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私のロマン、ツタンカーメン。

今から30年前、私は移動図書販売で、
1冊の本を手に入れた。

『世界不思議大全』。

ちなみに、移動図書販売とは、
書店がなく、公立の図書館もない地域に
住む子供達のために、
車に本を載せて、小学校まで売りに来てくれることである。

なぜ、私がこの本を買ったのか。

それは、ツタンカーメンについての
記述があったからだ。

私の母親は、エジプトに憧れを抱いており、
子供の私にも、ツタンカーメンのこと、
エジプト神話などを語って聞かせた。

その影響で、私もツタンカーメンに
興味を持った。

若くしてファラオに即位し、
短い生涯を終えた、ツタンカーメン。

一体、どんな人物なのか知りたくて、
私はこの本を手にした。

しかし、読んでみれば、
母から聞いた以上のことは、書いていなかった。

この販売は、あらかじめ本の題名と、簡単なあらすじが書いてある紙を配られ、
そこに印をつけて、販売員さんに渡し、
本と引き換えるやり方。

中身を見て、買うことは出来ない。

私は落胆したが、黄金のマスクの写真や、
ツタンカーメンのミイラの写真を見ては、
いつかエジプトへ行きたい、と、
思いを馳せていた。

当時は、ツタンカーメンの死因も、
妻との仲も、なぜ、ツタンカーメンの
墓だけ長年無事だったのかも、
分からない時代。

しかし、今は技術の向上で、
これらは全て分かっている。

死因は、足を怪我したところに細菌が
入り込み、元から足が悪かったこともあり、
それが命取りになったという。

夫婦仲は、仲睦まじく、
自分の台座に、妻を描かせた唯一の
ファラオ。

そして、長年、墓が無事だったのは、
ツタンカーメンの後にファラオの座についた、アイという神官が、ツタンカーメンの名を、
代々のファラオの名が刻まれた壁画から削り取ってしまったことだ。

そのため、ツタンカーメンの存在は、
誰にも知られることなく、
長い間、静かに眠っていたのである。

豪華な埋蔵品は、他のファラオを
圧倒する見事さで、発見者の
カーター博士を喜ばせた。

しかし、発掘作業は難航する。

作業員や、関係者が、次々に謎の死を
遂げたのである。

特に、このプロジェクトに出資していた
人物の死は大きかった。

しかし、カーター博士は、やれるだけの発掘調査をして、プロジェクトを終えた。

ここまで見ただけでも、
私はワクワクしてくるのだが、
この感覚が分かる方はいるだろうか。

更に私をワクワクさせるのは、
近年の調査で、ツタンカーメンの墓には
もう一つ、大きな空間があり、
それは妻の眠る部屋ではないか、と
噂されていることだ。

夫婦仲が良好だった、ツタンカーメン夫妻なら、あり得ない話ではない。

しかし、そこの発掘には、かなりの
時間と労力が必要とのことで、
詳しい調査結果が待たれる。

ツタンカーメンは、即位当時、
難しい立場に立たされていた。

先代、つまり父親のファラオが、
それまでの宗教から、宗旨替えをしたのだ。

激しい反発にあいながらも、
己の信じる道を歩んだ先代。

それを見て育ったツタンカーメンは、
宗旨替えを取り消し、
元の宗教に戻す決断をする。

わずか十代の少年には、重すぎる判断だと思う。

側近や、神官などがアドバイスしていたにしろ、ツタンカーメンは、自分の意見を持ち、
言いなりにはならなかったらしい。

十代で妻を娶り、仲睦まじく過ごす
時間だけが、気の休まる時間だったのかもしれない。

元々、足が悪かったことに加えて、
戦で、チャリオットを駆り、
先頭に立って戦わざるを得なかった。

その時に受けた傷が、致命傷だったと
言われている。

ツタンカーメンの副葬品が、
とても豪華なのは、ファラオだからだけではなく、その人柄が良かったからではないか、
と思う。

そうでなければ、あれだけの副葬品を
わざわざ作ったりしない。

もちろん、不評だった、先代の
宗旨替えを、元に戻したことが、
民衆の心を掴んだことは間違いない。

しかし、宮殿の中でも、
ツタンカーメンを支持する人が
多かったのではないか。

今は、物言わぬミイラとなって、
静かに横たわる、ツタンカーメンを
見て、思う。

同時に、出来れば墓の大きな空間は、
妻のものであって欲しい、と願う。

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