みやら史野
鳥居になんかいっぱいぶらさげてあーのが車で通って見えてしめ縄に見えんで「えっ?」ってなったけどそのまんまもうあの道はめったに通らんし夕暮れでよくわからんかったし確かめられん、束ねた草か花か、稲だろか、そげなかんじの束ねた長いもんがいくつも提げてあってそれか長く切れんようにむいた渋柿の皮の束ねたやつか、ここらきて初めて見た干し柿は干し柿でフツーだけどむいたあとの皮をでっかいでっかいミノムシみたいに束ねて吊り下げちょるあれはなんだろって何年も思っちょる、鳥居になんかいっぱいぶらさ
発行:2023年1月22日 一刷 2022年11月~12月に note で書いてたやつから選んで、改稿してまとめた 小説で日記がかけるかな? という試み 近所の友だちひとりと、そのこのツイッターのフォロワーさんがひとりおもしろがって読んでくれて嬉しかった セブンイレブンで小分けに小冊子印刷してホチキスした本文と、カラー印刷したジャケットに厚紙とプラ板を貼ったものを、ボンドで固めた
発行:2022年12月11日(日) この日に京都市内で開かれた「そこの路地入ったとこ文庫 ミニ回」で並べてもらったコピー本(原稿をコンビニでコピーしてホチキス止めした冊子) 友だちのサークル「あまやどり」にあまやどりさせてもらっての参加 デジタルで原稿を作れなくて文字をぜんぶ手書きにした 写真は制作時に自分で撮ったもので賄った
発行:2023年1月22日 第二版 2022年の4月15日に書き終わったやつ 精神分析の本を読みだしてコーフンして、あーどうやったら小説でセルフで自分を分析できるかな…と考えながら過ごしたひと冬の書き跡 結果ほとんど精神分析的ではない まだまだ勉強中 自分のかくのに臨床心理学が必要ということはわかった 初版は春に書き終わったものを自分用に小冊子印刷してくり返し読んだバージョン 今回の冊子の体裁に合わせて本文をわりと短くしたので第二版 セブンイレブンで小分けに小冊子印刷し
発行:2021年9月30日 初版 2023年1月22日 二版 短いのを5つ収録 初出は、 #1 note にて 「題名はあとからつける #5」として 2021.6.15 公開 #2 note にて 「題名はあとからつける #6」として 2021.6.22 公開 #3 書き下ろし #4 note にて 「題名はあとからつける #8」として 2021.6.27 公開 #5 note にて 「延々と承」として 2021.7
発行:2021年9月30日 初版 2023年1月22日 改版 2020年の12月31日に書き終わったやつ 小説がかけるようになって一年目で、最後までかけたふたつめ 改版は、今回の冊子の形式に合うように体裁をそろえた程度 かいてる自分が登場人物としゃべりながら、登場人物たちの様子を映画を撮るみたいにかいて、撮れたのをみながら思うこともかいていった セブンイレブンで小分けに小冊子印刷してホチキスした本文と、カラー印刷したジャケットに厚紙とプラ板を貼ったものを、ボンドで固
1974年 鳥取県うまれ 自主映画を経て2020年から散文 https://katadorihanpu.blog.jp/ histfiel@gmail.com
冬の歌はイースタンユース ♬ まるで、踊りだすよな足並みで、長ーい坂道かけおりる、おれを呼ぶのは誰なんだろ? 冬のにおいと白樺並木、靴音と連れ立って、ポケットからおれは手を出せないでいる、ぶらさがった凧の残骸が冬んなってわびしく揺れている、突っ立っている魂、雲がうつくしい、息が白めば色彩が突き刺さる、押し黙る魂、雪を待っている、摂氏零度に色が弾ける、ありふれた色でいいんだ、心の底の底まで イースタンユースが色を見ている あたしもいっしょに色を見ている 冬に快晴で透き通るの
昨日の朝に心にとどめた画をここに移そうと思ってちょっと描いてみたけどおかしいと思う、 コンクリートで白い巨大なすべり台みたいな急な坂が純喫茶の店内にあるところを見た、まずあんたの目線から、次いで横から全体を一望した、あんたが連れの男とあの辺りにおるのを目の端にとらえるくらいに離れたとっからカメラで狙うみたいに見た画が心にとどめてあっていま見える、なんだこれ、 これっていつとどめた画? あんたがあの知らん男と、初対面の誰かもわからん怪しい男と、ゲームマスターみたいな存在からあて
