情状と量刑(その3)~刑罰は何のためにあるの?~

 こんにちは。めしだです。
 前回の記事で紹介した蛇庫常子さんの窃盗事件について、皆さんに「蛇庫さんをどのような刑に処すべきか」をお考えいただきました。

 163名の方からご回答いただきまして、ありがとうございました!
 結果は、「懲役5年以上」と「懲役3年以下・執行猶予あり」でほぼ二分されるかたちとなりました。
 今回の投稿では、「5年以上」「3年以下・執行猶予あり」と答えた方が、どんなふうに考えてその結論を出されたのかを推測しながら、「刑罰とは何のためにあるのか?」を考えてみたいと思います。

どんな風に考えて結論を出しましたか?

「懲役5年以上」と考えた人は…

 実は前回の投稿では、最初の段階、つまり

・ 被告人は蛇庫常子さん。平成9年4月6日生まれの22歳。
・ 被害者は若葉司さん。年齢不明。
・ 蛇庫さんは、若葉さんの家に侵入し、現金100万円を盗んだ。
・ 当時玄関は無施錠だった。

 この事実しか分かっていない段階で、

 「う~ん、懲役5年!!」
…なるほど。ファイナルアンサー?

という一節を入れていました。
 「懲役5年以上」と答えてくださった方は、おそらくこの段階での「懲役5年」を(おそらく無意識のうちに)「基準」にしたのではないかと思います。
 そして、その後に明らかとなった様々な事情を見て、5年よりも軽くすべきか、重くすべきかを考え、最終的に「重くすべきだ」と判断されたのではないでしょうか。

 「5年よりも重くすべきだ」と判断された理由は、例えばこんな事実にあったかもしれません。

<本件の被害の大きさ>
・ 被害額は100万円である
・ 盗まれた100万円は弁償されていない
<動機の身勝手さ>
・ 金に困っていたとはいえ、羽振りの良い知人への妬みという感情的な理由での犯行である。
・ 「少しくらいならとっても分からないだろう」という安易な考え
<犯行態様の執拗さ>
・ わざわざ家に入り、物色までしており執拗

 いかがでしょうか。
 おそらく、「5年よりも重くすべきだ」と考えた方は、蛇庫さんの行為の悪質性や、結果の重大性に着目して、その責任が大きいと判断されたのではないでしょうか。

 前回の記事でも述べましたが、刑の重さは罪の重さであり、罪の重さは責任の大きさです。
 つまり、刑を決めるということは、被告人がやってしまったことの責任の重さを決めるということです。
 ですから、最も重要なのは、「被告人がやってしまったこと」の中身、すなわち、被告人の行為の悪質性です。
 そして、「行為の悪質性」を判断する際に重要なのは、行為それ自体の態様と、その行為から生み出された結果の重大性です。
 このように、被告人の責任の重さを判断する際に、その行為と結果を重視する考え方を、「行為責任主義」といいます。
 この考え方は、我が国の裁判実務でも広く採用されており、被告人の刑の重さを決める際には、行為態様や結果の重大性さが重視されています。

「懲役3年以下・執行猶予あり」と考えた人は…

 「懲役3年以下・執行猶予あり」と考えた人は、おそらく、「被告人にはもう1度チャンスを与えるべきだ(与えてもよい)」という点を重視して、結論を出されたのではないでしょうか。

 「もう1度チャンスを与えるべきだ(与えてもよい)」と判断された理由は、例えばこんな事実にあったかもしれません。

<被告人自身の性質>
・ 被告人に前科前歴がなく、これまで犯罪で処罰されたことはない
・ 被告人は真摯に反省し、謝罪している
・ 100万円についても弁償する意思がある旨述べている
・ 被告人は22歳とまだ若い
<被告人の再犯可能性>
・ 婚約者である太郎さんが監督を誓約している
・ 金に困っての犯行だったが、今後は太郎さんの支援が期待できる

 いかがでしょうか。
 おそらく、「もう1度チャンスを与えるべきだ(与えてもよい)」と考えた方は、蛇庫さんが未だ「悪に染まりきっている」とはいえないことや、再び犯罪を犯す可能性が低いことに着目して、結論を出されたのではないでしょうか。

 「もう1度チャンスを与えてよいかどうか」を考えるということは、「今すぐ刑務所に入れること」と「刑務所に入れず本人の自力での更生に期待する」こととを、天秤にかけるということでもあります。
 そこでは、被告人を今すぐ刑務所に入れることが、被告人自身にとって、あるいは社会にとって、本当に良いことなのかどうか、という問題意識があるといえます。

 このような問題意識を持つ立場は、被告人が再び犯罪を犯さないようにするために、刑罰をもって臨むことが本当に必要なのか?を考え、今すぐ刑罰を科さなくても再び犯罪を犯す可能性が低いといえるのなら、もう1度チャンスを与えてあげたほうがよい、という立場であるといえます。
 そして、その立場からは、被告人自身の性格や人間性、あるいは周囲の環境といった事実関係が重要になるわけです。

刑罰は何のためにあるの?

