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書く習慣1ヶ月チャレンジ Day21 これまでで1番の挑戦

これまでで1番の挑戦は、中国へ留学に行ったことである。

大学生の時に、第二外国語の科目で中国語を選択し、専門ゼミで中国政治ゼミを選択した私は、いつか中国に住んでみたいと思っていた。
専門ゼミの合宿では、北京、天津、広州、香港などを訪れていて、卒業旅行では、桂林、深圳、マカオなどに行った。大学生にしては、随分いろいろなところに行ったが、大学卒業が近づくにつれて、旅行ではなく生活がしてみたいと思うようになった。

大学を卒業して、半年アルバイトをしてお金を貯め、9月入学のタイミングに合わせて、中国に渡った。語学留学だ。


なぜ、私が中国留学を挑戦と言うのかというと、
もちろん日本語の通じない場所に行くというのはそれだけで挑戦なのだが、
それに加えて、完全に単身で中国に乗り込んだということが理由である。

大学を卒業していたので、大学の交換留学プログラムで行ったわけではない。なので、大学のバックアップもないし、奨学金もない。自費留学だった。

留学エージェントを通して大学入学の手続きを取ったわけではないので、自分で留学の仕方をパソコンで調べて、中国の大学に直接留学を申し込んだ。当然、手続きは全て中国語で行わなければならなかったので、苦労した。

大学の授業程度の中国語しか持ち合わせていない上に、
頼る人のいない自己責任の留学は、私にとって冒険だった。


留学のためにやったことは、実は意外と多くない。
日本では、パソコン上で大学の入学手続き、飛行機の予約。
現地に着いたら、銀行で持参した日本円を人民元に変える、大学に学費・寮費を払う、中国で開設した銀行口座にお金を入れる、これくらいだ。
その他、現地で携帯電話のSIMを買ったり、必需品を近所の大型ショッピングセンターで買ったり、細かいことはいろいろあったが、どうにかなった。買い物は、現地で知り合った日本人留学生にサポートしてもらった。その人がいなかったら、何もできなかったので、めちゃくちゃ感謝している。


挑戦といえば、中国の病院に行ったのも、今思えばなかなかスリリングな出来事だった。

中国で留学生活を送ってしばらく経った頃、私は咳とたんに悩まされるようになった。最初は風邪だと思って風邪薬を飲んでいたのだが、症状はどんどん酷くなり、ついには夜中寝られないほど悪化した。部屋中に咳の音が響くので、音を抑えるためにハンカチを枕元に置いて寝ていた。

日中はひどい咳が出なかったので授業に出ることはできたのだが、授業が終わるたびにトイレに駆け込んで痰を吐いたりしたのは辛かった。
夜中に寝られないため、日中は眠く、徐々に勉強に支障をきたすようになった。体力的にもきつかった。生理的な涙はボロボロ出るし、咳のしすぎで腹筋が割れ始めたし、ついには限界が来た。

このままだと、死んでしまうと思った。日本では風邪も引かず、病気もしたことがないくらい健康だった私が、こんなに辛いのは何かがおかしいと思った。
そして、自分の留学生クラスの担任の先生に現状を訴えて、病院に連れていってもらった。


中国の病院は思ったよりも清潔で、システムも日本とあまり変わらなかった。受付をして、まず先生に一度診てもらって、必要な検査をしに行って、その結果を持って再度先生に診断してもらう、といった流れだった。

私は、その時まだ中国語を流暢に話せなかったので、片言の中国語を使って自分の症状を担任の先生に伝え、それを担任の先生が病院の先生に伝えてもらうという形でコミュニケーションを取った。

私が行った病院では、患者が受付の時に病院の先生を選ぶシステムになっていて、先生によって診断料がそれぞれ違った。おそらく優秀な先生は高額だったのだろう。
私は一番安い先生を選んだ。すると、「全然問題ないから帰って良いよ」と一言言われただけで診断が終わってしまった。わざわざ病院まで足を運んだのに、その先生の診断があまりにも適当だったので、困惑した。
しかし、担任の先生が私の代わりに怒ってくれた。もっとしっかり診断してもらうために、精密検査を受けることになった。

病院内をあちこち巡り、採血を5本と、レントゲンと心電図を取った。トータルで4時間くらいかかった。その診断結果をさっきの適当な先生のところに持っていったところ、「数値に異常はないね。気管支炎だと思うよ。薬出しておくから飲んでね。」と言われておしまいだった。この薬も催促してやっと処方してもらえた。中国と日本の病院のギャップをここで思い知った。

自費留学で、中国の健康保険に入っていなかったので、薬は全額負担だった。確か3種類の薬が2週間分で4000円くらいだったはずだ。高くついたが仕方ない。

薬を全部飲みきって、これで治らなかったら日本に帰るつもりでいた。このまま生活を続けて喘息持ちになって一生苦労しても困るからである。
結果、薬を飲み切った頃から、症状は穏やかになっていき、病院に行ってから1ヶ月経った頃には完全に気管支炎は治った。

なぜ気管支炎になってあそこまで苦しい思いをしたのか、原因は今でもよくわからない。生活環境の急激な変化から、身体が弱っていて、その時運悪くウイルスが入ってしまったのではないか、と周りの人は言った。
しかし、私は密かにPM2.5のせいなのではないかと思っている。空気はきれいじゃないし、気管支炎なんて日本にいれば、そうなるものではない。

中国留学は挑戦ではあったが、多くの人に助けられたからやり遂げることができたと思っている。
特に病院に連れていってくれた中国人の担任の先生には感謝してもしきれない。言葉も話せず、体調も悪くて不安だった私にとても優しく接してくれた。この先生がいなかったら最後まで留学生活を続けることはできなかった。

挑戦したことは、どんなことでも良い思い出だ。自分の挑戦にはいつも誰かのサポートがあることを忘れずに、これからも挑戦を続けていきたい。

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