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相模原事件について介護職だった自分が当時思ったこと(下)

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今回は、ちょっと感情的に受け付けないだろう部分があると思います。介護士として働いていた時感じた率直な思いも含めて書いているからです。

介護職に就いた理由

 上、中と書いてきた事が介護とは関係ない話でしたが、今回で、ようやく介護職の話をします。僕が介護に転職したのは、新卒の会社があまりにブラックだった事、そして奨学金返済をするためでした。介護職というと、給料が安い、休みが少ない、いわゆる「3K」という話をよく聞きますが、実は奨学金の返済をするには良かったのです。大きく3つ理由があります。

 1つは、実家から通える事

 2つ目は、倫理的に悪いことはしない事

 3つ目は、職場の人間関係が良かった事

 この3つです。今の時代、仮に給料が良くても、プレッシャーがすごかったり、勤務時間が長すぎたりしたら、それこそ命取りの側面があります。倫理的にアコギな事をすれば、心を壊してしまいます。安定した生活習慣ができ、人間関係もよく、実家から通って家賃などの生活費を浮かせる事ができれば、貯金を奨学金の返済に充てる事ができるのです。しかも、介護職を経験すれば、最悪、辞めた後も転職先は多いという打算もありました。未経験で入って、職歴が出来るのは素晴らしい事だと思いました。

 僕が勤めた先は、地域で自立生活を送っている重度障害者をサポートする団体でした。僕はそこで重度訪問介助職として働きました。僕はそれまで障害者の方とお会いする機会のほぼない生活を送ってきました。あっても先天性の障害を抱える方を特別学級で見たことと、農場の仕事をしていた時に体験のために精神障害を抱える方がいらっしゃった時くらいでした。身体障害を患った方、ましてや重度障害者という、重い身体障害を患い寝たきりで生活されている方にお会いするのは、この仕事に就いて初めてのことでした。

障害を持つ利用者さんに対し、最初に感じた感情は、「嫉妬」

 初めて在宅訪問し、利用者さんの暮らしに入る中で、最初に感じた感情は、自分でも本当に驚いたことに「嫉妬」でした。障害者に対する衝撃とかではなくて、嫉妬を覚えた自分に対する衝撃が大きかったのです。

 僕が関わった利用者さんは、自分で働いた収益や貯金を含むものの、生活保護費などの税金で生活されています。頚椎損傷のように神経が機能しなくなってしまっている方は、体温調節ができないので、床暖房を含めた冷暖房を完備した状態が必要不可欠です。そうした光熱費も保障されています。さらに、みんなかかりつけ医が居て、相談体制が整っているし、訪問看護、医療の体制もあります。入院中も介護者の介護を受けられています。もちろん、健常者とは比較にならないほど、病気にかかりやすい上に、重症化しやすい利用者さんにとって、そうした医療体制は、地域で暮らす上で必要不可欠なサポートなのです。しかしながら、それを見た時、彼らの生活は省みられ、保障され、大事にされていると思ってしまったのです。 

 利用者さんが趣味を始めたとき、喜んでくれる人がいる。例えば、利用している事務所の人、訪問看護・医療のスタッフなど生活に関わっている人が喜んでくれるのです。僕が新卒で働いた会社では、「趣味に時間を割きたければ、もっと働いて稼いでからにしろ!」って言われたのと大違いでした。管理職の人は、趣味がフットサルなのですが、趣味に費やせるお金、時間の確保も難しかったり、冷蔵庫とテレビが壊れても買い替えも難しい状態だったのです。

働いて税金を納めている人が苦しい生活をしているのに!

と素直に思ったのをよく覚えています。

 地域で自立生活をされる障害者の方の生活の原資には、自分で働いて稼いだお金もある場合があるものの、当然社会保障費から賄われたお金もあります。それで生活できて、人に囲まれて、趣味も楽しめる姿に、いけないとは思うものの、嫉妬の念を禁じ得なかったのです。

 そして、生活をする上で、多くの支えが必要になって、お金も労力もかかるだろうなと率直に思ったのです。「コストでしか人の人生を捉える事ができない」、自身の発想の貧困さを突きつけられました。間違いなく精神的にも満たされていないから、他者の幸福を喜べない状態だったのだと思います。介助を仕事にする、弱者の立場にある人を支えるためには、自身が社会的、身体的、精神的に満たされている事が求められるとかつて上司から言われましたが、当時の僕は、今と比べて非常に欠けたものがあったのです。