猪木落語の猪木まんじゅうこわいでみんな猪木のとき猪木はなにを演じてるんだろう、噺家は演じてるとき自分しかおらん、客とエチュードするわけじゃないし客と演じるわけじゃない、自分と自分で演じながら自分Aと自分Bがやりとりする、お互いの相互作用で受けつ投げつしながらやったりとったり、A六輔とB六輔はなにがちがうんだっけ、永六輔より七輔の方がゆっくりしゃべる、んでF1輔は速い、えっと落語の話だった、噺家はマクラんときは自分Aと客との間に関係をもってしゃべる、噺に入ると、何人かを演じるが
言語は人間にとってウイルスだろうか、それとも食物だろうか どっちって思ったらよりおもしろいか 言語はそれ自体では増えることができない、だからウイルスだ、として ゲンゴウイルスは人間を宿主とする 人間の視覚、聴覚、あるいは触覚を通じて感染し、宿主に内在する知識や経験、記憶、知能などを用いて増殖、変異する 宿主の発語などにより外部へ排出され、新たな感染を引き起こす あるいは発語などによらない宿主の立ち居振る舞いを感知した別の人間になんらかの思考・感情・感覚・直観を発生させるこ
ぼくが小説を書きたいと思い始めたのは十代半ばでした。読書家ではありませんでしたが周りの同級生よりはよく本を読んでいたと思います。登場人物やセリフやシーンの断片を思いついてはノートに書き留めましたが、ひとつの作品を最初から最後まで通して書けたことはありませんでした。エッセイのようなものや感想文はいくつも書いて友だちや先生に読んでもらいました。二十代でも三十代でも小説が書きたい、書けるようになりたいと思って、何度も何度も書きだしては最後まで書ききることができず、長いこと書きあぐね
6才を自転車に乗っけて紺色の制帽はゴムがのびのびで今日には替えよう、風が強い日で朽葉色の葉っぱが吹かれてはがれて舞い落ちるたくさん「みて! はらはら、きれー」こげな色を光をずっと見ちょる秋がオマエを呼びたくなる、ヨウジー、おーい、 「お テメエ、まだ生きてんのか!」 嬉しそーだな、ゴキゲンだな 「みろよ」 ナンキンハゼがだいぶ赤くなって実は白くなって 「かわいーなあ」 かわいーとかゆーのか 「かわいーだろーがよ かわいげがあるだろ」 しろくてまるいナンキンハゼの実が鈴なりで烏
歌の中の「君」とあたしに共通なところがたくさんあるように期待して聴いてちがうと、受け入れられないと思うところをひっかかりにして探っていけばなんか変わるかもしれんと話しあった 「悲しいほど無防備」じゃないってあんたは思ったけど、それは今はそーかもせんけど若いときは、ああほら思い出すだろいまでも、いまんなってちょくちょく、子どもがおっきくなってきて無防備でヤバイって感じるのは自分がそーだったけんじゃないかな 自分が無防備だなんてそんときは思わんかった気づかんかった、十分に、
食器棚の中の取りやすい位置をちょっと空けた 食器じゃなくて本をそこに置いちょくために 食器の横にその日に読む本をさしちょく 読める時間を積み増すためと、しゃべるきっかけ作りのため 「やっくん、なに読んぢょるの? えーなにキリスト教? なんで?」 スマホは覗かれんけど本は覗かれえ 子どもんときの学校の教室を思いだした あんたも あんたも覗いた 「なんの本?」 なんだったっけ 思い出してごす? なんだったっけ教室で ここに出入りしちょる人にキリスト者はたぶんおらん 「いっつも
子どものころすごく好きになってまだきいてるよって音楽が心にどう跡残ってるか、言葉を連ねて押し広げてこ、ブーストして、あちこち経巡って考えろ 雲が白くおっきくなったら草の丈ものびたら口遊みはじめる「夏が来て僕等」から最後までまだぜんぶ歌えたとか子どもみたいにまだ、は夏の間のことで9月がゆっくり過ぎてってる終わりそう 8月が終わってから急に伸びたまっすぐな手の切れそうな金色銀色が高くなって昨日も今日もすごいと思ってみとれた サルスベリからハギ、ハギからヒガンバナ、ヒガンバナもも