,↑に書いたことに照らすと,大事なのは公表する時期ですよね。

繰り返しになりますが,続けることそれ自体に意味はありません。

続けていると,それが本当にやりたいかどうか判断できるようになるから,とりあえず続ける必要があるということで,その結果,やりたいという気持ちが明らかになったら,まさに「継続は力なり」で更に続けたほうがいいということになるわけです。

そうすると,「やりたいかどうか判断している」最中は,それをやめることもあり得るわけです。

「やりたくないこと」が明らかになる可能性もあるからです。

だとすると,そういった「お試し期間中」に公表してしまうと,せっかく,「やりたくない」ことが明らかになった場合に,引くに引けなくなる可能性があります。

まあ,僕の場合は,自分の知っている人が何かにチャレンジして,それを途中でやめたとしても,「ああ,性に合わなかったのだろうな」くらいにしか思いません。実際にやってみて,すっぱりやめてしまうことも当然起こるよねと思っているからです。

でも,世の中には,そういった人ばかりではないので,「結局長続きしなかったな」という印象を持たれてしまう可能性も大いにあります。

だから,「お試し期間中」の公表は得策ではないと思います。

公表というのは,いわば,引くに引けない状況を自ら作出することに意味があるわけですが,お試し期間中は,まだ,そういった引くに引けない状況を作り出したほうがいいのかどうか,判断している最中なので,公表は時期尚早でしょう。

それと,下積みをするという意味もあります。

ちょっと「あいみょん」の例を出しますが,あいみょんは,2018年「マリーゴールド」がめちゃくちゃヒットしましたよね。

いろんなところで,「麦わらの~帽子のき~みが~♪」が聞こえてきたと思います。

この「マリーゴールド」,デビュー曲じゃないんです。

あいみょんは,マリーゴールドの前から,コツコツと作品をリリースしていました。

このような,ヒット曲が出る前の,いわば「下積み」がどう活きたのか。

「マリーゴールド」のヒットによって,大勢の人があいみょんに興味を持ったわけですが,↑の下積みがあったおかげで,その興味に応えることができたのです。

マリーゴールドというヒット曲の前に,あいみょんは,「下積み」としてコツコツと作品をリリースしていて,そのおかげで,マリーゴールドであいみょんに興味を持ったたくさんの人々が,いろんなあいみょんの作品に触れることができ,結果として,その興味を持った人たちにとっては,あいみょんは「マリーゴールドだけの人」にはならなかったのです。

だから,下積みって大事なんです。

せっかく,興味を持ってくれた人がいたとしても,その人に提供できるものが少ししかないのは,非常にもったいない。

興味を持ってくれた人は,興味を持ったその瞬間に,いろんな作品に触れたいのに,少ししかないなら,せっかくの興味が薄れてしまいますよね。

興味に応えるためには,ある程度の量が必要で,その量を確保するのが下積みです。

僕の場合も,「今日からブログ書きます!」で公表しませんでした。

単純に,すぐに公表したくないというのもありましたが,あいみょんの例と同じように,下積みがなかったのも,その理由です。

ある程度の量を確保しておかないと,せっかく僕に興味を持ってくれた人がいたとしても,提供できる作品が少ないならば,↑で説明したように,興味が薄れてしまうのです。

だから,ある程度の量を確保するって,とても大事なんです。

今でも,たまに,過去の記事を読んでくれる方がいます(とても嬉しいです。好きです!)。

こういった,僕に興味を持ってくれた方の興味に応えられるだけの量を,ある程度は確保できていることは,まあ良かったかなぁと思います。

だから,下積みで量を確保するのって大事でなわけで,そうすると,公表というのは,ある程度遅くていいのです。

ちょっとまとめに入ると

・とりあえずやってみる

・「やってみる」の方法は毎日続けること。なぜなら,毎日続けるのが一番楽だから。

・やってみてダメならすっぱりやめる

・下積み大事

人生はやりたいことやるだけでも時間足りないと思います。だから,とりあえずやってみよう

Twitter動かすとかでいいです。

お互い無理せずできることからやりましょう。

ちょっと,今日は特に意識高い系でお届けしてしまっているのですが,これは,僕自身を鼓舞する意味もあります。

めちゃくちゃ偉そうな言葉を並べていますが,まだ,僕自身がこれらを言えるような立場にないことは重々承知しています。

とはいえ,身の程知らずが,身の程しか発信できないのはつまらない。

いつの日か,ここに書いたことを説得力をもっていえるような「身の程」を身につけられるように,これからも無理せずやっていきたい。

(今は,これが精一杯です・・・!)

それではまた明日。

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