 障害を抱える当事者の方は、生活が保障されたとしても、身体的な不都合から逃れることはできないし、社会参加にも困難が生じるのです。結果、精神的にも抑圧されてしまうのです。だから、そうした抑圧がなく生きられる社会にするために、寄り添う事が必要なのですが、当時の僕には、寄り添う事が出来ないでいました。

嫉妬だけではない、「自分はあんな状態になってまで生きたくない」という気持ち

 そして、これも素直に白状しなければならない話ですが、初めて障害当事者の方と相対した時、「この状態で生きるのは、苦しいだろうな。」と相手が不幸な状態にあると勝手に決めつけてしまったのです。本当に傲慢な態度だと思いますし、こうした態度が障害者の方を抑圧するのだと反省することしきりなのですが、

 一番思ったのは、排泄に関する事でした。寝たきりになって生活を続けると、排泄がうまくいかなくなるんです。尿も便もどちらもです。どちらも自分でコントロールすることはできないから、意図せず入浴中に放尿・排便してしまうことはしばしばあったのです。浴室での大便を処理しなければならなかった時は、衝撃的でしたが、障害者の方からすると、それが普通の日常なのです。

 寝たきりが続いていると、放尿のコントロールが難しいので、管を尿道に挿して膀胱に入れている方もいらっしゃいます。この管の交換の時、ミスが発生して、大量出血したりなど、健常者の生活では考えられない事が実際にあるのです。

 入職1ヶ月、介護をする中で、「自分だったら、こんな生活耐えられないだろうな」と強く思うようになった事から、安楽死の導入の必要性まで考えるようになっていました。最近でもALSを患った女性の自殺のため、薬物を投与した医師の事件がありましたが、あの医師達は、正義感に似た感覚を持っていたと思います。やはり、安楽死の導入は待った無しなのではと、半ば正義感にも似た感情から思うようになったのを鮮明に覚えています。医師かつ政治家として、「安楽死協会」の発足や「優生保護法」の成立に尽力した太田典礼に興味を持ち始めたのもこの頃でした。

 太田典礼の意見は、下記に引用したものから踏まえると、人間であるか人間でないかを健常者である立場から、どこかで線引きする態度や、生産性と言ったわかりやすい貢献度で人間の価値を規定する態度が見えます。

<引用元>

太田典礼小論――安楽死思想の彼岸と此岸――(2015/12/22)

大谷いづみ『死生学研究』(東京大学人文社会系研科, 2005/03/25)より

「ドライないい方をすれば、もはや社会的に活動もできず、何の役にも立たなくなって生きているのは、社会的罪悪であり、その報いが、孤独である、と私は思う。」(太田典礼の老人に対する意見)
「……このようにひどい老人ボケなど明らかに意志能力を失っているものも少なくないが、どの程度ボケたら人間扱いしなくてよいか、線をひくのがむずかしいし、これは精神薄弱者やひどい精神病者にもいえることですが、むずかしいからといって放っておいてよいものでしょうか。……
 この半人間の実態はどこでもあいまいなままにされているが、是非明らかにしてもらいたいものです。……人間の形だけしておれば人間なのか、そのためまともな人権が侵害されることになるのをどう考えるか、どちらの人権が尊重されるべきか、もっと公正に論じて対策を立てるべきではないでしょうか。人権の過剰保護にならないように民主主義の立場から、人権審査委員会のようなものをつくって、公民権の一時停止処分などを規定すべきではないか、と考えます。」

 流石にこの意見には絶対賛同できないのですが、この当時、終末期医療のこととか考えた時、安楽死は否定しきれないなあと思った記憶があります。自分が管だらけになって、胃ろうになったらとか、排泄もできないで苦しむのは怖いとか考えました。多分、この意見を持たれる方は少なくないかと思います。

 ただ、今考えると、恐ろしいのですが、健常者の立場から、障害者の人を見て、彼らの人生を勝手に不幸だと決めつけるスタンスが自分の中にあるなと思いました。確かに障害のある生活は苦しい事も多いと思いますが、そういう時に誰かが寄り添ってくれたりするだけで、人生の感じ方は違うと思うのです。介助者としては、利用者の方がそういう苦しい思いを少しでも減らせるように関わっていく意識を持って関わろうとする姿勢が求められると思いますが、入職1ヶ月の段階では、とてもそうは思えず、ただ苦痛に怯えるばかりでした。

