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脳梗塞1周年メモ開始

一年経ったので去年を思い出していくメモ
友人知人家族に送ったLINEとかで当時を確認しつつ、キーボードで打つ!
つまりそのぐらい今は動けてる(フォームはめちゃくちゃ)来年はもっと動け!
後々振り返って読んだ時にそうそうこれこれこんな感じだった、って何度でも笑い飛ばしたい

【24年春現在】
手は良く見たら違和感ある動きする
足は手すりありなら階段昇降いける
自転車もご近所ぐらいならいける
扶養範囲パートタイマー継続
かがむとしゃがむはまだ苦手
つまむと離すもまだ苦手
喋るはまあまあだけど歌うは全然ダメ

【2023年3月22日】
WBC決勝戦の日
スペック:当時47歳でBMI29・非喫煙者・酒は週3
毎年秋に受けてる健康診断の結果がイマイチで、春にかけて7キロぐらい落としてのダイエット中だった(後手だった😔)

息子と私は仕事が休みだったから朝からビールを飲みつつテレビを見ていた
つまみはネギトロとチーズと、あとなんか乾き物だった
優勝を見届けてチャンネルを変えて地元校が出てる選抜も見た
そっちも勝ったのでご機嫌に解散して2階にある自室に戻った

翌々日はCGライブを見に行く予定があったし、そのまた翌々日には中目黒で花見酒の予定もあった浮かれた春だった
気温のことは覚えてないけど試合の合間にコンビニに行ってるから多分凍えるような寒さではなかったし、雨も降ってなくて、それなりに穏やかだったと思う

自室でごろ寝しながらスマホを見て、夕飯まで昼寝でもするか、と思っていたときに異変が起きた
手脚をつままれて引き伸ばされた感覚になった
飴細工ぐらいやわやわにグニョーっと手脚が遠ざかった
そして戻ってこなかった

それ以外の症状は何もなかった
でも明らかに異常だとは感じたから慌てて起きあがろうとした
力が入らなくて立てなかった
タイミングよく階下から息子の声がした
夕飯の支度ができたと言っていた
うつ伏せにはなれたから這いずって異常を伝えようとした
舌が回らなくてまともな言葉が出なかった

声は出たからとにかく呼んだ
救急車!と言ったつもりで半分ぐらいは唸り声だった
息子も慌てていて、本当に救急車を呼んだ方がいいか調べられるサイトがあるとか言い出してスマホを見ていた
そんなことよりこれは絶対救急車!と思って自分で電話した

伝わる程度には喋れたと思うけど途中で息子に代わった
救急車はすぐ来てくれたと思う
クソ狭いメゾネットのアパートの階段を通って運んで下さった隊員さんありがとう
「狭くてすみません……」と何度か伝えた
搬送先は近場の一軒に断られ、少し遠くに行くことになった
何時に症状が出たかが大切なので正確に教えて欲しいと何度も言われたけど、時計は見てなかったから難しいなと思った
何かあったら時計を見ておいた方がいい

両腕を上げると左腕だけ落ちてしまうのは自分でもわかった
「右の口角が下がっている」と隊員さんが繰り返していた
左右が矛盾していてすまない
顔のつくりは生まれつきです

搬送された病院でMRIを撮った
中に入るときは人の手で移動したけど出てきた時は自力だった
大したことないのかな?と思った
ストレッチャーで運ばれながら「明後日のライブのチケが取れてるんですけど行けそうですかね?」って聞いたら、押してくれていた小柄で眼鏡でまつ毛の長い男性が「次回を楽しみにしましょうか」って言った
次回があるとは限らないんだぞ!と憤慨してたけど冷静に考えて行ける訳がない、と身に沁みたのはライブ当日になってからだった
とりあえず一緒に行く友人達のグループLINEに入院する旨は送った
何事かと驚かれたから脳梗塞だと伝えたけどやっぱり驚かれた
ついさっきまで元気にソシャゲの話してたもんね(推しイベ中だった)

この時はまだいつも通り左手でスマホを持って右手でみんなに連絡ができてたし、一週間ぐらいで退院できるものだと何故か思っていた
動くベッドに移動してもらって、病院の寝巻きになって紙オムツを当てられて点滴とかなんか色々ついて
そのぐらいで旦那と母が飛んできた
旦那は入院に備えて私のiPadとキーボードとかを持ってきていた
みんなまだだいぶ現状を把握できてなかった
自分の親をくも膜下と脳梗塞のコンボで亡くしてる母は多分違ったけど

入院する病室は救急搬送患者が集まってるから男女混合だと言われた
けどおじいちゃんしかいなかった
前後左右全部おじいちゃんだった
私も体はほぼおじいちゃんってことなんだな……っていうショックを受けた
心電図と点滴とカテーテル、いろいろぶら下げてとりあえず消灯

右尾状核アテローム血栓性脳梗塞生活スタート

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