 さて、ここまで、「懲役5年以上」と考えた方と、「懲役3年以下・執行猶予あり」と考えた方の、それぞれの考え方を解きほぐしてきました。

 私は、この2つの結論の違いは、突き詰めれば、「刑罰とは何のためにあるのか?」という問いに対してどのような答えを重視するか、の立場の違いではないかと考えます。

 「懲役5年以上」と判断された方は、被告人の行為態様や結果の重大性から、その行為の責任を重視する立場です。
 刑の重さは、行為の責任に対応するものですから、まさに、刑罰は「行為に対する制裁」であるわけです。
 さらにいえば、「こんな悪質な犯罪には、厳罰をもって臨まねば示しがつかない」と考えた方もおられるでしょう。
 つまり、「こういう悪いことをすると、こんな重い刑を科されますよ」と社会に示すことで、被告人以外の人が、同様の犯罪に走るのを思いとどまらせようとするわけです。

 これらは、刑罰がもつ2つの重要な目的・機能を指摘しています。

 刑罰は、確かに、「行為に対する制裁」です。
 「目には目を、歯には歯を」という有名な言葉は、まさに刑罰のこのような側面を表現したものです。
 犯罪行為は、人の権利や利益を侵害し、社会の秩序を乱す行為なのですから、犯罪を犯した人には、それ相応の不利益が与えられるべきです。
 このような刑罰の機能を「応報」といいます。

 また、刑罰は、一定の犯罪行為に対して科されるものですから、「こういうことをするとこんな目にあうぞ」と社会に示すことになります。
 そうすることで、社会の人々に対し、犯罪行為を思いとどまらせ、犯罪を予防しようとするわけです。
 このような刑罰の機能を「一般予防」といいます。

 「懲役5年以上」と考えた方は、刑罰の目的・機能のうち、「応報」と「一般予防」を重視していたのではないでしょうか。

 他方で、「懲役3年以下・執行猶予あり」と判断された方は、被告人が再び犯罪を犯さないように、今すぐ刑務所に入れることが本当に必要か?という問題意識を重視されています。
 つまり、「被告人が再び犯罪を犯すのを予防すること」を重視し、そのための手段の1つとして刑罰をとらえ、他の手段(いったん釈放して自力で更生するチャンスを与えること)と比較検討されているのです。

 このことは、刑罰のもう1つの目的・機能を指摘しています。

 刑罰は、犯罪行為を行った被告人に対し不利益を課すことによって、被告人自身に、再び犯罪を犯すことを思いとどまらせようとするものです。
  また、現実の刑務所で行われている矯正教育や各種資格の取得なども、出所後に受刑者が再び犯罪を犯さないようにするために行われています。
 このような刑罰の機能を、「特別予防」といいます。

 「懲役3年以下・執行猶予あり」と考えた方は、刑罰の目的・機能のうち、「特別予防」を重視していたのではないでしょうか。

おわりに

 刑罰には、「応報」「一般予防」「特別予防」という3つの目的・機能があります。
 今回、みさなんには、蛇庫常子さんに対する刑を考えていただきました。
 それぞれ、結論も違えば、重視した事実関係も違うでしょう。
 しかし、共通していえるのは、みなさんがたどった思考の筋道は、「刑罰は何のためにあるのか?」というところにつながっている、ということです。

 私は、「犯罪と刑罰の均衡」を考えるとき、「刑罰は何のためにあるのか?」という問いを避けて通ることはできないと考えています。
 例えば、悲惨な殺人事件が報道されたときなどは、その被告人を死刑に処すべきかや、あるいは「死刑」という制度それ自体の是非に関する議論が起こります。
 これからそうした議論を耳にした際は、「刑罰は何のためにあるのか?」という問いを思い出してくださると、私としては大変嬉しいです。

 

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弁護士 飯田亮真 アレグロ法律事務所代表(大阪弁護士会)。ライフワークは法教育。noteでは、法教育について、私の考えたことや実践について書きたいと思っています。 Twitter: @r_messy URL: https://allegro-law.jp