介護職として勤務して2ヶ月が経過する頃、茨城県の教育委員長が障害児の出産を巡る発言をする

 ちょうど、僕が勤務開始して2ヶ月後に、茨城県の長谷川智恵子教育委員長が特別支援学校を視察した時言った発言が問題になりました。

「妊娠初期にもっと(障害の有無が)わかるようにできないのか。(教職員も)すごい人数が従事しており、大変な予算だろうと思う」
「意識改革しないと。技術で(障害の有無が)わかれば一番いい。生まれてきてからじゃ本当に大変」
「茨城県では減らしていける方向になったらいい」

 以上の長谷川氏の発言に対し、橋本知事も「問題はない」という見解を示したとのこと。

 彼女がした発言は、危険な発言であり、なぜ問題なのかという点について僕なりに思う意見を後述したいのですが、この報道がされた時、僕は、長谷川氏がそう発言するのも想像に難くなかったのです。これは彼女の人格の問題というのではなく、彼女の立場が行政側で、限られた予算でどういうことをするか考える立場だったからこその発言だったのではないかと思いました。

「これだけ人手が出て、予算の支出もかかるの!?生きるだけでも大変なのに!?綺麗事言っていられない!生まれる数が増えたら、大変。」

と率直に思ったんじゃないかなと。とりわけ、今人口減少社会で、日本は借金が増えて、経済成長率も低く、実質賃金は下がり続けるという不況感を感じている中で、人手もお金も必要になる障害者福祉にお金を割いて良いものかと思ってしまったのではないかと推測しています。 

 現在、長谷川氏は辞任されているそうですが、当然だったと思います。彼女の発言は、憲法にも抵触する内容だったと個人的には思います。まず、大前提として立たなければならないと思うのは、彼女は行政を実行する立場であり、憲法26条で規定されている通り、市民の教育を受ける権利を保証する役割があるにも関わらず、障害を抱える人の教育に必要な体制を整えるという事に消極的な態度を露呈させた事。もっと悪かったのは、「生まれさせないようにする」という障害のある子の生存権を脅かす発言をしてしまった事です。障害児は生まれない方がいいという政治側のメッセージは、障害のある方だけでなく、障害のある子の保護者にも、圧力のあるものであったと思います。

 こうした機会に社会、とりわけ政治側の障害者に対する意識って出てくるなあと痛感した一件でした。今でも、こうやって覚えているのだから、なかなか衝撃の大きい一件だったと思います。あの時、長谷川氏は批判もされましたが、社会の中には、長谷川氏のいう事もわかるという意見も多かったのではないかと推測しています。僕も悲しいかな、実際社会保障費どうしようとか、本当に維持できるのかなとか、漠然と不安になりました。

 余談ですが、京都大学の諸富徹先生の本を読むようになって財政について考えるようになったのも、この件の後でした。

https://www.amazon.co.jp/財政と現代の経済社会-放送大学教材-諸富-徹/dp/4595319495/ref=sr_1_10?dchild=1&qid=1596273233&s=books&sr=1-10

 放送大学を見てて、持続可能な社会のための財政を訴えていらっしゃるなあと思って、興味を持ったのがキッカケで、わからない事も多いながら、通勤時間などに読んでいました。

「障害は苦労しか生まない」、「障害者自身も生きるの大変だろう」という発想

 あと、仕事を始めて、割とすぐ、「障害のある人がもし、家庭にいたら大変だ」という思いが生まれたのです。

 例えば衛生面。車いすで生活すると、やっぱり室内は土足並みに汚れます。気になる人は本当に気になるでしょう。人によりますが、むせたり食べこぼしがしょっちゅうで、床がベタベタになったり、臭いもします。排泄も特殊で、ベッドの上で尿瓶を使って尿をしてて、時々漏れ出るなどしょっちゅうあります。

 そして、強く言えることですが、ヘルパーを入れないで、ご家族だけで介助されている方は、想像を絶する苦労をされているだろうと想像が働くのです。これは介助する側もそうですが、される側もそうだと思います。介助する側は、自分の時間を持つ事が難しく、休まる時間がなかなか無いです。夜間も起きないといけない事が度々あるでしょう。一方、介助されている側も介助する側の事を考えて、自分の感情を押さえ込んで我慢する事が多くなると思うのです。

