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5.心躍る日々

「幾星霜の人々と共に・白駒池居宅介護支援事業所物語」
第2話 「明るい神様」

【今回の登場人物】
  明神健太 白駒池居宅支援事業所のケアマネジャー
  葛城まや 明神が担当する認知症の利用者
  葛城健一郎 まやの恋人


単なる認知症の利用者ではなく
ひとりの人として見つめてみると
単なる認知症の利用者ではなくなるのです

    5.心躍る日々

 葛城まやは、明神健太が読み上げる日記の内容に、しっかりと反応していた。
 「当時は社内恋愛なんて絶対許されない時代。だから私の片思いと思ってたの。でもどんな風に連絡取りあっていたのか思い出せないけど、いつのまにか休日にデートしてた。」
 まやはニコッと笑った。
 明神はデートに至るまでの経過が書かれていないか、日記をさっと読んでみたが、そのことについては書かれていなかった。
 「えーっと、初めてのデートの場所は… だめね、一郎さんとの初デートの場所を忘れるなんて… 」
 「あ、それは書いてありますよ。大阪城に行って、天守閣に登ったって。」
 明神はすぐさま、まやをフォローした。
 「そうそう大阪城だった。二人とも高いところから眺めるのが好きだったの。」
 目を細めながらまやが語った。

  明神はどこで切り上げようかと思いつつ、その先のことも気になり、日記の続きを読んだ。
 何回目かのデートの後、葛城健一郎は突然東京支店への転勤を命じられた。
 まやは自分との関係がばれて転勤になったのかと思った。
 実際には高度経済成長期に入りつつあるときで、本社機能を東京に移すための一員としての転勤で、栄転に近いものだった。
 健一郎にとってはさらに仕事にまい進する出来事になるのだが、まやにとっては寂しくつらい別れとなった。
 読み上げていた明神の心も、どうなるのかと心配になった。いつのまにか、まやの人生の軌跡の中に入り込んでいる明神だった。

 当時は電話も今ほど簡単に掛けられる時代ではなかったが、まやは勇気を出して健一郎が住んでいる社宅に電話を掛けた。
 しかし健一郎は毎日のように仕事で帰るのが遅く、繋がることはなかった。手紙も出したが、忙しいのか、なかなか返事がなかった。
 明神が読み上げる内容にまやが反応した。
 「もうこの恋は終わったんだと思ったの。」
 窓から差し込む夕陽が、まやの横顔を赤く照らした。
 「そしたら突然、東京に遊びにおいでって一郎さんから電話があったの。私飛び上がって喜んだわ! 」
 まやは、認知症状のため、何も思い出せないと思っていた明神は、日記に呼応するかのように思い出されるまやの記憶に驚いた。

 そもそも、明神にとって葛城まやはケアプランを作成している多くの利用者の一人にすぎなかった。
 まやに認知症があろうがなかろうが、単なるケアプランの対象者のひとりでしかなかったのだ。
 それ以上でもそれ以下でもなく、明神は淡々と業務をこなしてきただけだった。
 しかし葛城まやの人生の軌跡に接し、単に独居の認知症の人で、近いうちに施設入居が必要な対象者としてだけでしか見ていなかった明神の心に、今までとは違う感覚が生じていたのだ。

 明神は続きを読んだ。
 健一郎はまやのことを忘れたわけではなかった。ただただ仕事が忙しかったのだ。
 その仕事も少し落ち着いたところで、まやを東京に呼ぼうと思っていたのだ。
 新幹線のない時代、特急「こだま」に乗って、まやは東京に向かった。
 「とても楽しかった! えっと、東京タワーに登ったの! 」
 まやが訪れた前年に東京タワーが完成し、多くの人が観光に訪れていた。
 「まやさん、日記には東京タワーに階段で登ったって書いてありますよ。階段なんかで登れるんですか? 」
 明神は少し驚きながらまやに聞いた。
 「そうそう。エレベーターが凄い行列だったから、階段で登ろうということになって、一郎さんが私の手を引っ張って登ったのよ。そして富士山に沈む夕陽を見たの! 」
 まやはとても嬉しそうだった。
 そのまやの表情を見て明神の心も和んだ。
 ただ日記には富士山に沈む夕陽のくだりは書かれてはいなかったのだが。
 窓から差し込んでいたまやを包んでいた夕陽の色が消えた。
 明神は潮時だと思った。
 「まやさん、素敵な話をありがとうございます。とても楽しかったです。」
 まやも一息ついた感じだった。疲れも感じたのだろう。
 「ありがとう。長々と私の話に付きあってもらって… 」
 「あ、肝心なこと! 介護サービスこのままでいいですよね? ハンコを押してください! 」
 「あ、そうだったわね。」
 まやはいつもテーブルの上に置いてある印鑑で、明神が示す書類の場所にに判を押した。
 「ごめんね、長く引き留めて。でも嬉しかった! 」
 明神はそのまやの笑顔に、何故か心が弾んだ。
 「はい、それはよかったです! 」
 明神が立ち上がろうとしたとき、足がしびれて思わずひっくり返ってしまった。

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