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怪異 排管の中(5) 真相篇

長屋 治夫の独白

 俺の神経は活動を停止し、やがて、全ての細胞が活動を停止するだろう。その間に、一片の記憶だけが蘇ってきた。あの一月に失踪したという広岡 百合香という若い女についてだ。

 それは、心底、身も心も凍るような一月の寒い夜だった。煌々と満月の照る晩に、このアパート付近を彷徨さまよっていたのが、この女だった。この周辺の複雑に入り組んだ迷路のように、同じような形状の建物が立ち並ぶ住宅街は、時に、排他的に、よそ者の方向感覚を狂わせ、まどわせるのだ。

 だが、そもそも、これが、この女の運の尽きだったのだ。この夜、独山と二人で飲みに行った俺は、大分、酔いが回っていた。月明かりに揺られて、ナチュラルブラウンのロングコートを着た、これまた髪の長い女が、一人で、アパート前で右往左往しているのが見えた。その女は、俺たちを見付けると、人恋しかったのか、桜木町へ戻る道を唐突とうとつに尋ねてきた。

 俺たちは、何を示し合わせたわけでもないが、のらりくらりと、言い訳をしながら、部屋に地図があるから見に来ないかと誘った。長い髪の若い女は、二重のまぶたの奥にある透き通ったような瞳をクリクリと動かすと、フローラルの香りを漂わせて、俺たちに付いてきた。だが、それが、何を意味するのか、この清純派をまとったお嬢様には分からなかったらしい。

 そう、独山の部屋へと入った俺たちは、既に、欲望に餓えた狼だったのだ。狂気は、正気の意を脱して、彼女の綺麗な服を破り捨て、下着を剥ぎ取った。そして、その若い肉体の自由を奪い、全てを破壊するのに、時間は掛からなかった。

 変わる変わる俺たちは欲望の丈をその若い肉体に注ぎ続けた。それから、どのくらい経っただろうか。あの清楚で、可愛らしかった若い女は、まるで、ボロ雑巾のように、変わり果てていた。俺は、愛おしい感情がこみ上げるのを抑えられなかった。

 だが、独山の馬鹿は、違った。その欲望を吐き捨てたら、その対象も捨てるのが、当たり前だと思っていたのだ。奴は、力を失った一糸まとわぬ彼女に、突然、馬乗りになると、そのか細い首に、ゴツゴツとした両手を食い込ませ、締め上げていったのだ。

 当然、うら若き女に、抵抗できるような力は残っていなかった。唯一、彼女の長い爪だけが、独山の両手に深い傷を残した。俺は、ただ茫然ぼうぜんとそれを見守るしかできなかった。

 だが、その時、俺は見たのだ。細い首を絞められながら、彼女の眼球が、グルグルと左右逆回りで、回転するのを・・。

 それから、独山が、どのように彼女の遺体を葬ったのか。奴の狂気は俺の想像を遥かに逸脱いつだつしていたのだ。その後の出来事は思い出したくもない。

 唯一、言えるのは、彼女は、排管と生ゴミ、そして、独山の排泄物となって、消えていったという事実だ。ただ、排管や生ゴミで、どうしても処分出来なかった骨は、やむおえず、俺が、高見市に捨て行かされた。共犯という加担者として、独山は命令してきたのだ。

 そうやって、独山の独裁的な命令支配が一月から始まった。俺は下僕のようにされ、金をむしり取られ、部屋の中の物品も次々に、奪われていった。俺は、そうした独山の支配に、たまり兼ねて、遂に、高見市の一件を匿名で、警察に通報するに至ったのだ。俺は、高見市の駅から大きなゴミ袋を担いで、県境の山中に向かって歩いていく変な男を見たとだけ伝えた。

 俺が通報したのは二月上旬であったが、その間、何のニュースにもならなかったのは、おそらく裏付け捜査の必要があったからだろう。それから、捜査のメスが、このアパートに入ったのは、翌月の三月だった。

 高見市の一件から、この場所まで、警察が、どのように、結びつけていったのか、俺には分からない。だが、この時の独山の動揺は、俺の想像をはるかに超えていた。この動揺こそが、独山への疑惑となって、のちの逮捕劇に至るのである。

 独山が逮捕された理由は、奴が、彼女の爪を排管へ捨てた事から始まった。薄いピンク色のとても綺麗なネイルアートを施した爪だった。奴には、感傷に浸るような精神構造は、全く皆無のようで、平気で彼女の指から剥がして持っていたのだ。そして、時折、俺に、戦利品のように見せびらかし、罪悪感を強要する道具として使用したのだ。

 だが、捜査の手が自分に及ぶに至り、その爪をゴミとして、単純に排管に捨てたつもりだったようだ。だが、不思議なことに、その爪は、まるで、何者かの意思が介在したかのように、狭い排管内で引っかかり、その排管を詰まらせた事がきっかけとなって、発見されたのである。

 そして、聞き取り捜査の時、独山の両腕に計一〇か所の深い傷跡が目撃され、彼女の爪に付着した血液と奴の血液がDNA鑑定で一致したことが決定打となった。その後、独山の部屋の流しと排管からルミノール反応が検出され、彼女の血液型と一致し、犯行現場として、実況見分が行われた。

 独山は俺も共犯だと言い続けたが、奴はバカだった。奴は、俺の金だけでなく、物品までも、自分のものにしていたことが、むしろ、俺が独山に、犯罪加担を強要された証拠になるとは、思っても見なかっただろう。

 それは、逮捕された独山の部屋から俺の私物が多数発見されたことだ。ビデオデッキやオーディオコンポは、俺のものとしての判別し難いにしても、俺の小さい時からのアルバムや卒業アルバム。果ては、俺宛ての手紙までもが、発見されたのだ。

 だから、俺は、全ての事を一貫して、独山に強要されたと言い続けることにした。見知らぬゴミ袋を抱えて、高見市に捨てに行かされたことの事実のみを淡々と話すだけで良かった。ただ、彼女を襲い、慰みものとした事実は、酔っており、記憶に無いとシラを切り通した。

 だが、そんな卑怯な俺の人生が、いま終わろうとしている。俺の記憶が黒塗りに塗りつぶされ、全ての役割を終えた肉体は、ただの肉塊として、この部屋に放置されるだろう。暗澹あんたんとした魂が、この肉体から浮くように、離れていくのを感じる。

 しかし、目を開けた瞬間、俺は硬直した。そう、目の前には、あの女がいたのだ。長い髪の間から赤く充血した目をぐるぐると回しながら、俺を見下ろしているのだ。その笑みをたたえた唇の隙間からは、どす黒い暗黒の闇が覗いていた。


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