 僕なんて週のうち1枠入って、終われば帰れる上に、給料出ているから出来るけれど、これを無給でずっとなんて考えたら、恐ろしいです。僕には耐えられない。

 こう考えていったら、障害のある人がいたら、「苦労しか生まない」、障害当事者も「生きてても苦しいだろう」とか考え始めてしまったのです。僕は激しく自分を嫌悪しました。確かに、障害者の介助をしていて、率直に感じる一側面だというのは間違いないと思うのですが、自分がそういう発想しかできない事実がとても苦しかったのをよく覚えています。介助に入っていて、障害のある方にネガティブな感情が湧き上がってしまって、抑えがきかなくなるのではと怖くなりました。

「弱者」を自称する障害を抱えた利用者さんが、「”弱者”を笠に着た”強者”」の姿をしているように見えた

 勤務して、そろそろ1年が経とうとしている時、ある利用者さんと揉めた事がありました。その方は人生の途中で障害を負い、寝たきりになった、いわゆる中途障害を負われた方でした。年齢も還暦を迎える年だったので、僕とは世代がふた回り違うのです。その方が健常者だった頃は、バリバリ仕事を頑張っていらっしゃったらしく、労働に対する価値観も厳しく、基本的に要求や言い方も厳しめな方でした。20代の僕と話す時は、ご自身が20代だった時の価値観を元に話されるので、時代感覚が違うのです。生きた時代が違うと、当時通用していた事が通用しないとか、逆もまた然りですが、とにかく、コミュニーケーションが難しいのです。

 ある時、その方が世間話がてら話し掛けてきました。

「キミ、今一人暮らし?」

「いえ、今はまだ実家暮らしです。」

「一人暮らし、しないの?」

「まあ、見通しが立てば・・・」

「できんだろ!一人暮らしくらい!キミも良い大人なんだ!一人暮らししないでどうするんだ!」

これには随分返答が困りました。僕が奨学金の返済に苦労している旨を説明しようにも、その方の生きた時代では、ほとんどの人が高卒で就職を経験されているのです。その方も高卒で仕事をされていたし、大学に行く意味も見出せないとおっしゃる方でした。当時を生きた方からすると、高い学費を払って、大学に行く意味も見出せないのは無理もないです。悲しいかな、大学全入時代である今の時代の価値観でも大学に行く意味が弱くなっている側面は否定できないのです。大学で学んだ事が職業に直結するというわけではないし(職業に役立つことを学ぶのが大学ではないという思いですが)、大学を通して得られたことは、学歴だけという人も少なくないと思うのです。ですから、

「なんで大学なんて行ったの?勉強になった?役に立った?」

って言われると、答えに窮するのです(実際その方から言われた事は幾度もありました)。僕個人としては行く意味は大いにあったと思っているのですが、それも説明が難しいし・・・と考えた結果、

「ちょっと、お金に困っていまして。」

というのが精一杯でした。すると、

「何言ってんだ!貧乏を楽しむくらいじゃないとダメだ!」

と言われた時、僕は何も言い返せなくなってしまいました。論破されたという感覚ではなく、この人に何を言ってもなあという感覚になってしまったのです。でも、僕は違和感を自分の中に覚えました。この利用者さんのようなことは、おじさんだったら頻繁に言うセリフだと思うのです。実際言われた事ありますし。しかし、この利用者さんに言われた時、健常者の人に言われた時以上に強い反感を覚えたのが印象的だったのです。恐らく、税金で生活している人に言われたくないという気持ちだと思うのですが。

 さらに、しばらくした後、服の着替えの時、僕が少し手間取ってしまって、その方に負担がかかってしまったのです。その時、その利用者さんは、

「おい、痛いよ!キミはわかんないかもしれないけどなあ!俺は弱者なんだ!俺の立場になって想像力働かせないでどうするんだ!」

と激昂され、そのまま、30分くらい説教されてしまいました。

「お前は健常者で”強者”だからわからないかもしれないが、それじゃダメだ。俺たち”弱者”の立場への想像力が無くて、お前の仕事は務まらないんだ。」

「思いやりだよ、思いやり、わかる?思いやり!」

 終始こんな感じで30分だったのですが、僕の中で何かがプッツンと切れた音がしました。その時、僕の目の前にいた利用者さんは、「守るべき”弱者”」ではなく、「”弱者”の姿を傘に来た”強者”」の姿をしていました。内心血の気がサーっと引く感じの怒りがあったものの、黙って僕は説教を聞きましたが。ただ、あの日から自分の気持ちがおかしくなって、仕事に行くのが怖くなりました。そこで、2ヶ月後、数日間の有給を取ることにしたのです。

