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かまってちゃんの自覚

最近ふと「俺ってもしかしてかまってちゃんかもしれない」と感じることがある。

なぜそう思ったかというと、SNSの更新頻度が高かったり(このnoteも然り)、人にやたらLINEしたりという行動などが目立つからだ。

一抹の不安を払拭すべく、検索ワードに 「かまってちゃん 男」と打ってみた。トップに来たサイトがこれだ。

恐る恐る読んで思ったこと。




俺、かまってちゃんだわ笑


この記事に書いてあることおおかた当たっている。
寂しがり屋で嫉妬深く、自分に自信がない。
3枚抜きだ笑
これって俺の当て書きですか?(そんなわけねぇーだろ!)

他者からの評価を気にすることもあるし、恋愛が生活の軸になっていたこともある。


そういえば、高校時代に付き合っていた彼女からフラれた理由は「重い」だった。その彼女は、勉強に部活に、バイトとさまざまなことを頑張っていた。俺には彼女しかなかった。そうフラれるのも当然か。


上記のサイトには、「とにかく褒められたい。「すごいね」って言われたい。」とも書いてあった。


高校時代、土日は地元の施設で子ども会のスタッフをボランティアでしていた(なんでしていたかはまた別の機会に書きたいと思う)。
一緒にしていた友人は以前ゴミ拾いのボランティアもしていた。その彼のモチベーションは「ゴミ拾いは誰かが見てくれているから頑張れる」とのことだった。俺は当時ゴミ拾いをしようとは思えなかった。



何故だろうかと考えたとき、俺は「ダイレクトな感謝、反応が欲しかった」のだと気づいた。だから、ボランティアの中でも子ども会の手伝いなど人の笑顔が直接見られるようなものをやっていたのかもしれない、、、


自分のやっていることを見てくれている"だろう"ではなく、"ありがとう!が欲しかった"のだ。感謝のカツアゲである。
ここにかまってちゃんの褒められたい!が根を深く張っているように思えた。

メタで自分を見た時に妙に恥ずかしくなった。
37歳のかまってちゃん。イタすぎる。


"かまってちゃんを治すには"を調べてみたら、「相手に興味を持つ」と書いてあった。
コミュニケーションの一丁目一番地に案内された。笑


また「『自分がどのように見えるのか?』ばかりに注目し、言動・行動が常に「相手」ではなく、「自分」に向きがちです。」とも書いてあった。ベクトルを相手に向けていくことが大事"らしい"
最後には 人から"かまいたくなる人"に と締めくくられていた。


"かまってちゃん"から"かまわれさん"になれるようベクトルを人へ人へと向けていこう。




こう書きつつももう1人の自分が「とにかく褒めてくれ!」と叫んでいる。


かまわれさんの道は険しそうだ。

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