アイスクリーム食べる?

 彼の枕元には洗濯機があった。そこは高田馬場のワンルームマンションだった。仕事はリモートでほとんど部屋から出なかった。近所に誰が住んでいるかも知らなかったし、知ろうともしなかった。ある日仕事で大阪に行くことになり東京駅から新幹線に乗った。自由席は結構混んでいて隣に50代と思われる女性が座った。彼はイヤホンで音楽を聴き窓の外を見ていた。その時、隣の女性が、アイスクリーム食べる?と聞いてきた。彼は初めイヤホンをしていたので聞き取れなかったので、はっ?とききかえした。すると女性はアイスクリーム食べる?と確かに聞いてきた。彼は心臓が飛び出るほど驚いた。初めて会った人に突然アイスクリームを食べるか?と聞かれたことなど1度もなかった。彼は咄嗟に、いや、いいっす。と答えた。その女性はにこりと笑ってそう、と言った。そこから2時間半、彼は何を考えていたか、外の景色がどうであったか覚えていなかった。ただ隣の女性が気にならないと言えば嘘になった。お気遣いありがとうございます。と言えばよかったという思いで頭がいっぱいだった。その女性は名古屋で黙って降りて行った。彼の記憶の中にアイスクリーム食べる?と聞いてくれる家族以外の他人が1人残った。新幹線がリニアになったり宇宙旅行ができるようになっても、彼の心の引き出しに、見ず知らずの他人にアイスクリーム食べる?と聞いてくれる大人がいることが残ることになった。今は枕元に洗濯機が置いてあるが、彼には未来があった。どんな未来があるかは誰にも予測はつかないが、白いキャンバスに白い絵の具で1本の筋を描いたように、アイスクリーム食べる?の一言がシミになって残り、家族を持った時、家を建てた時、退職した時、夕焼けを見た時、土砂降りの雨の後に虹が出た時、淡く浮かび上がってくる体験となり、たとえ意識して思い出さなくても1つの人格形成のピースになるような気がするのだった。
 そして彼は自分の彼女や後輩やできれば子どもにアイスクリーム食べる?と同じ空気を醸し出す雰囲気で接するようになるだろう。それは意図して伝えようとかせねばならないという義務感で行われるのではなく、自然に身についた思いやりの気持ちになるだろう。10人のうち5人はこれを余計なおせっかいと感じるかもしれない。しかし彼の中には確実に弱者に対する確固とした想いが芽生え、例えば上司の前で足を組むような失礼な態度を取ることはあっても弱者に対しては思いやりの気持ちを持って接することができる人間になるだろう。
 謙虚な姿勢というのを大きなものに対して媚びへつらうことと混同している人が見られる。この2つは全く別物であり、むしろ若い人は大きなものにくってかかっていく気概があって然るべきである。アイスクリーム食べる?と聞く人を間違ってはいけない。

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