疲れて有給で休んでいた時、ついに相模原事件が起きる

 有給を取って、ゆっくり休んで気持ちを整理しようとしていた時、ついにあの相模原障害者施設殺傷事件が起きたのです。容疑者の植松聖は元施設職員で、奇しくも同い年。運送会社からやまゆり園へと転職。しかも、逮捕された植松被告は、「障害者は不幸を生み出す事しかできない」と発言していました。あらゆる点で自分と通じてしまうものを感じ取りました。福祉に転職して、同い年、「障害者は不幸を生み出す事しかできない」というわけではないけれど、自分の中にも差別的思想があるのを否定する事は出来なかったからです。

 彼は、自民党衆議院議長大島理森議員に手紙を送っていますが、政治側が自分に味方してくれると思って、あの手紙を出している事から、正義だと思ってやっているのでしょう。義憤に駆られている上に、権力に自分を肯定してもらいたいという切実な思いすら伺える行動だと感じました。ここで政治権力側は、反省しなければならないと思います。少なくとも、政治権力は、障害者を無くす事を肯定するだろうというメッセージを日頃から発信していることの表れだからです。

 彼の犯罪には、「自分はこんなにすごい事が出来る」、「みんな思っててもやれないことを俺はやれる」ということを示したようにも見えました。奥田知志牧師も指摘しています。

<引用元>

神戸金史『殺人実行者との対話 記者として、 障害児の父として(後編②)』

当時26歳の若者が、この社会において、仕事をしないで存在し続けるというのは、それは相当なプレッシャーがかかる。そんな中で、彼は非常に誤った結果を、自らの論理で組み立てちゃっているわけです。つまり、「自分は役立つ存在だ」「意味がない命ではない」という存在証明を、ある意味、あの事件に込めてしまったのではないか。
だから彼は胸を張って、衆院議長に「自分を派遣しろ」「国家の言わばミッションとしてやらせてくれ」と書いた。それは「日本と世界の経済を救うためだ」と。そこでは〝生産性の圧力〟というものが、加害・被害関係を巻き込む形で、渦を巻いている、と感じました。

 この指摘は、本当に納得のいくもので、多くの人たちかはわかりませんが、少なくとも僕は、生産性や競争力のある無しで人間としての価値が査定されている感覚を余儀なくされているように感じています。そうさせる空気は至るところにあるし、先の茨城県の教育委員長の発言にも出ています。

相模原事件より前から浮き彫りになっていたと思う、”命の重さ”

 相模原事件が起きる約半年前の2016年1月には軽井沢バス事故がありましたが、この時、亡くなられた学生の中で、高学歴で、良いところに内定が決まっている学生カップルがいて、その死を重く取り上げた報道がなされました。すると、ネットでは、

「これは俺たちより重い命だ」

「俺が代わりに死ねば誰も悲しまなかった」

という声が散見されるのを目の当たりにしました。正直、あのバス事故の報道を見た時、僕自身同じことを思いました。

「あの事件は運転手を含め、多くの人が犠牲になった事件だけど、マスコミは、あのカップルの死ばかりを取り上げる。命に優劣があるかのような報道だ。こうした報道姿勢を見ていると、僕の命も軽く扱われるんだろうな。彼女もいないし、大した学歴、職歴じゃない。あるのは奨学金という借金くらいの男の死なんて、家族に迷惑かけただけだくらいの扱いだろう。」

当時の日記にそう書いていました。自分を含めて、多くの人が、自分自身の命すら”軽い”と思わされている、本当は”生きたい”、”生きていて良いと言われたい”という思いを持っているのにも関わらず・・・

 そんなことを考えずにはいられません。植松被告は死刑判決が出ましたが、それで終わりだとは到底思えません。彼が犯行に至るに至ったのは、そうさせる社会の圧力があったのではないか、彼が辛いと言える場所はなかったのか。どれだけ社会的にうまく行っていなかったとしても、何とか自分を励まして前を向いていくキッカケが無かったのかと思わずにはいられません。今、日本の多くの人が自分自身の尊厳の危機にあるのではないでしょうか。

尊厳を取り戻すために

 僕は、人間の歴史を振り返るとえげつない事の積み重ねだなあとつくづく思いますし、根本的に良い生き物ではないのかもしれないと思いつつ、過去を振り返り、反省しながら、理想を描いて、前に進めると信じています。介護の仕事をしていた時、事務所の代表がおっしゃっていました。

