見出し画像

ゲイと政治

政治ネタは基本的に扱わないことにしている。よく耳にする三大タブー話(政治、野球、恋愛?)のひとつだし、とくに政治ネタは右左だの、曖昧かつ大雑把なうえに、すぐに対立構造となって炎上するからである。

しかし、今回はセクシャルマイノリティーと政治に関して、多様性というテーマに、個人的に少し思うことを書いてみることにした。

多様性という言葉

そもそも多様性ってなんだろうという点。
決まって僕らのようなセクシャルマイノリティについては、多様性を認めてあげようという類のある種の代名詞に使用されている印象があるのは僕だけだろうか。

たしかにゲイ視点では、LGBTQ(セクシャルマイノリティ)という人がいることをもっと知ってもらい、例えば職場などでの不当な扱いや差別されないとか、同性パートナーシップ制度が申請できる自治体を増やすとか、このようなことを望み、実現していけば、多様性を認めることにつながるのかもしれない。

(本題とは逸れるが、僕自身はLGBTQの存在をもっとみんなに知ってほしいとは思うが、理解は別にしてほしくない。というよりも、真に理解することはできないものだから、それ以上は望んでいないというほうが適切かもしれない。100%ゲイの僕だって、ストレートの方について真に理解は難しいと感じるし、お互いさまと思うのだ)

ほかにも、障害をお持ちの方、重い病気を患ってる方、家族に介護を要する方など、日常生活が大変な状況にある人でも、不当な扱いを受けず、いきいき働けるような社会を望むことということもあるかもしれない。

また、身近なところでは、女性の産休育休は当たり前になってきているが、いまだに男性の育休は取りづらいという雰囲気も解消されればより良いかもしれない。もっといくと、男性の専業主夫の方がいても、別にいいんじゃない?とフランクに思えるようになると、さらにいいという話になるのかもしれない。

つまるところ・・

言葉は悪いかもしれないが、何らかの場面において色んな弱者になってしまう人たちがいるということをみんなが知る。
そのうえで、なるべくみんなで助け合っていこうと努力する。そして、みんなで楽しく充実した人生を歩もうよ!

そんな願いや想いが、多様性のコトバに集約されているのであれば、それは素敵なことじゃないかと僕は思った。

素敵なスローガンの一方で・・

想いは素敵なのだが、他方で何か政治により動いたかというとそうでもなく、実感はないのが実情ではないだろうか。

残念なことに与党側の政治家から「同性婚を認める=少子化が進む」とか、無理解かつ理論的に破綻している発言がなされるし、僕らゲイは煙たがられている印象をうける。

とくに保守的な伝統を重んじる傾向が強い人ほど、同性愛を嫌悪しているらしい。伝統をいうなら、キリスト教圏やイスラム教圏とはちがって、日本は男色、衆道という文化があり、むしろ同性愛に寛容な国だったことを知らないのか?と言いたくなってしまうわけだが。

また、多様性を主張するのは野党と相場が決まっている。しかし、野党政治家もまた残念ながら、とくに何かを実現してくれたことはない。こちらも言い方は悪いが、票や人気集めのために、弱者の味方をしている風に過ぎないと思ってしまうのである。

さらに変な方向へ・・

近年ではさらに厄介なことになってきた。
スポーツ界に悪影響を及ぼしていると話題になったニュースがある。

具体的には、中国の陸上リレー競技の女子団体選手に、いわゆる女性になりたい男性(トランスジェンダー)が含まれているというのだ。
ネットで是非画像を検索してほしいが、ぺ◯スがついてるようにみえる選手が、何食わぬ顔で女性として参加している・・。

常識的に考えて、スポーツは身体的特徴が、直接的に影響するから身体的に男女を分けているのであって、精神的には女性だからという理由で、身体的な男性を女性選手として認めるのは、もはや意味不明な状態といえる。チェスや将棋などの頭脳スポーツとはわけが違う。

これを許すと身体的な女性は、明らかに不利になるわけで、むしろ女性をスポーツ競技から強制淘汰させることになり、多様性と逆行することになりかねない。多様性を逆手にとったつもりかもしれないが、おかしな方向に捻じ曲げてしまっているように思えてならない。

こういうことをされると、多様性の代名詞であるLGBTQの僕らは、なぜか連帯責任のように怪しい連中と悪印象づけられてしまうのだ。
はっきり言っていい迷惑である。

念のため断っておくと

僕自身は多様性を肯定しているが、例えば日本において外国から移民を積極的に受け入れるとか、外国人に永住権をじゃんじゃん与えるとかは、断固拒否したい気持ちでいる。
なぜかといえば、日本文化は単一民族によって守れている側面もあるし、ヨーロッパをみれば移民により犯罪率が上昇し、テロがしやすくなる等という事実があり、正直デメリットが大きすぎると感じるからだ。

日本が好きなので、そこら中にチャイナタウンや、イスラム教のモスクなどがあっても正直なところ嫌である。多様性を否定していると指摘されるかもしれないが、そもそも国や人種というものは多様性を前提としない別次元の話と考えている。国や人種に多様性が当たり前なら、極論、国境など不用になり、人類みな一つの国で争いなく平和な世界になっているばすだが、そうなることはないだろう。

というように、個人的に政治ネタはもう書かないつもりだが、多様性というテーマひとつとっても、なんだかカオスになっているなぁと最近感じた次第である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?