孫子の人となり

荀子や孫子となると、おもしろい。これに対して空想的社会主義と成ると著しくおもしろくない。おわっていると言いたい。そういう中国なら韓国より優れては、いない。有効な大きさに達していない。習近平は、おもしろくない以外に問題、抱えて居ない但しあまりにつまらない。ギリシャについては考えてみた。これは、遠慮の日本文化と似たところに困っている。精神は、大人。慎重派になる理由は、特に言えないその説明出来なさに問題は、ある。要するにあの国の現状はこう成ってる。歴史的に徹したい道義も今の所は、ない。
から、ああなら、、なら左翼も、いいかもしれない。
老子、墨子、やや韓非子はいいとしても荘子も夏目漱石よりオチを言えなかった程度に留まるとして、孟子、そこも含める啓蒙思想家の陳腐さ等は、茶化してる子供なのか、と、思いたくなる。
マキャベリよりすこし優れているのか。そうはおもえない。違う道義を示したワケもあるまいし、与党に反発した野党の感情は、伝わってきました、こんなんなら日本の正しさをやはり少々は、いいたい。
スラムよりちょっと治安は、いいからって何の根拠にも成らないし国際恋愛くらい許すのは、当然なところ相手からみて状況は、非常にわるくしたくなる、しない干渉も。
つい最近の情勢には「ガッカリ」した。
空想的に友愛を唱えるならちょっとは敵か味方かと意識したらいい。なんの現実も、見えないよりか。

そういう基準に絞ると孫子は、残る。
孔子にも問題は、のこる一方、残留、する。
テーマにすこしは、ふさわしい。
格差を示すなら模範をおこなうとか、それは、最低限の礼儀におもえる。
それをしないとするなら外交のあいてには対案の存在さえ糺していい。
首相の権限は、大統領より狭いと言えねそれくらいは、責任者ならしていい。

核の廃絶に賛成しない様な国は、なんの成果も提出しちゃいない。有用主義からして根拠という根拠は、ない。

そんな事は、出来るのに、やってない。

悪かは、言い切れなくても情けない。
とってもなさけない。

浸透しなかった宗教の全てに悪は、ない。
悪というのは、厳密になると悪を敢えて選択する人もいる程に第一難しい。

そのなか、仏教、儒教、沖縄の汎神論、長崎のゆるいキリスト教、こう穏健な宗教をのこすのに日本は、正しい苦労をしゾロアスター教は、壊滅みたいな惨事を実は回避した。
名目のわりによかったこういう宗教を西洋と中東は、失っている。
文化こわれる事を宗教ならええやんけとは無論いえはしまい。
結果オーライと言っても結果の清さを失って、いる。

つまり無神論みたいな時代は、日本より余程ある国も成功はしておりそこをとりたてて日本を批判するコトは、出来ない。

実際という風に考えた時に孔子は、実学らしさを十分に持って居ないため、孫子は、ここに(ところをえて)登場する。
韓非子のいけすかない詭弁のうまさも、ちょっち面白いのは、遊説家らしくも正面から論破されないように立ち回りとは言っても遊説家的な境遇のひとは、人をみる目は、ない!
わかるよ建築家からすると面白いのは。アートをやりたくて建築を実際上のをやる人は、オレの観念に特別な価格と価値アリとは想いたい。
それを説得してね審美的な建築をつくれるって話は、ないよな。
生活をいやなら志を相当に強く持たなくては、アートの純粋さを兼ねてるとは言えないや。

無分別というのは、高尚な美徳とされる場合を持つ。分別を一度もしなかった。偉そうに、思えて。

分別を一度もしないは、偉くない。
せっかくの左脳一度も使わない様なもん。
見境なく敵も、みかたと思い危険に対処するのは、ほかの人にするのか。
そうゆうはなしになってくる。

孫子は、地味にそこは、出来た。

相互援助そのものは、大切と、思います。有償のことをする余裕を持って、無償の活動を敢えてする系のスタイルを、とってます。 プライスレスに、人生を再始動したい人には情報を提供出来るかなとおもいます。OK??? 企画倒れは充分警戒したいし、格闘技なら階級低め、組織ならNPOは、穴場。