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私とオーストラリアとワーホリ。

小学生のときの総合学習で好きな国を1つ選び模造紙にまとめ上げて発表するという授業があった。
なんとなくオーストラリアを選んで、図書室でオーストラリアに関する本を選び、なれないパソコンで必死に調べた記憶がある。
なんとか仕上がったオーストラリアをテーマにした模造紙は小学生ながらにしてインパクトがあるものに仕上がった。

中学に上がって英語がスタート。私の中で1番の得意科目、好きな科目になった。英語の教科書にはいくつものオーストラリアの写真たち。ありきたりだけどオペラハウスやコアラのキーホルダー、ウルルやグレートバリアリーフを教科書を通して見つけていつか絶対にオーストラリアに行くんだと志したあの日。懐かしい。

外大の頃、試験に受かれば1ヶ月の授業料と航空券が無償になる語学研修があった。場所はオーストラリア、クイーンズランド大学附属語学学校。行くっきゃない!そう思って受けた試験。合格者発表に自分の学籍番号があった日のなんとも言えない感情は忘れもしない。

不安もドキドキもワクワクも喜びも嬉しさもすべてを持って飛び乗った飛行機で、嬉しくて機内ではほとんど寝れなかったなぁ。なんてのはその時だけで実際に着いたらホストファミリーとの挨拶すらあんなに練習したはずなのにうまくできない。クイーンズランド州のプリペイド式ICカードの購入方法やここでの過ごし方を説明してくれているのにほとんど理解できない、翌日学校に届けてあげるね!なんて言ってくれてるけどかろうじてそれが聞き取れたなんてレベルだった。

学校ではさらなる試練が。
私は元々(何なら今も)リーディングだけが苦手で、他の三技能は特に問題がなかったのでレベル分けテストでなんと中級のアッパークラスに入れられてしまった。聞き取るのに精一杯の私がリーディングについていけるわけもなく毎日泣いていたあの頃が今はとても懐かしい。毎日泣いてる姿をクラスメイトに見せるのが嫌で、週末のボキャブラリー大会では絶対にクラスで一位になるんだ!ってバカみたいに張り切ってボキャブラリーだけは本当に毎週優勝していたなぁ。休み時間も放課後も積極的にブラジル人やアラブ首長国連邦からの留学生、韓国人やタイ人とコミニケーションを取りに行ってなんとか克服を図って、帰国前の最後の授業では満面の笑みで終えることができたのを今でもはっきりと覚えている。

帰国前の日にはホストファミリーが学校の友達を家に呼んでごらんと言って下さりたくさんのお友達とホストファミリーで私のことを見送ってくださった。その頃にはホストファミリーとのコミニケーションもしっかり取れていて今もFacebookやInstagramでお互いの近況を語り合う中になっている。
ここの家庭に配置されて本当に良かったって今でも心から思える。

挫折しかしなかった7年前の語学研修だから、次は絶対に自分のお金でワーホリするんだ!!!ってずっと心に決めていた。

それから旅行で毎年のようにオーストラリアに通いつめて酷いときには1年に2回も弾丸の1泊で行ってしまったりするくらいオーストラリアにハマっていった私。
 
直近で19年6月にブリスベンへ。その時に心に決めた!私すぐにここにワーホリで帰ってくるぞ!って。

10月に会社へ辞めることを伝え、エージェントで語学学校を手続きしていただき、ホストファミリーに連絡を取って安く住める方法を聞き出しAirbnbに出会い、向こうにいる友人という友人に連絡を取りまくった。

飛行機もVISAも保険も学校も住む先もひとまず最初の二ヶ月を過ごせるような準備だけはできている。

私にとって今一番の心配は日本が入国禁止措置にならないかどうか。毎日オーストラリアのニュースを見て不安になっている日々。

どうか無事にオーストラリアへたどり着くことができますように。私にとって昔からの憧れの地。きっとまたいくつも挫折を経験するだろうけど、私らしく悔いなく過ごしたいんだー。

出発までちょうど残り二ヶ月、今頃私は太平洋の上(笑)
残り二ヶ月でしっかり今度こそしっかり英語で怖気づくことがないように準備していくつもり。

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2020年はワーキングホリデーに使うって決めて準備してきました。自分らしい生き方をオーストラリアで!ワーホリに正解も不正解もないはずだからとにかく毎日を悔いなく過ごしたい。帰国してから後悔しないためにしたいことは全部やる!
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