見出し画像

「アンパンマン」が暴力につながるかを考えてみる話

よければ記事上部、下部の♡でいいねをお願いします

記事を探すのに便利な目次ができました↓

note マップ – おがさんの絵本 (ogasan-ehon.com)

これまでの、これからの有料記事が読み放題になるメンバーシップもお勧めです↓


ココナラ相談開設しました↓


4年くらい前か…いつかはよく覚えてませんが大きく話題になり、今も定期的に話題になることがあります

「アンパンマンのアンパンチは暴力で解決するもので子どもに見せないほうがいい」

というものです

これについて私は大いに反対の立場にいます。言葉が悪いですが「くそくらえ」です

なぜそう思うのかを以下にまとめたいと思います

やや感情的な記事のため、それが駄目な方はここで引き返してください








・人間は本来攻撃的生き物であること

人間は本来、狩りをして生活をしていました。文明、文化の発展でその気質はあまり見えなくなってきましたが、

「戦う本能」は奥底に眠っています。戦うこと、それを見ることで興奮する気質があるのです

それはボクシングや、プロレス、競技性のあるスポーツなどと本質は同じだと考えています

そもそもアンパンマンを見なくても人は争うのです、喧嘩する、闘争的な生き物なのです

我々がそれを理性的に、身体的に制御するには、「経験する」ことが必要です

誰かと争うことで、

怪我をしてそのデメリット知ることもあるでしょう

他者の痛みを知ることもあるでしょう

この力加減なら相手を傷つけないことも知るでしょう

争わないことで友好的な関係が築けることも知るでしょう

上記のように「攻撃性を認めた上で自制できること」がお子さんの成長含まれます

まだ身体的、社会的、精神的に未熟なお子さんに、大人は「上記のこと」を様々な方法で伝えていく必要があります

親御さんの心情的に子どもにこういったアニメを見せない という方もいると思いますが

「好き」「やりたい」なら必ず別の場所で学んできます

それはお子さんが悪いのでも、周囲の人が悪いわけではありません

しいて言うなら、「子どもが必ず真似る、学ぶ、得たいと思うものに蓋をする精神性」を私は認めていません

お子さんの行動で気に入らないことがあれば、全部否定するつもりですか?

大人の「伝えられない未熟さ」を別のなにかのせいにするのはやめていただきたいのです

・そもそもこの話って

そもそもこういう話 出所は大昔のネットの冗談のような書き込みから始まっていると私は記憶しています

・アンパンマンは暴力で解決する

・ジャイアンのやっていることは恐喝、暴行である

それが巡り巡って社会に流れてきて、表面だけを鵜呑みする人が声高に叫んでいる印象です

戦隊物は「悪」をリンチするものですか?

ポケモンはボールに動物を押し込め戦わせる動物虐待ですか?

こんな議論を公にすることはばかばかしいのです

こういう話は、ある種の「アラ探し」なんだと思っています。例えば以下のアンパンマンの行為をこき下ろすのであれば

アンパンマンの事前に話し合う姿勢
(バイキンマンを殴るための大義名分づくり)

無償でパトロールしていた慈善行為
(困っている人を助けて自分の味方を増やす)

お腹すいていた子に自身アンパンをあげる自己犠牲行為
(自分の身体の一部をあげる狂った行い)

ともできるでしょう

結局、そういった「学習できるポイント」を「学習できないポイント」にしているのは見る側です

そういった人は、何をみても「良くない行為」に結び付けてしまうのではないでしょうか

アンパンマンは多くお子さんに愛され、様々なことを考える機会を与えてくれるアニメとして

これからも見続けられていくでしょう

子どもにとって私は「しっかり考える大人」「アンパンマン」でありたいと思っています

お子さんの考える、学ぶ自由を侵害する、自分の意見を強要するバイキンマンにはなりたくはないです

お子さんの「アンパンチ」は、案外、的を得ているかもしれませんよ

関連記事

以上になります

これからも少しづつ投稿していけたらと思っています。

質問等あれば、書き込んでいただければ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?