第二子妊娠、つわり、そして家族というもの 1

 2人目を妊娠した。
 正確には前回出産から1度流産しているので、妊娠としては3回目だけれど。
 1月下旬のことだった。今までの妊娠と同じように、生理予定日の1週間前くらいから「なにか違うな」という感覚がじわじわと芽生え始めているのを感じた。胸の張りだとか身体の熱の持ち方だとか、いつもの生理前と比べてものすごく微妙な違いなのだが、「妊娠したかもな」という曖昧な予感があった。もちろん2人目を作ることは既に夫婦で合意済みだった。わたしはバースコントロールに関してはとても生真面目な性質なのだ。
 やがて生理予定日になった。生理は来ない。翌日も、その翌日も、やっぱり来ないな……とその曖昧な感触を手繰るように日々を過ごす。1週間が過ぎ、妊娠検査薬を購入して検査をするとすぐに陽性が出た。娘の時と同じように「そんなにすぐにできるわけないよ」と斜に構えていた夫に「ほら、言った通りでしょ」と検査薬を差し出す。
 数ヶ月前に流産も経験していたから(妊娠7週での初期流産だった)、このまま妊娠が継続するかはわからない。けれど神経質で悲観的なわたしにしてはあまり思い悩むことはなかった。腹の内側のことは結局なるようにしかならないのだ。既に1人股からひねり出すという奇跡体験を経たお陰か昔よりも腹が坐っている。
 経験上、おおよそのやるべきことはわかっていた。まずは生理予定日から大体の出産予定日を割り出す。おそらく今は5週目くらい。病院に行ったとして胎児の心拍が確認できるか微妙なタイミングだ。2歳の娘を連れて何度も病院に行くのも面倒なので、ほぼ確実に心拍が確認できる7週目まで待つことにした。もし子宮外妊娠などの異常があってもその頃にわかれば大丈夫だろう。
 前回の自分の記録によると、つわりが特にひどいのは8、9週目くらいのようだ。そこまでにやらねばならないことを整理する。春には娘の幼稚園入園を控えていたので、リストアップしていた必要物を急ぎ買い集めた。いくつかのミシンでの製作物も着手しておいた(8割ほどできた頃につわりで中断となった)。それから生協の宅配の手続き。つわり中は料理はおろか買い物さえ満足にできなくなるだろうから、すぐに食べられるものが家に届くようにしておいた方がいい。さらに念のため、一時保育の空き枠の確認も。幸い今住んでいる地域は東京に比べると遥かに安価だし空きも多く利用しやすい。今は週に一度だけ利用しているけれど、体調に応じて増やしてもいいかもしれない。しばらく出歩けなくなるだろうから、体力のあるうちにと意識して娘の外遊びやお出かけの機会を増やした。天気さえ良ければ、2月の寒空の下をえんえんと2人で散歩し続けた。あとは家の中で気になっている箇所の片付けもしておかなくては。
 迫り来る「つわり到来」に向けて、どこか追われているような、それでもくすぐったいような気分で過ごしていた。前回とは違って娘がいて、つわりはもちろんお腹が大きくなってからの娘との生活は今よりも大変だろうし、無事にお腹の子が育って産まれて来たらその比ではない大忙しの日々が待っている。想像するだけでげんなりするし、また頭がおかしくなるかもしれないし、1年くらいは育児に必死でまた自分の洋服だの楽しみだののことを考える余裕もなくなって夫にも当たり散らし家庭内の空気も殺伐とするかもしれない。いや、次は2人いるから1年では済まないかも……。娘の赤ちゃん返りも想定されるし、赤ちゃんのお世話で余裕がなくなり娘にも我慢をさせたり辛く当たってしまうかもしれない。いや、ほぼ確実にそうなる(悲観的)。要領も悪ければ体力も根性もない、2人育児をうまくやっていく自信なんか実は微塵もない。なのに産むのか。そうなのだ。なんでなんだろう。
 それでも、そういう悲観的な予想とまったく並立して、お腹に新しい生命が存在しているという手応えは不思議なくらい心をむずむずさせた。何か新しいものが、この身体の内側で始まろうとしているのだ。ふとした瞬間にその予感に高揚している自分に気がついた。娘の妊娠がわかったときは不安の方がずっと大きかったのに。
 そういう話を夫にすると、「もちろんすごく嬉しいけど、1人目のときみたいなうわーっていう感動はないよね」と返ってきた。確かに1人目妊娠の感動と衝撃は大きかった(本当に赤ちゃんってできるんだ! というやつ)し、ごく正直な感想なんだろう。それを口にすることの是非はともかくとして間違っちゃいない。が、「感動はなくてもわたしが腹で育ててつわりだの腹の重たさだのその他諸々のトラブルを経験するのは同じだし(前回あなたはほぼ単身赴任状態で居なかったからよく知らないかもしれないけど)、今回は娘もいるから難易度も上がるし、いろいろ手伝ってほしいし労ってほしい」とわたしも努めて中立的に正直に返答すると「それはそうだろうね、わかった」と返答が来た。2人目の子作りに当たってもわたしは散々「産まれれば確実に負担は増える。育児も家事も、このままの生活ができると思わないでほしい。わたしの方が変化が大きいのは仕方がないとして、わたしに任せっきりでおしまい、にだけはしないで。そうじゃないと孕む気にはならない」と宣言していたので、嫌という程わかっていたのだろう。しかし「キツイ時はもちろん手伝うけど、妊婦であることに必要以上に甘えてやらなくなるのはやめてね」と言われ、相当ムカついたもののそれは抑えて「まあ2人目で妊娠自体への不安は少ないし、そこは前よりも頑張るよ」と答えた。赤ちゃんがもはやドリーミーな存在ではなくなった今回、1人目よりも飽くまで現実的に夫婦間のコトは進む。

