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書く習慣1ヶ月チャレンジ Day13 好きな休日の過ごし方

休日は平日と変わらない過ごし方をしている。

何をしているかというと、だいたい本を読んでいる。
一日のなかで、自由な時間ができれば、読む本を探して本屋さんに行ったり、近所の図書館に行ったりする。
本の世界は広く、深い。本は自分をいろいろな世界に連れて行ってくれるので、飽きることがない。

本の種類はだいたい3種類ある。
知らないことを教えてくれる本、すでに知っていることをより詳しく教えてくれる本、自分が知らなかったということを教えてくれる本、だ。
私はこの自分が知らなかったということを教えてくれる本が特に好きだ。哲学、古典、歴史の本などがこれにあたる。

ショーペンハウアーは「自分にとって幸福とは何か、自分にとって成功とは何か」を考えるときに自分主体で考えることが大切だと教えてくれた。
「誰かにどう見られるか」は、自分の幸福や成功にはあまり重要ではない、と気づかせてくれたことで、自分の思考の型が変化した。

ニーチェは、「事実というものは存在しない。存在するのは解釈だ。」ということを教えてくれた。どのような出来事も、人によって捉え方が違うので、答えが絶対的に一つしかないというものは存在しないと知った。

ユヴァル・ノア・ハラリは、「人間(サピエンス)は、虚構という全く存在しないものについての情報を伝達する能力が優れている。そして、人間の大規模な協力体制はなんであれ、人々の集合的想像の中にのみ存在する共通の神話(虚構)に根ざしている」ことを教えてくれた。国や都市、部族、宗教、会社などは、誰もがその存在を信じていて共有の信念があるから存在しているだけで、これらのものが事実として存在するわけではない、簡単に変化したり消滅したりする。だから、それらは「虚構」だと知った。

いろいろな本を読むと、考え方がどんどん変わる。見えなかった世界が見えたり、見方が180度変わったりして面白い。パラダイムシフトを起こしてくれるような本はそう多くないが、出会えたときは鳥肌が立って心拍数が上がる。

友達と話したり、テレビを見たりするだけでは、価値観が変わるような衝撃的な体験に出会うことは少ないが、本はその確率を上げてくれる。

現代の日本は、本を読む環境が今までにないくらい整っていると思う。私たちは、紀元前を含むと約3000年の歴史の中の、古今東西の優秀な人の著作物を気軽に手に取ることができる。これは素晴らしいことだ。生きている間には絶対に出会えなかった人たちの書いたものが、その人が死んだあとも長い間滅びずに残り続け、今、自分の手の中にある。ロマンがあると思わないだろうか。

私は哲学の本を読む時には、有名な哲学者の先生が、ほんやくコンニャクを片手にタイムマシーンに乗ってこの時代の日本の大学に来て講義をしてくれているような感覚に陥ることがある。直接その哲学者に質問をすることはできないが、本を読みながら「先生これはどういうことですか?」と問いを立てながら読んだりするのは楽しい。

哲学者の本は古い本であればあるほど、長い時間を経て原典から母国語の翻訳に何度も訳される。しかも、その本を現代の日本語に翻訳して出版している。自分が手に取った本は、哲学者の本来の言葉が忠実に記載されているとは言えないかもしれない。それでも、長い時間を経て多くの人々に読み継がれた本には、ただならぬエネルギーがある。なので、多少の変化があったとしても、本の内容がしっかりしていれば、言いたいことは強く伝わってくる。

哲学や古典を読むのは難しいが、読後の達成感は他の種類の本ではちょっと味わえない。その日はもう放心状態になって、頭で本の内容を何度も反芻してしまって、やらなきゃいけないことが何にも手につかなくなってしまう。だから、哲学や古典を読むのは、本当は休日がいい。

本を読むのは、体力を使う。余裕のある時しかできない。毎日が忙しいと、平日どころか休日も本を読む余裕なんてないし、できるだけ頭も身体も休ませたいと思ってしまうだろう。しかし、ものの見方や考え方の型ががらりと変わる体験をすることは、今後の人生を豊かにする上で欠かせないことだ。

読書のような、緊急性はないが、人生にとって重要なことを取り組むには、孤独と閑暇が必要だ。孤独と閑暇はショーペンハウアーが言った言葉だが、要するに、一人で何かに没頭できる暇な時間を作ることが大切だ。
人生を豊かにする機会を忙しさに奪われるのはもったいない。誰にも邪魔されず、自分の世界に入り込むことのできるような時間が取れるよう、これらかも余裕のある生活を心がけていきたい。



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