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今の子どもとビデオゲームと

TwitterのTLからこんなツイートがRTとして流れてきた。

ツイート主はおそらく、現代の写実的なグラフィック、制限のないサウンドと完全に出来上がった見た目のゲームをプレイさせるより、抽象的な記号的なグラフィックや制限されたサウンドのビデオゲームから、段階を踏んで現代のビデオゲームまで段階を踏んで楽しんだほうが面白いはず、自分もそうやって育てきたから! 今のビデオゲームをいきなり遊んでも感動が薄くなる。と言いたかったのだと思う。

しかしそれは大きな間違いだ。

今の娯楽は、今供給されているものをまず楽しませるべきだ。その上で、子どもが興味を持つ様だったら、古いビデオゲームを勧めるのもいいだろう。そもそも、親世代がなぜビデオゲームが楽しかったのか? ということを思い起こしてもらいたい。その時代における最先端の娯楽がビデオゲームだった訳で。

ひとりで遊ぶにしても、こんな娯楽があったのか! と感動したり、ビデオゲームを通じて友達と攻略状況を共有したり、対戦したりコミュニケーションツールとなっていた場合もあるだろう。

それを親の都合で、古いビデオゲームだけしか遊ばせてもらえない場合はどうだろうか? 親としては自分の子供と共通の話題が出来て嬉しいのかもしれない。だがそれでいいのか? 時代は進んでいるのである。親世代が子どもの頃に味わった同じ感動を今与えてどうするのだ。そんなカビの生えたような親のエゴたっぷりの感動なんかより、今しか得られないリアルタイムの感動を与える環境を作るほうが、子どものためになるのではないか。

私にも息子がいる。80年代のレトロなタイトルやファミコン、スーパーファミコン、メガドライブ、セガサターン、プレイステーションなどの古いゲームを好んでプレイすることもある。が、私から押し付けたことはない。ただ私がプレイをしているのを見て、自分もやりたいとプレイするのだ。YouTubeでシリーズ物の旧作を知り、それをプレイしたいと自ら言うのである。

その興味に対しては私は否定をしないし、今でもファミコン以降の据え置き機はリビングにプレイできる環境でセッティングしているので、プレイ出来るように手助けはする。その結果そのゲームにハマればそれはそれで嬉しいし、合わなければそれまでだ。どの時代のゲームでも情熱を持ってプレイしてくれたらそれでいい。私は息子に対してはそう思うだけで、興味を持てないゲームをやれとは言わない。

なんでもそうだが、自分の意思でやり続けられるもの、夢中になるものを息子にも見つけてもらいたいと私は思うだけだ。そんな私から息子に日々言っていることは、

・宿題と明日の準備をやってからやれ
・21時以降はいかなる理由があってもやっちゃダメ
・連続プレイは1時間、次のプレイは1時間後
・ひまつぶしや惰性でゲームをやるぐらいならやめちまえ
・捨てゲーはするな

てな五箇条だけである。
甘々だなーと思いつつビデオゲームが好きならとことんやりなよ。と思う気持ちも捨てられない、そんな親心。

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