 7週目に入ると徐々に体調に変化が出てきた。普段通りにワンオペをこなしていると、夕食後には腹痛と疲労でぐったりしてしまい、1時間ほど横にならないと動けない。それからどうにか娘をお風呂に入れて寝かしつける。それまでは夕食後すぐに食器の片付けを済ませていたけれど、寝かしつけのあとにするようになった。でもまだどうにかワンオペでやれていた。夫の仕事が忙しい時期なのもわかっていたので、とりあえずギリギリまで手伝ってもらうつもりはなかった。甘えるなと言われたのもあり、妊婦の意地である。食欲にも特に変化はなく本格的なつわりはまだ来ていなかった。
 その頃、ようやく病院に行き心拍確認ができた。白黒画面にぼんやりと黒い空洞(子宮)がうつり、その中の白い一点がぴこぴこと点滅している。胎児の心臓が動いているのだ。ああ、数ミリしかないくらい小さいのにもう心臓があるんだ。不思議だなぁ……。身体の内側からぐわっと高揚感がやって来る。嬉しい、によく似ているけれど、少し違う。「自分の意志ではどうしたって作れないはずの複雑で精緻な生命の端緒を身の内に宿していることへの畏敬の念」といっていいくらいのものだ。娘のときにもやっぱりそんな風に感じた。子宮外妊娠もしていないし、卵巣の腫れもなく子宮もきれいですね、と医師に言われてほっとする。
 久しぶりにあの面白い内診台にも乗った。男性は知る由もないことだが、内診用の椅子というものがこの世には存在している(わたしが知っているものはどれも淡いピンク色をした合皮張りだ。とにかく全部が全部)。下着を脱いでそれに腰掛けると、ぐいーんと90度横に回転しながら背もたれが倒れ、足の部分が2つにぱかっと分かれる仕組みになっている。腰のあたりにちょうどカーテンがかかり医師と直接顔を合わせないようにはなっているが、ものすごい体勢で局部があからさまにされるのだ。お腹が大きくなってくる13週あたりからは経腹エコーといい、お腹にエコー装置を当てて赤ちゃんの様子が見られるようになる。ドラマなどで見るのはこちらなので、初めて経膣エコーを受けた時は本当に衝撃だった。今までの人生、婦人科とは縁がなかったからこんなものがあるなんて知らなかった。普通の生活ではあり得ないことだ。尊厳そのものが音を立ててごりごり削られていく。男性が痔の治療を受けるとこの気持ちが多少はわかるかもしれない(実父が経験済)。カーテンの向こう側で医師がエコーカメラのついた棒を局部に挿入する。この感覚は経産婦であっても、何度やっても慣れない。膣内の圧迫感と少しの痛み。かたわらで事態がよくわからず所在無げに立っている2歳の娘を見つめ、無理やり笑顔を作って耐えた。
 前回の妊娠時に通っていた病院ではおじいちゃん先生の相当適当な診察に心底うんざりしていたのだが(今思い返してもひどい病院だった。いつか書きたい)、今回の医師は女性で、フランクな言葉の端々に親切なあたたかみが感じられてほっとした。「前回はどんどん体重が増えたみたいだけど、前よりも3年分お姉さんになってるんだし、今回はちょっと気をつけてね」とやさしい表現で釘を刺される。はい。
 診察の後は看護師さんから色々な書類を渡される。まずは妊娠証明書。これを持って、次の検診までに保健管理センターで母子手帳を取りに行かなければならない。それから妊娠初期、中期、後期にある血液検査など各種検査およびそれにかかる費用についての説明用紙、またその検査の同意書など。こうなると妊娠が一気に現実の世界に根を下ろし始める。
 1週間後、娘を一時保育に預けている間に母子手帳をもらいに行った。さあこれであなたも妊婦の仲間入りです、という責任のようなものがついにかたちになって目の前に現れた感じ、これもまた久しぶりだった。
 そしてつわりがやってきた。


 

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