「人間、時にくじけて、道をそれる事もある。でも、情熱を持って、それた道を正しながら、前に進む事ができる。」

 本当にその通りだと思いました。植松被告は、あの犯行の前に自分を正す事が出来ないまま、事件を起こしてしまった。そこが一番の問題なんじゃないかなと思います。

 では、どうしたら良いのかなと言うと、大それたことは言えないのですが、まず、「自分の辛さを語ることを許すこと」だと思っています。思うに、僕は、何度も介護を辞めたいと思いながら、4年続けるにあたって、大きかったのは、「自分の辛さを語ることを許されていた」事が大きかったのです。

 今、学校に入っても、会社に入っても、「自分の辛さ」を言える場ってどのくらいありますか?成績良くないと認めてもらえなかったり、酷い時は、良い成績取っても認めてもらえないなんて人もいるのではないでしょうか。成績だけじゃなく、友達が多いとか、付き合っている相手が誰だとか、そうした対人関係属性が自己肯定できるかに大きく起因していないでしょうか。

 ネットでしか悩み相談できないと思って、書き込みをしても、酷い書き込みをされて傷ついたり、自分の抱えた思いを吐き出せないまま、不幸感を抱えたまま、自分を責めるだけの空間が多すぎるのではないかと思っています。

障害者の方が地域で暮らせる社会は、素晴らしい社会だと思う理由

 僕は、4年間介護の現場で働き、地域で暮らす障害者の方の生活に関わらせていただきました。本当に色々なことを考えさせられ、学びの多い時間を与えてくださった当事者の皆さんには、本当に感謝しております。僕は、より多くの障害者の方が地域で自立生活をされたら良い社会になるだろうと思っています。最後にその理由を書いて、この長い文章を締めたいと思います。

 大きく3つあります。

1、一見、お金がかかると言われがちですが、結果的に雇用を生み出し、経済を回せるから

2、地域の住民からの社会に対する”信頼”が育まれるから

3、障害があっても暮らせる社会は、誰にとっても住みやすくなるから

 まず、最初の経済についてです。確かに、税金で生活を保障し、介助者を入れ、生活を維持していくのは、お金はかかるでしょう。しかし、そうやって、介助者を雇用していけば、介助者にお金が配られ、そのお金は地域に還元されます。事実、僕はそうやって雇用していただき、そこで得た賃金から税金を支払い、奨学金が返済できるくらいまで貯金ができたのです。僕の返した奨学金は次の世代の学ぶお金になっています。これが出来たのは、他ならぬ、地域で暮らす障害者の人達がいたからです。

 次に、地域の住民から社会に対する信頼の醸成についてです。これは、3番目の理由にも絡んでくるのですが、もし、皆さんが障害を負ったとしても、自分の住みたいところに、住みたい人と住め、健常者と同じサービスを当たり前に利用できればどうですか?住みやすいと思いませんか?自分が病気になっても、困難を抱えても生きてて良い社会になった方が安心して暮らせませんか?

 確かに、そういう地域になれば、よその地域から社会保障目当てで人が来るかもしれません。それが財政を逼迫させるかもしれない懸念を抱くのも無理はないかもしれません。しかし、そういう自治体になれば、住民の自治体に対する誇りは増すと思うのです。経済も第一の理由で申し上げたように、雇用を生み出し、お金を回す作用もあるから、かかる経費だけではないと思います。悲しいかな、学術論文の引用をこの場では出来ず、理想論に終始しているかもしれませんが、コストとかだけでなく、目を向けることはあるのかなと思います。

 最後に、最も弱い立場の人がちゃんと守られる社会であれば、転落することなく、やっていける社会であれば、多くの人が安心できる社会になると思うのです。一人の障害者が地域で生活できるように制度の特例を作ると、それが一つの事例・先例になって、より優れた制度になっていくことを、障害者の当事者運動をされる方がおっしゃっていました。

 また、小川淳也議員も3時間以上の長い動画の中で仰っていましたが、安心して暮らせる社会になれば、みんなちゃんと税金を納めるし、貯金もしなくなる。結果、経済が回る。それが北欧の政治なのだそうです。僕はこちらの流れが持続可能な今後の日本のあるべき姿だと思っています。

小川淳也『今夜は小川淳也がじっくり語ります!これまでの政治、コロナ後の社会』

大変、長い文章になりましたが、ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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